最も抵抗の強い通り道



ほとんどどんな学習プログラムの目的も

基本的に失敗するのは

我々を別の自分になるよう仕向けるからです


生まれつき数学の才能がないのではと思われるくらい

数学の成績が悪かったら、

あなたは単位を習得するまで、

数学を勉強し続けるよう強要されるでしょう。


あまり人の気持ちが分からないようなら、

あなたは自分の性格を

感情移入が出来るように変えるコースへ

行かせられたりします。


揺りかごから墓場まで、

我々は自分たちの「強み」より、

「欠点」の方により多くの時間を注ぎ込み続けます。


これは、我々が生まれつきの才能の欠如を克服すしようと

苦労している人々から「イコン(聖像)」を作成することでも、

全く明らかです。

(才能不足をものすごい努力でカバーしようと

頑張っている人を偶像視する傾向があるということ)


Rudy Ruettiger(ルディ・レティガー)の実話に

注目してください。

彼はノートルダム大学のスタジアムで働く

23才のグラウンド・キーパーで、

しかも、1993年の映画『ルディ』の

主人公でもあったのです。


彼の身長は、5フィート6インチ(167.6cm)で、

そして体重は、165ポンド(74.8kg)しかありませんでした。

というわけで、この青年は、大学のフットボールで

トップクラスの選手になるために必要な身体能力を、

明らかに備えていませんでした、

それでも彼には、十分な「心臓」がありました。

ルディはそこでフットボールがしたくて、

ノートルダム大学への入学資金を貯めるために

必死に働きました。

(ノートルダム大学(University of Notre Dame)は、

アメリカ合衆国、インディアナ州サウスベンド近郊にある

カトリック教会創設の名門私立大学)


結局、3回落とされた後に、

彼はようやくノートルダム大学に入学し、

そしてフットボールチームの練習チームに、

入ることができました。


2年間、ルディは毎日毎日欠かさず

練習に励みましたが、結局は「控え」のままで

試合に出ることはありませんでした。

それでもめげずにさらに2年間、

一生懸命練習し続けて、

最終学年の4年生の時の決勝戦で、

ついにコーチからユニフォームを着るよう言われたのです。


この試合の最後の場面でのこと。

ノートルダム大学チームの勝利間違いなし

という状況になったので、ルディのチームメイトたちは、

彼を試合に入れてくれるよう、コーチに頼みました。


そこで最後の最後になって、

コーチはチームメイトの気持ちを汲んで

ルディを試合に投入したのです。

そして、彼は相手チームのクォーターバックに

突っ込んで行きました。


もちろん劇的な瞬間が待ってました。

ルディは一躍英雄となったのです。

ファンはルディの名前を唱え、

彼を担いでフィールドを回りました。


後にレティガーは、ホワイトハウスに招待され、

そこで、ビル・クリントン大統領、コリン・パウエルや

フットボールの英雄、ジョー・モンタナにも会えました。


ルディの忍耐は賞賛に値しますが、結局のところ、

彼はわずか2、3秒間だけカレッジ・フットボールをして、

一回のタックルをしたわけです、但し、

数千時間もの練習の後に。


この人々の気持ちを鼓舞するお話の内容は、

本当に大事な問題(ハンディキャップを克服することは、

我々の文化構造の重要な部分です)を覆い隠します。


感動する本、ヒットした映画や民間伝承には、

100万に一つの可能性を実現させた弱者の話が一杯です。

そして、これは我々に

生まれつきの才能を活かす人を認めるよりも

天与の才能の不足にさえ打ち勝った人々を

称賛させようとします。


その結果、アメリカ(だけでなく世界中で)では

何百万人もの人々が、これらの英雄を

典型的な「アメリカン・ドリーム」として捉え、

自分の目標に挑戦するときに、

彼らのイメージをダブらせるのです。

残念なことに、これが「最も抵抗の強い通り道」と

なってしまうのです。


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このシリーズで、徐々に明らかにしていくつもりだが、

自分が生まれつき持っていない才能を

努力でもって克服した実話は、確かに感動的だが

そんなねじり鉢巻き、ど根性物語といった

まるでマンガ「巨人の星」の星飛馬(例えが古いか・・・)

みたいな、

苦しい努力を我々もする必要があるのだろうか?


それよりも、

もって生まれた才能にこそ注目すべきではないのか?


悲壮なくらい努力して成功した人の話を

見聞きして、「私だって」とモチベーションを上げようとすることが

悪いと言っているのではない。


同じ努力するなら、自分が生まれ持った才能の開花にこそ

フォーカスすべきではないか?


そこでの努力は、苦行でも修行でもなく、

楽しい習慣となるだろう。


その方が、あなたは、もっと楽に成功できる!


by ウルフペンギン