今まで自分の人生について深く考えた時期は3回ある。
1、大学受験
高校3年生になり、大学をどこにするかというときに初めて壁というか、答えの見えないものにぶつかった。
親や祖父からは医学部にいけいけっと言われていたことも影響してか、医者へのあこがれはあった。
他にも、宇宙飛行士やパイロットになりたいとも思っていた。
結局、この時点では自分の将来については決めることができず、将来の選択肢を膨らますということで国立の薬学部へと進学を決めた。
この時点で、医学部に決めてしまうと後戻りはできないし、当時医療訴訟などが多発していて、自分がこんな責任をとれるのかどうかと自信がなかった。そこで、薬学部に入れば、画期的な薬を創って、世界中の人々を救えることができる、と心に言い聞かせて薬学部へと入学した。仮に、在学中に医者になりたいと思ったら、編入することもできると思っていた。
そんなこんなで、一般的な大学生活を4年生まで送っていた。
2、大学院試験
大学4年生になり、研究室へと配属されると本格的に研究生活がはじまった。
小さいころから思い描いていた研究像とは違い、地道で、泥臭いようなこともおこなっていた。
それでも、世界の最先端のことを、まだ誰もしらないようなことを研究しているということはとても充実していた。
4年生は研究だけでなく、病院実習があり、薬剤師としての仕事も体験する機会があった。
自分なりの感じたこととしては、日本の薬剤師の役割は医者からの処方の監査的な役割が強くて、医者にならないと患者と直接に接して治療方針を決められないということだ。
この病院実習を通じて、医学部への編入に対する意識も再び芽生えてきた。
友達に医学部編入した人がいたので聞いてみたのだが、東大とか京大を出ているひとが必死に勉強してやっと受かるということなので、決めるなら相当の決心がいると感じた。
というようなことを考えながらも、敷かれたレールから脱線することもできず、院への進学を決めた。
3、就職活動
大学院の修士1年の夏くらいから就職活動が始まった。
自分たちのひとつ上の代までは、年内に進路が決まらない場合はかなりヤバイという認識であったみたい。
しかし、経団連が学生の勉学に影響するということで、最終学年の4月から面接をはじめるという指針を出し、製薬会社のほとんどがそれに倣う形となった。
秋にはインターンシップで1週間泊まりこみのものを経験したり、ワンデイのインターンや会社説明会などに参加した。
志望するのは、やはり新薬を創る体力のある内資系の大手製薬企業の研究職。
2010年問題を抱えていて、会社の将来性という点ではどこの企業がいいのかはこの業界はわからないものである。さらに、研究職の採用人数は少なく、内定をひとつ取ること自体も難しいといわれていた。
なので、とにかく製薬の研究ができるところはほとんどエントリーをしていった。
もちろん製薬だけでなく、食品大手やビール系の会社も医薬品に力をいれているところが多いため選択肢として意識していた。
研究室の実験と就職活動、さらには下についている4年生の面倒、学会発表準備などなどが不幸なくらいに重なって、就職活動に完全に専念するということはできなかった。それでも、自分の優先度の高い企業には本気で取り組めるようなスケジューリングした。
とにかく、必死だった。ESがなかなか通らなかったり、第一志望の前に決まってしまって教授推薦出したらもう断れないから、保険をとるか、自分の夢をとるか。昔から興味のあった金融系を受けようかと考えたり。
いろいろ悩み、苦しみ、当時付き合っていた彼女と平日の夜に会えたりすることだけが楽しみだったり。
面接がおわった夜は携帯の着信に一喜一憂していたことを今でも思い出す。
結果的には数社から内定をいただき、志望度の高い会社へと無事に就職ができた。
そして、現在は社会人となって第4のターニングポイントに向けて日々業務に取り組んでいる。
薬の研究開発には、研究から治験などを行う開発など様々なステップをふんでいる。
今の考えているプランは、自分の携わった薬の上市までのステップにそってキャリアアップしていくことだ。
そして、最終的には会社の経営戦略を担う部署で活躍していきたいなと思う。
これを夢とせず、現実の目標として定めていけるように、今できることを積極的に挑戦していきたいなと思っています。