2月1日 息子への 懺悔 | 教える喜び、書く喜び: 60代のライフワーク〜家族第一

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こんにちは 日本ジニアスセンス協会ピュアDreamの佐藤です。

 

今日はプライベート 家族のことを書きたいと思います。

2月1日の今日は 水子 優ちゃんの34回目の命日です。

 

生まれていたら 34歳くらいになっていたと思います。

この子は なぜ 名前がついたのか

 

それは 流産ではない形での 形式的に4ヶ月に入ってしまい

4ヶ月は いわゆる 普通の出産と同じになるそうです。

 

しかし これは 望んだ結果ではなかったのです。

家族全員がおたふくになってしまい

主人は入院

軽いのは息子だけ

私も 重病

 

その時に 私のお腹の中には新しい命が。。

しかし。。

 

流産なら 諦めもつきますが

大きな病院での 実験台にされたのです。

 

おたふくの胎児の研究のために。

 

そして 母が気がつき

先生に 聞いたら 「胎児を見たくて普通の出産にしたかった」

 

入院している部屋は 生まれた赤ちゃんと一緒の部屋

辛かったですね。

まさかの お腹の中の生きている赤ちゃんも見せるという

ドクターの 無神経さ

 

今でも 目に焼き付いています。

手術の時の ドクターの「チ」という舌打ちの意味は?

 

手術の時は 4ヶ月に入っていました。

普通に 火葬してしてお葬式

 

私は ノイローゼになり引きこもり

 

と ここまでは自分中心の

自分は なんて可哀想なんだろうと

自分を可哀想がってました。

 

34年目にして

はたと気がついた。

 

一番可哀想だったのは

息子 だったということ。

 

なぜなら

息子の 誕生日は

1月27日

その時には 私は 入院してました。

 

だから 息子の誕生日

どうしたのか

覚えていないのです。

 

2歳だからこそ

大切な 誕生日

 

きっと おばあちゃんと主人で

お祝いしてくれたと思いますが

 

私は 自分のことでいっぱいで

息子のことを抱きしめてあげただろうか

 

 

病院には

母がおぶって連れてきてくれたような気がしますが

 

この後 引きこもりになっていたので

かなり 息子に 寂しい思いをさせていたと思います。

 

この他にも

娘が生まれる時も 大変で

3ヶ月の入院の時も

まだまだ 甘えたい時期に

また 私がそばにいてあげれなかった。

 

 

そのころは 幼稚園児

やんちゃなはずなのに

その3ヶ月は

一切 おばあちゃんを困らせることもなく

「母ちゃん」と寂しがる姿を見せるわけでもなく

このガマン強さは 今も健在です。

 

ただ、今でも耳に目に焼き付いてるのが

退院する時

チョコチョコ近寄ってきて

 

「母ちゃん 今度こそ

赤ちゃん死なすなよな」といって

去っていたあのワンシーン

 

大人っぽい口調だったけど

彼は まだ5歳児だった。

 

たっくさん 寂しい思いをさせてきた。

 

だからこそ

いろんなことがあっても

グッと こらえてしまうところがあるのでしょうね。

言いたいことも言えない。

 

言ってしまったら

相手が困るのが わかるから。。

 

最近 主人も 年なのか

飲むと 「あの頃の〇〇は よく我慢したよ。

俺が入学式に行ったんだ」とか 涙を流してるシーンは

今までになかったので

 

主人も 年を取ってきたんでしょうね。

 

そんなこんなで 今日は

水子の命日だけど

息子への 懺悔に気づいた日でもあります。

 

本当に 母として失格だよね。

 

何も 大きなことはしないし

仏壇には 毎日毎日 手を合わせています。

 

明後日は 父の命日

9日は 義理の兄の命日

28日は祖母の命日

 

2月3月は本当に気をつけましょう。

 

「今日は 息子への懺悔の日」でした。

 

息子も 読んでないはずだし

家族も知らない世界 久しぶりのプライベートブログ

 

読んでくださった方 ありがとうございます。