今朝、次の記事を読んだ。

http://wpb.shueisha.co.jp/2012/10/26/14893/

週プレNEWS
来日したチェルノブイリの放射能専門家が、福島市民の前で発した重い警告
「ベルラド放射能安全研究所」のアレクセイ・ネステレンコ所長

同所長のことを調べているうちに、彼の父親、ワシリー・ネステレンコに興味を抱き、調べると、WIKI(日本語)が書きかけとある。
WIKIより、

「ウクライナ東部ルハーンシク州uk:Красний Кут (смт)出身。1958年、バウマンモスクワ州立工科大学(ru:Московский государственный технический унив ерситет имени Н. Э. Баумана)卒業。1977年-1987年、ベラルーシ科学アカデミー(be:Нацыянальная акадэмія навук Беларусі)の核エネルギー研究所で所長を務めた。1980年-1985年、ベラルーシ最高会議代議員。1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故後、政府当局に対抗して、住民の健康被害の防止に努めた。事故の実態調査をしようとすると、圧力がかけられ脅迫を受け、研究所の放射線モニタリング装置が没収されたこともあったという[1]。1990年、民間のベルラド放射能安全研究所(ベルラド研究所)を設立、終生所長として放射能被害防止のための活動を続けた[2]。日本語の雑誌『技術と人間』1996年2月号に、「チェルノブイリの苦い真実」の文章を寄稿[3]。1998年、事故10年後をとりあげたスイスTSI制作のドキュメンタリー番組に出演。この番組の日本語版が同年、NHK BSドキュメンタリー「チェルノブイリ いやされぬ傷あと」の題で放映されている。2007年、ロシアの生物学者アレクセイ・ヤブロコフ、子でベルラド研究所所員アレクセイ・ネステレンコ(Alexey V. Nesterenko、現所長)とともに、英語文献や、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどスラブ系の諸言語の記録や文献をもとに報告書『チェルノブイリ――大惨事が人びとと環境におよぼした影響』をまとめ、同事故による死者数は1986年から2004年の間で少なくとも98万5000人に達するとの推計を発表した[4]。」

この方の生涯をもっと知りたいと思って(日本語はこれ以上ないので)英語で検索したが、なかなか見つからない中で、次のpdfを発見した。

2008年4月に亡くなった彼に同志が捧げた文である。 少しづつ、時間をかけて訳してみようかと思っている。

http://www.physiciansofchernobyl.org.ua/eng/Docs/Nesterenko.pdf
Vasily Borisovich Nesterenko
On August 25, 2008 there died Vasily Borisovich Nesterenko the world known scientist, prominent specialist in the field of nuclear power energy, nuclear and radiation safety, corresponding member of the national Academy of Sciences of Belarus, honoured worker of science and techniques of the BSSR, the BSSR State Prize laureate, the Deputy of the Supreme Soviet of the BSSR from 1980 to 1985, Doctor of technical sciences, professor.
2008年8月25日、世界的に知られている科学者、原子力エネルギー・原子力・放射線の安全の分野で著名な専門家、ベラルーシ科学アカデミーの通信会員、BSSRの科学&技術の名誉研究者、BSSR国家賞受賞者、1980年から1985年までBSSR最高会議副議長、技術科学博士、教授、であるワシリー・B・ネステレンコ、が亡くなった。
<続く>