先に前編をご覧ください。 

Double standard one: deaths and injuries
ダブルスタンダード1:死と傷害

We rightly lament the horrible consequences of industrial exposure to radiation. Two workers at Fukushima have so far received radiation burns and 17 have been exposed to levels of radiation considered unsafe. This is and should be a cause for serious concern. It is also worth remembering that no one has yet received a dose of radiation that is known to be lethal as a result of the Fukushima disaster. But if we are concerned about industrial injuries, why do we say nothing about the deaths and injuries in the industry most likely to replace nuclear power?
私たちは当然業務上の放射線被ばくの恐ろしい結果を哀悼する。福島での2人の作業者がこれまで放射線炎症を受け、17人が安全でないと考えられる放射線レベルに被爆している。これが重大な懸念の原因であり、あるべきだ。福島災害の結果として致死的だと知られている放射線量を誰もまだ受けていないこともまた、覚えておく価値がある。しかし、もし業務傷害が心配なら、原子力を置き換える可能性が最も高い産業の死傷について何故何も言わないのか?

In China alone, the government estimates that 2,433 people died in coal-mining accidents last year. That's not injuries or exposures. It's deaths. Human rights activists believe that official figures might have been underestimated by a factor of four.
中国だけでも、同国政府は去年の炭鉱事故で2433人が死んだと見積もっている。それは傷害でも被爆でもない。死亡だ。人権活動家たちは公式の数字は4倍過小評価されているかもしれないと信じている。

What this means is that, in the normal course of operations, at least six people are killed in Chinese coal mines every day. Even if you accept the official figure, Chinese coal mining alone kills as many people every week as the worst nuclear power accident in history – the Chernobyl explosion – has done in 25 years.
この意味することは、通常の稼動で少なくとも6人が毎日中国の炭鉱で殺されているということだ。たとえ公式数字をつかっても、中国の石炭採掘だけでも歴史上最悪の原発事故、あのチェルノブイリ爆発、が25年で殺したと同じくらい多数の人々を毎週殺している。

And this is to say nothing of the far larger number of injuries that coal mining inflicts, in particular the hideous lung diseases which plague so many miners and cause long, lingering and terrible deaths. When was the last time you heard an anti-nuclear campaigner drawing attention to this daily carnage?
そして、これは石炭採掘が負わせるずっと多くの傷害、特にとても多くの鉱夫を患わせ長引いて最後にひどい死をもたらすぞっとする肺病、については言うまでもなく。

以下、次の項目を語ります。(原文はスキップします)

ダブルスタンダード1:死と傷害

私たちは当然業務上の放射線被ばくの恐ろしい結果を哀悼する。福島での2人の作業者がこれまで放射線炎症を受け、17人が安全でないと考えられる放射線レベルに被爆している。これが重大な懸念の原因であり、あるべきだ。福島災害の結果として致死的だと知られている放射線量を誰もまだ受けていないこともまた、覚えておく価値がある。しかし、もし業務傷害が心配なら、原子力を置き換える可能性が最も高い産業の死傷について何故何も言わない

中国だけでも、同国政府は去年の炭鉱事故で2433人が死んだと見積もっている。それは傷害でも被爆でもない。死亡だ。人権活動家たちは公式の数字は4倍過小評価されているかもしれないと信じている。

この意味することは、通常の稼動で少なくとも6人が毎日中国の炭鉱で殺されているということだ。たとえ公式数字をつかっても、中国の石炭採掘だけでも歴史上最悪の原発事故、あのチェルノブイリ爆発、が25年で殺したと同じくらい多数の人々を毎週殺している。

そして、これは石炭採掘が負わせるずっと多くの傷害、特にとても多くの鉱夫を患わせ長引いて最後にひどい死をもたらすぞっとする肺病、については言うまでもなく。

ダブルスタンダード2:科学

我々は、気候変動を討論する時、科学的コンセンサス、及び基礎がしっかりし同領域専門家に査読された研究報告書の重要性を強調する。しかし、低レベル放射能の危険を議論し始めるやいなや、我々はそれを放棄し、変人と偽医者の雑多な集団の疑似科学を是認するが、彼らはそれが毎年数千の人々を殺しているに違いないとの仮説から始めてそれとマッチするよう証拠を改造しているように思われる。

そのような人々はどの領域にも存在する。特に政治的な議論が好きな人々は。我々は今では彼らに油断しないよう学んでいるに違いない。しかし、このケースを原子力反対の理由としたい人々にとってはその誘惑は圧倒的だ。

放射能の高線量及び低線量被爆の影響についての科学的コンセンサスを良くまとめたものしては、クリス・グッドールとマークライナスの新掲載内容があります(http://www.marklynas.org/2011/03/the-dangers-of-nuclear-power-in-light-of-fukushima/)*さて後で読んでみよう

ダブルスタンダード3:放射能汚染

もし低レベルの放射能が幾人かの環境保護主義者が言うように実際問題なら、彼らのキャンペーンの焦点は石炭火力発電所であるべきだ。サイエンティフィック・アメリカンが次のように記している。

「発電所から出される飛散灰、発電のための石炭燃焼時の副産物、は周囲の環境に同じ量のエネルギーを作る原発より100倍の放射能を運ぶ」
これは、石炭が微量のウラニウムとトリウムを含み、それが灰に集まるからだ。これは、原発のまわりに住む人より石炭燃料発電所のまわりに住む人々により高い放射線量に被爆させるばかりではなく、飛散灰投棄に対する規制は低レベル核廃棄物

の投棄に対する規制よりずっと弱い。RWE npowerがDidcot発電所からの飛散灰をRadleyとAbingdonの間の湖に投棄する計画についての論議を思い出したらいい。その時反核煽動家たちはどこにいた? もしある企業がその湖を原発からの低レベル放射線廃棄物で満たす計画をしたら彼らの抗議はどうだったか想像できますか?

爺コメント:①ここで引用のサイエンティフィック・アメリカの記事を訳しましょう ②欧州で使われる石炭とその燃焼から出る飛散灰の放射線量は、日本の場合と比べると相当ひどいようです。

ダブルスタンダード4:採炭の影響

反核運動家たちはウラニウム鉱山で引き起こされる損害と汚染を強調する。彼らがそうするのは当然だ。それらの鉱山の幾つかはぞっとするほどひどく、それらは我々が新規供給を大幅に削減する新原子炉技術を急いで開発すべき多くの理由のうちの一つだ。しかし、石炭採掘の影響はもっとはるかに大きい。露天掘りも含めて炭鉱の数はウラニウム鉱山の数百倍あり、それらのうち多くのものが最大のウラニウム事業より数倍大きくより破壊的だ。それはウラニウム採掘を正当化しないが、ありそうなきそうな石炭へ切り替えはもっと間違いなものにする。

ダブルスタンダード5:コスト

原子力に反対する最も頻繁な論争の一つは、コストがかかりすぎることだ。多くの環境保護活動家は、全ての隠れたコスト(特に大規模な廃炉責任)を勘定に入れると原発からの電気は5ペンス/キロワット時ほどかそれ以上になる可能性があると主張する。私が調べた中で最高の値は、新経済基金が作成した見積の範囲の最大で、8.3ペンス/キロワット時だ。もしこれが正しいとすると(ただしこれは極端な外れ値であることを強調すべきだ)、それは低炭素発電の途方もない手段であることを示唆する。

なのに、何故同じ人々が我々が屋上太陽光発電に対して41ペンス/キロワット時を払う固定価格買い取り制度を支援するのか?

ダブルスタンダード6:研究

先週、カロライン・ルーカスとこれらの問題について議論した。彼女は私のヒーロー達の一人で、太古の昔以来内閣で起った最高のものだ。しかし、これは彼女が選択する時ひどく非論理的で有り得ないことを意味しない。私が固定価格買い取り制度の問題を持ち出すと、彼女は原発への補助金援助と太陽光発電への補助金援助の違いは原子力は成熟した技術で太陽光電はそうでないからだと指摘した。もしそうなら、原子力を生み出すのにずっと安全で低コストの手段を提供する可能のあるトリウム原子炉の研究を彼女は支援するかと質問した。いいえ、と彼女は答えた、なぜなら、トリウム原子炉は検証済みの技術ではないからだと。あきれて物が言えない。

ダブルスタンダード7:タイミング

反核活動家は、新しい原発を建てるのに10年やそこらかかり、もし我々が気候変動を防止するのに真剣ならそんな長時間の余裕はない、と指摘する。彼らはもちろん全く正しい。少なすぎるし遅すぎる。しかし、同じ問題がエネルギー供給を脱炭素化するどの重要な動きにも影響する。計画プロセスを完了するまでに、沿岸の風力発電所を支援する主要な新送電網は新原発とだいたい同様の時間がかかる。同じことが、再生可能電力システムを支援するのに必要な揚水貯水施設に、化石燃料の影響を減らすために必要な二酸化炭素貯蓄に言える。樹木を育てることに関しても、、、


私の主張は、我々のエネルギー供給の全ての中身とそれがもたらす結果に対して責任を取らねばならないということだ。原子力が生み出す部分だけでなく。そして、我々は全ての発電技術に対して同じ基準を用いるべきだ。さもなければ、人々とこの衛星のためにリスクを減らすという名目で、知らず知らずにリスクを増やすことになる。
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コメント

ジージ・モンビオットは別のブログで、英国の原発は日本における話にならない幾つかの悪条件(例:危険な立地条件)が当然ないことを前提としています。例えば、やくざが絡んだ数次の下請構造、日本文的組織運営、などは意識していないかも知れません。