親父は、大正元年生まれで、随分前に他界した。
東京で生まれて育った俺にとっては、栃木に近い埼玉生まれの親父は、次男で教育もまともに受けていなかったか勉強する気がなかったか、計算も碌にできずに歯がゆい存在だった。
その親父は、出征したという。
どういう経緯で出征したのか、わからない。
当時は貧しい農家の次男だったから、進んで志願したのかも知れない。

母親からたぶん聞いたのだろう、親父は中国大陸に出征したが、後方の炊事の仕事をし、その世界ではうまく立ち回ったらしい。
しかし、本人から一度も中国大陸の思い出を聞かぬまま、親父は他界した。

俺は戦後生まれだ。後に聞く団塊世代の直後で、その世代は何て呼ぶのだろうか。

ところが長兄は、戦中の中国大陸で生まれて、敗戦の後、母親と一緒にボロ船で日本に引き上げるのだが、よくもまー沈められずに帰れたと聞いたことある。

両親は田舎にもどったが、そこでいつまでもぶらぶらしていられないので、家財道具一切を荷車に積み、えっちらこっちらそれを引っ張って、東京に出てきたそうだ。いつ両親が東京に出てきたのかは、でもきちんと聞いていない。(その点、いい加減)

引っ越してすぐ、数百メートル離れた青梅街道までは家がまばらだったそうだ。 青梅街道が見えたそうだ。

わかっているのはそこまでである。

さて、俺が中学生か高校生になると、皇室の人々は戦争犯罪人であるかのように、どこかで仕入れたネタで親父を攻撃し始めた。

いつも親父はどうしようもなくかっかして応じていた。 そうしないと、自分の全てが否定されるような感じで。

それで、俺は、親父がかっかし始めると、どこかでお茶を濁して、話を脱線させるようになった。

親父は、そんな時、ふっと、天空をポカーンとうつろに見ているだけだったような気がする。

そして、親父は最後まで、ほんとうに自身が何をやってきたのか語らぬままに他界した。