仮設住宅に住み、牡蠣の養殖の再起を図る歌津寄木の畠山さんのブログを読み、寄木という集落を知った。 寄木の発音も、「よりぎ」としっかり言えるようになったのは、超最近!


ウェブ上、しかし、情報が余りなく、なんとか次の三つを見つけた。


■4月5日:白愛さん【東日本大震災】南三陸町歌津 寄木地区の話
http://ameblo.jp/oto0u0nico/entry-10852412096.html
今日、南三陸町歌津地区のほうに物資を届けたい方に必要物資などの情報を伝えるべく、何箇所か足を運びました。その中で話を聞かせてもらい、これは伝えなきゃと思い、ブログを更新したいと思います。<続く>

★(爺)必読だ、これ!  白愛さん、全文コピペしていいですか?


■5月5日:Shinsai Info
http://www.sinsai.info/ushahidi/reports/view/29584
5/5現在確認、南三陸町 歌津寄木地区、22名が避難している「漁屋民宿やすらぎ」は行政からの支援がなく、成人老若男女の下着・靴下・食糧・医薬品がまったくたりていない。水は井戸を利用。支援物資を、さかなみうらまで求む。(漁屋民宿やすらぎ宛と表示)


■8月7日:temple2988のblog
この日の3件目に伺ったMさん宅。歌津の寄木地区、区長さんです。民宿「やすらぎ」経営。
元々、体験型民宿というコンセプトで、つり船「海人」での漁体験もできたり(区長さん、実はその昔世界24か国を船で回ったとか)、囲炉裏の個室があったり、季節ごとに色々な花に彩られるアットホームな雰囲気のこじんまりした民宿です


(爺)ネットや新聞で見えない被災地の世界、ほんとに起きている世界を知り情報発信するには、被災地に行き、自らが現地で発信するか、発信のお手伝いをするしかない。 身につけたIT技術を、こんな時に活用できなくてどうすると、自戒というか、しなくて来たことが情けない。


検索していたら、こんなの見つけた!


■いいカッコしいのボランティアが町一つ潰します(2チャンネル)

助けて下さい。宮城県の歌津町民です。

この人の日記記事で、故郷の人達がまるで鬼ばかりの地獄の様に言われています。
http://ameblo.jp/xxxxxx (この方、記事を既に削除しています)

私が歌津から避難する18日まで、歌津でも近隣でもこんな話は聞いた事が無いです。 お年寄りばかりの小さな小さな街です。 現地の人達はもちろんインターネットなど無理ですし反論もできません。ならばと思い、インターネットができる所まで避難した私が反論しようにも、 自分達に都合のいいコメントしか載せない仕組みになったらしいのです。 本当に涙が出るほど被災者はみんな助け合って励まし合って頑張っています。 地震より津波より悲しいです。


(爺)この人ばかりでなくとてつもなく多くの若者がこのように、現地の実情を知ることも無く、助けに行くこともなく最新の技術を駆使して被災地をネタにしてわいわいがやがや仲間内で発言していたのだろう。


さて、寄木の避難所(のひとつ?)になっていた、始めて知った「漁家民宿やすらぎ」、有志の支援でホームページをようやくオープンし、宿の営業も開始した。 でも、当分料理はできないので、素泊まりと。


http://team-12.jp/yasuragi/
漁家民宿やすらぎ
7月25日にHPオープン


(爺)料理なんてどうでもいい、「寄木」のお話をしてくださるだけでいい。行くっか、TATEさん。


最後に、


こんなのを見つけた!


■夏休み!南三陸支援プロジェクト@慶應義塾
http://goto-minamisanriku.blogspot.com/2011_07_01_archive.html
<その内容のほんの一部を抜粋>

2. 南三陸町の文化

2-1. ささよ(漁業と関連した祭事)
「ささよ」は南三陸町の歌津地区の寄木(よりぎ)で、毎年1月15 日の夜に行われる年中行事の1つである。古くから伝わる行事で、寄木の少年全員が参加する。これは大漁旗を先頭に家々をまわりながら大漁祈願の唄をうたうという形式をとる。それと同時にリーダーの少年が家々からご褒美としてチップを受け取る。そして、全ての家を廻り終えると、リーダーがチップを全員に配分する。この形態は漁師の世界における船長が船員に分け前を配分する行為に似ている。こうして少年たちは漁師としての習慣を身に付けていく。


(爺)このプロジェクト、すごいと思う。南三陸の歴史、文化、など事前研修して現地に行くのだから、いろんなことを沢山学んでくるだろう。 その中から、南三陸をずっとほんとに支援するというか協働していく人が出てくるに違いない。 慶応義塾、やるね! (早稲田はどうしているかなー)