その後、義実家からは特に進展の知らせがありません。義母の死はまるでなかったかのように主人はほぼ話題にはせず淡々と今日も暮らしています。
忘れられない義母の仕草があります。
すでに余命を言い渡され、私たちが毎週義母を訪問する
ようになった昨年冬。
その年の初めから異常に寒さを訴えるようになった義母。
一年中、部屋の温度が30℃になる日もこたつに入っていました。
そのとき、季節は冬に入っていたので、
私にも「こたつに入りなさい」と勧めてくれました。
義母の側に入ると、義母はテレビをみながら私にこたつ布団を
掛けてくれました。その仕草が、まさに母親が子供に
するような仕草でした。
私は子供のころから崩壊家庭。祖母を除けば父母とは
一緒にこたつに入るような環境では育ちませんでした。
中学時代に母が再婚してからほんのわずか家庭らしき環境を
もったのですがそれもつかの間のこと。
しかも反抗期で、寮生活も送っていましたし、一緒にこたつで
団欒をもった記憶が乏しいのです。
義母が私にした、その仕草にジーンとしてしまいました。
もう認知機能がぼやけて、相手が私であることを意識しない
仕草だったのかもしれませんが、実の父母が世を去った今
そんな風に私を扱ってくれる人がこの世にいたんだ、という
気持ちでいっぱいになりました。
終わりが近いことはわかっていました。
でも、最後にそんな思い出をくれて、ありがとう、と
義母に感謝します。