義母、今朝亡くなりました。

 

 

昨晩旅行からの帰宅後、夫が体調不良に。

熱中症だと本人は言うけれど、風邪またはコロナの可能性も

捨てきれないので念のため別の部屋で眠りました。

必要な時に夫が私を呼べるようにと枕元に

スマホを置いていました。

 

朝寝坊を決め込んでいた朝7時ごろ電話で起きました。

表示を見るとかけてきたのは義弟。

主人の携帯の電源が切れていて私にかけてきたそうです。

 

「おふくろさんが息をしていない」

すぐに主人を起こし、急いで支度をして義実家に向かいました。

 

主人はまだ体調が回復していないものの

私の運転よりはましだということで気力をかき集めて運転し、

二人ともマスク着用でかけつけました。

 

昨日はお見舞いの人とおしゃべりもしていたそうです。

夜になって眠ったまま起きてこなくなったので

心配になって義弟や義父が何度か様子を見に行ったそうです。

7時に行ったときに息をしていないことを義弟が発見しました。

 

「前の晩まで普通にして、翌朝見に行ったら亡くなっていた。

そんな亡くなり方が理想だね」と家族で話していた通りの

最後です。入院も、手術や大きな苦痛も無く(鎮痛剤は使用していた

そうです)日常を失うことなく亡くなりました。

 

ただ、やはり急だったという思いはあります。

「いつ逝っても不思議はない」と医師には言われていたものの

病気の自覚も無く、普段の口調で話す義母を見ていると、

少なくともあとひと月、ふた月はこのままでいけると油断していました。

それだからこそ、1週間の旅行も予定通り実行したのでした。

そのせいで、毎週末の訪問をとばし、前週の日曜が最後の訪問に

なってしまいました。そこは本来悔やむべきことかも知れません。

でも、それを口に出しても家族全員が厭な気持になるだけなので

誰も口にしません。

逆に、旅行の翌朝だったので、タイミングよく駆け付けられた、と。

物事の明るい側面を今は全員が見ようとしています。

 

義母は昨夜眠ったそのままの姿で息を引き取りました。

義父、義弟、夫は「眠っているようだ」と言います。

でも、私にはやはり生きていたときのハリが失われて

見えて、「これはお義母さんじゃない」と思えてしまいました。

もう一度、一分でも良いから生きている義母に会いたかったです。

 

遺体は午後遅くに葬儀社に引き取られました。

一晩二晩自宅に安置も可能でしたが、義父がそれはいらない、と

言ったのです。別れがたい気持ちを断ち切るように。

 

そして、義母の遺体が車に乗せられ車が走り出す時、

義父が玄関先で「さよなら、さよなら 〇■◬×(判別不能)」と

声をかけ、声を上げて泣きました。

 

もう10年近くをほぼ寝たきりで過ごしてきた義父です。

95歳を迎え、体も小さくなり、

杖をついても歩ける距離はせいぜい15mくらいです。

自分の方が先に世を去ると思っていたのに、義母が

昨年から急激に弱ってからは、弱弱しい体で

義母を精一杯支えてきました。

 

その義父が泣く後ろ姿はたまらなく切なかったです。

 

義弟は立派でした。取り乱したところも見せず、

淡々と葬儀社との打ち合わせをすませ、義父を支えました。

夫も体調が悪い中よくやったと思います。

 

自分を振り返ると、実母が亡くなった時は数か月

思考停止でした。

義母を大事に思ってきたはずなのに、

亡くなった当日に文章にできるということは、

やはり肉親との差がある証拠なんでしょうね。

 

同じ重さの悲しみを共有はできないけれど、

夫と夫家族に対しできることをしたいと思います。