いつからだろうか、人の正解を気にして生きるようになっちゃってた。
気がついたら、人の想いを気にして、喜ばれるよう、気を害さないよう、その割合が大きく大きくなっていた。
いつの間にか、人の期待に応えることばかり考えるようになっていた。
そして、自分がどんどん無くなっていき、
本当はどうしたいのか、
本当はどう想ってるのかも見えなくなっていった。
そんな時に、鬱になった。
身体が動かなくなり、
引きこもって、
昼夜逆転をして、
深く深く、自分の中に潜っていった。
何日も、
何週間も、
何ヶ月もかけて。
そこで見つけたのが、
自分だった。
自分の中に潜っていくと、
そこには小さい頃の子どもの自分が泣いていた。
「僕は勉強できないとダメな存在なの?」
「どうしていつも不安そうな顔しかしないの?」
「もっと笑ってよ。。。」
怒っていた。
「なんでこれやっちゃあかんの!?」
「なんで点数とか見た目ばかりで、僕を見てくれんの!?」
「なんで認めてくれんの!?」
拗ねていた。
「もうどうなってもいいや」
「どうせこれをやっても怒られるだけやろ」
「もうどうでもいいわ」
その小さな子に話しかける。
「だいじょうぶ」
「そう想ってもいいんだよ」
「辛かったね」
「苦しかったね」
「認めて欲しかったんだね」
「受けとめて欲しかったんだね」
その子はしくしくしながら答えた。
「笑ってほしいの」
「本当の自分を見せても、怒らないでほしい」
「本当の自分を抱きしめてほしい」
大人の僕が、
子どもの僕に話す。
『だいじょうぶ』
『これからは、誰よりも僕が陽介をわかる』
『誰よりも応援して背中を押す』
『誰よりも認め、許す』
『陽介でいいよ』
『だいじょうぶ』
そこから、
誰かの正解を生きるのではなく、
自分の中の正解を、こたえを生きるように。
人の想いに、期待に応えるのではなく、
自分の想いに正直に。
自分のことを信じて生きるようになっていった。
じょじょにだけどね。