相模原市南橋本にある勉強嫌い専門個別指導塾「ドリームスタディ」 -4ページ目

相模原市南橋本にある勉強嫌い専門個別指導塾「ドリームスタディ」

神奈川県相模原市中央区南橋本にある勉強嫌い専門個別指導塾「ドリームスタディ」塾長、講師、スタッフが、勉強嫌い克服、平均点以下からの成績アップ法、ドリーム式個別指導メソッド、各種最新イベント、各種講座情報などをお届けします。

こんにちは。個別指導塾「ドリームスタディ」塾長の平間です。




先日マネージャーミーティングを行いました。


今後更に生徒さんのモチベーションを上げていくかを


話し合いました。








「ウォームハート&クールヘッド」





本当は日本語で表現したかったのですが、なかなかしっくり


くる言葉がなく、長くなってしまうのでカタカナ英語になって


しまいました。








生徒さんとかかわる中で最も大事なのは、私たち教える側の


熱い気持ち、あたたかい心、愛情、感情、共感ではないでしょうか。


これらはウォームハートです。








そして、もう一方で、冷静で客観的な部分も必要です。


成績、成果、志望校合格ラインに対して現状は??など、


冷静で客観的な部分も必要です。これがクールヘッドです。








9月は「ウォームハート&クールヘッド」を全体テーマにして、


日々、生徒さんとかかわり、成長・自信につながるように


最大限サポートしていきます!!











こんにちは。相模原市中央区南橋本で、個別指導塾ドリームスタディの

塾長を務めています平間です。



2012年10月15日に設立をして12年がたちました!!



12歳になりました!


ここまでこれたのは、生徒さん、保護者のみなさん、

講師スタッフのおかげです。


ここからまた次の10年、20年に向けて精進して

参ります。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。



個別指導塾「ドリームスタディ」設立物語

第四章 不安と戦いながら準備開始



2003年8月6日PM3:00。遂にその日がやってきました。この日は娘の「臍帯血移植」の日です。


この日ために、約5ヶ月間、抗がん剤やステロイドを使用して治療してきました。移植の直前には、白血球の値がほぼ0に近い状態まで厳しい治療を続けました。通常の人の白血球の値が5000~7000位で、多い人は10000位だそうです。白血球の値が低いということは、それだけ抵抗力がないので何かのウイルスに感染する確率がきわめて高くなります。私達が日常生活をしている空間にいると、ほぼ100%感染してしまうので、移植日の前日から無菌室に入りました。



この無菌室は、とてもとても辛い空間(部屋)でした。何が辛いのか?私たち親や先生が無菌室に入る時には、お医者さんが手術をするときのような格好をしないと、子供に触れることができないのです。この期間は、担当医・看護婦・両親しか入室できないし、入室する時には頭のてっぺんから足のつま先まで変身をしないといけないので、入室する人も大変だし、娘も「変な人が来るな~」という感じで見ていました。



自分の娘に、直接触れることができない!抱っこをしてあげることもできない!声をかけたり、ご飯をたべさせるのもビニール越し!今でもこの時のことを思い出すと胸が痛みます。



臍帯血移植(骨髄移植を同じ)というのは、基本的には点滴と同じです。私は不思議で今でもよく分からないというのが正直なところですが、点滴のようにして入れた新しい血が、自然と骨髄に達して定着するそうです。移植というのは数十分で終了。あとは、新しく入れた臍帯血がきちんと着いてくれるかの問題です。



実は、ここからが一番大事な時期です。私達と先生は、この8月6日の移植の日を「新しい誕生日」と呼んでいました。それは、娘の血液型はA型。移植に使われる臍帯血はO型。しかも男の子だそうです。要するに、この日家の娘は血液型が変わる=もう一度生まれ変わる日だったのです。



さて、私は2002年8月31日をもって退社したいと上司に話をして断られたということを先程お伝えしました。その後もいろいろな形で止められましたが、最終的には8月31日で退社することになりました。残りの期間で、今まで私がやってきた仕事の整理と引継ぎをしました。私自身が抱え込んでいた仕事が結構ありましたので、大変な作業でした。そして、当時の私の部下にも事情を説明して、8月31日付けで退社しました。



その日のことを今でもよく覚えていますが、寂しい気持ちもありましたが、「ホッとした」という気持ちの方が強かったと思います。



そして、いよいよ新しいスタートです。


私の計画は    ➠2002年10月15日に会社を設立する。

           ➠2003年1月中旬に、塾の事務所開きをする。

        ➠2003年2月1日、本格的なスタート。

        ➠2002年中は、経営者としての勉強・マーケティングの勉強・ 心理カウンセラーの資格を取る・事業計画書を作成・資金集めなどをする。

        ➠いろいろな先輩経営者に会ってお話を聞く。

         ➠娘の病気が治るように最大限努力する。
             これに関連して、健康についての勉強をする。



このような計画を立てて、これを目標として新たなスタートを切りました。不安はありましたが、もう立ち止まることはできません。不安になったり、くじけそうになった時には、娘や妻ががんばっている姿を思い出すようにしていました。



2002年8月一杯で会社を辞めてからは、セミナーなどで出かける以外は毎日病院に行くようになりました。しかし、あまり早い時間に病院に行くと「あのお父さんは毎日来ているけど、仕事をしていないのかな?」と思われそうなので、わざと遅い時間に病院に行くことが多かったです。



そして、これは本当の話ですが、私が会社を辞めて毎日病院に行くようになってから、娘の移植後の経過がどんどんよくなっていきました。(多少大げさかもしれませんが・・・)



10月になると、待ちに待った退院の話が少しずつ出てくるようになりました。やっと大きなヤマ場を超えた時期です。ここまで来れたのは、妻のがんばりによるところが大きかったです。3月5日に入院してから毎日病院に通い、一生懸命看病をしてくれました。なんと皆勤賞です!これはとても凄いことで、多くの親(特に母親)は、子供より親のほうが参ってしまっていました。普段は多少のことでは平気な私も、1週間位ダウンした時期がありました。妻には本当に感謝しています。娘も妻もがんばっている!自分も塾のオープンに向けてがんばるぞ!こんな気持ちでした。





個別指導塾「ドリームスタディ」設立物語


第三章 私と娘の人生を変えた決断


2002年5月中旬頃、私はある決断をしました。今までもいくつか決断すべき時がありましたが、これ程私自身にとって大きな決断はなかったかもしれません。私は、2002年8月一杯で会社を辞めるという決断をしました。



私が会社員として勤めていた会社を辞めることは、周囲の人には相談をしませんでした。妻には、私が思っていることや、今後のことをしっかりと説明しました。妻は私の性格を知っていましたので、決めたからには何を言っても変わらないと思ったようです。恐らく不安だったと思いますが、私の意見に賛成してくれました。



周りの人に相談をしなかった理由は、もう私の意志は固まっていたので、相談というよりは報告という感じでした。会社を辞めようと思った一番の要因は、娘が一生懸命病気と戦っている姿を見て、私も挑戦してみようと思ったからです。



以前から独立して仕事をしてみたいとは思っていましたが、いつも何らかの言い訳や、できない理由をつけて行動していませんでした。娘や妻が前向きにチャレンジしている姿を見て、私自身もやるしかない!という気持ちになっていました。不安はありました。恐怖心もありました。それでも、その不安や恐怖心より「夢・希望・目標」の方が何十倍も上回っていました。



2002年5月中旬に会社を辞める決断をしてからは、自分の気持ちが固まったからだと思いますが、気持ちが楽になりました。そして、8月に会社を辞めるまでの残り約3ヶ月間、今までの集大成としてがんばろうと思いました。前向きな気持ちで仕事はしていましたが、どうしても会社を辞めてからのことが気になってしまうのと、娘の治療がかなり厳しい段階に入ってきたので、精神的には辛い日々が続きました。



さて、会社を辞めることは決めましたが、もうひとつ大きな課題がありました。そもそも、この大きな課題をクリアしないと、会社を辞める目的がなくなってしまいます。その課題とは、当然のことですが、会社を辞めて何をするのか?ということです。



私は、迷わず学習塾の仕事をはじめようと思いました。学習塾の仕事をはじめようと思った理由は2つあります。



 元々、家庭教師の派遣の仕事をしていましたので、教育産業には興味がありました。そして、教育業界の様子もわかっていました。今までの経験も活かせるというメリットもありました。


 自分の子供の病気を通して、更に子どもと接する仕事がしたいと感じました。


他にも細かい点をあげれば、いくつか学習塾の仕事をしようと思った要因がありますが、主に上記2つの理由がありました。



私は週に4日から5日、大学病院の小児病棟に通いましたが、夜7時という時間がとても悲しい時間でした。小児病棟には、小児ガン・脳の病気・心臓病・白血病など、本当に大きな病気にかかっている子ども達が入院していました。その病院は完全看護の病院だったので、面会出来る時間は夕方4時から夜7時まででした。



この短い時間の中で、子どもの面倒を見たり、コミュニケーションを取る必要があります。入院している子どもにとって、この時間は一日の中で一番楽しみな時間なのです。お父さんやお母さんとお話をしたり、絵本を読んでもらったり、我がままを言ってみたり、ご飯を食べさせてもらったり。



私達大人もそうですが、何か楽しいことをしているときは、時間があっという間に過ぎてしまいます。入院している子ども達にとって、この面会時間はあっという間の時間です。夜7時、面会に来ていたお父さんやお母さんが帰る準備を始めると、必ず誰かが泣き始めます。そうすると他の子どもも自分の親が帰ることに気づき泣き始めます。この泣き声を聞くと、親も悲しくなります。



私の娘は、入院当初は親が帰ることに気づいていませんでしたが、入院2ヶ月目位からは分かるようになり、私達が荷物をまとめて帰ろうとすると「抱っこ抱っこ」と言って泣くようになりました。


これがとても辛い。このように泣かれて分かれるのが辛かったので、6時50分位に娘が寝付くように、私の妻はいろいろ工夫をしていました。



このような経験を通して、子どもと関わる仕事がしたい!そして、多くの子どもの笑顔が見たいと強く思うようになりました。

 

会社を辞めるのは決めましたが、当然その前にしなければいけないことがあります。それは、会社の上司にきちんとお話をして、その上で辞表を提出するという大事な作業です。会社を辞めるときに、こんなに勇気とエネルギーがいるとは思いませんでした。今冷静に考えて見ると不思議な話ですが、上司に「子どもの病気の関係で、会社を8月一杯で辞めたいんですが」と最初に伝えたときに、ハッキリと「君は駄目だ」と言われました。あまりにもハッキリ言われたので、その後なかなか言葉が出ませんでした。




娘の治療の方は検査の結果、染色体に異常があるということで、なるべく早い時期に骨髄移植か臍帯血移植が必要だということになりました。更に、①乳幼児で体力がないのでもつかどうか ②移植が上手くいっても5年生存率は極めて低い・・・と言われました。またまたショックでした。移植は必要ですが、その前にドナーがいるかどうかという問題がありました。



赤血球に型があるように白血球にもHLAという型があるようで、私達夫婦のHLAの検査をしましたが、娘とは型が合いませんでした。(親子のHLAの型はほぼ合わないそうです。説明すると長くなるので省略させて頂きます)他にも調べましたが、骨髄移植では、うちの娘に合うものはありませんでした。



その後、臍帯血移植であればうちの娘に合う型があるという報告を受けました。しかも、ここ数年のデータを見てみると、骨髄移植より臍帯血移植の方が再発の確率が低いということを先生から教えて頂きました。



骨髄か臍帯血の移植ができなければ、うちの娘の命はありません。やっと、臍帯血であればうちの娘に合うドナーがいると報告を受けて、少しは気が楽になりました。



臍帯血移植の日は、2002年8月6日PM3:00に決定。



会社を辞める決断。学習塾の仕事で独立をする決断。娘の臍帯血移植の日が決定。この時点で、娘が病院に入院してから半年くらいが経っていました。まだこの時期は、長く暗いトンネルの中にいるような状況でした…。

















こんにちは。相模原市南橋本にある個別指導塾「ドリームスタディ」

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