個別指導塾「ドリームスタディ」設立物語
第三章 私と娘の人生を変えた決断
2002年5月中旬頃、私はある決断をしました。今までもいくつか決断すべき時がありましたが、これ程私自身にとって大きな決断はなかったかもしれません。私は、2002年8月一杯で会社を辞めるという決断をしました。
私が会社員として勤めていた会社を辞めることは、周囲の人には相談をしませんでした。妻には、私が思っていることや、今後のことをしっかりと説明しました。妻は私の性格を知っていましたので、決めたからには何を言っても変わらないと思ったようです。恐らく不安だったと思いますが、私の意見に賛成してくれました。
周りの人に相談をしなかった理由は、もう私の意志は固まっていたので、相談というよりは報告という感じでした。会社を辞めようと思った一番の要因は、娘が一生懸命病気と戦っている姿を見て、私も挑戦してみようと思ったからです。
以前から独立して仕事をしてみたいとは思っていましたが、いつも何らかの言い訳や、できない理由をつけて行動していませんでした。娘や妻が前向きにチャレンジしている姿を見て、私自身もやるしかない!という気持ちになっていました。不安はありました。恐怖心もありました。それでも、その不安や恐怖心より「夢・希望・目標」の方が何十倍も上回っていました。
2002年5月中旬に会社を辞める決断をしてからは、自分の気持ちが固まったからだと思いますが、気持ちが楽になりました。そして、8月に会社を辞めるまでの残り約3ヶ月間、今までの集大成としてがんばろうと思いました。前向きな気持ちで仕事はしていましたが、どうしても会社を辞めてからのことが気になってしまうのと、娘の治療がかなり厳しい段階に入ってきたので、精神的には辛い日々が続きました。
さて、会社を辞めることは決めましたが、もうひとつ大きな課題がありました。そもそも、この大きな課題をクリアしないと、会社を辞める目的がなくなってしまいます。その課題とは、当然のことですが、会社を辞めて何をするのか?ということです。
私は、迷わず学習塾の仕事をはじめようと思いました。学習塾の仕事をはじめようと思った理由は2つあります。
① 元々、家庭教師の派遣の仕事をしていましたので、教育産業には興味がありました。そして、教育業界の様子もわかっていました。今までの経験も活かせるというメリットもありました。
② 自分の子供の病気を通して、更に子どもと接する仕事がしたいと感じました。
他にも細かい点をあげれば、いくつか学習塾の仕事をしようと思った要因がありますが、主に上記2つの理由がありました。
私は週に4日から5日、大学病院の小児病棟に通いましたが、夜7時という時間がとても悲しい時間でした。小児病棟には、小児ガン・脳の病気・心臓病・白血病など、本当に大きな病気にかかっている子ども達が入院していました。その病院は完全看護の病院だったので、面会出来る時間は夕方4時から夜7時まででした。
この短い時間の中で、子どもの面倒を見たり、コミュニケーションを取る必要があります。入院している子どもにとって、この時間は一日の中で一番楽しみな時間なのです。お父さんやお母さんとお話をしたり、絵本を読んでもらったり、我がままを言ってみたり、ご飯を食べさせてもらったり。
私達大人もそうですが、何か楽しいことをしているときは、時間があっという間に過ぎてしまいます。入院している子ども達にとって、この面会時間はあっという間の時間です。夜7時、面会に来ていたお父さんやお母さんが帰る準備を始めると、必ず誰かが泣き始めます。そうすると他の子どもも自分の親が帰ることに気づき泣き始めます。この泣き声を聞くと、親も悲しくなります。
私の娘は、入院当初は親が帰ることに気づいていませんでしたが、入院2ヶ月目位からは分かるようになり、私達が荷物をまとめて帰ろうとすると「抱っこ抱っこ」と言って泣くようになりました。
これがとても辛い。このように泣かれて分かれるのが辛かったので、6時50分位に娘が寝付くように、私の妻はいろいろ工夫をしていました。
このような経験を通して、子どもと関わる仕事がしたい!そして、多くの子どもの笑顔が見たいと強く思うようになりました。
会社を辞めるのは決めましたが、当然その前にしなければいけないことがあります。それは、会社の上司にきちんとお話をして、その上で辞表を提出するという大事な作業です。会社を辞めるときに、こんなに勇気とエネルギーがいるとは思いませんでした。今冷静に考えて見ると不思議な話ですが、上司に「子どもの病気の関係で、会社を8月一杯で辞めたいんですが」と最初に伝えたときに、ハッキリと「君は駄目だ」と言われました。あまりにもハッキリ言われたので、その後なかなか言葉が出ませんでした。
娘の治療の方は検査の結果、染色体に異常があるということで、なるべく早い時期に骨髄移植か臍帯血移植が必要だということになりました。更に、①乳幼児で体力がないのでもつかどうか ②移植が上手くいっても5年生存率は極めて低い・・・と言われました。またまたショックでした。移植は必要ですが、その前にドナーがいるかどうかという問題がありました。
赤血球に型があるように白血球にもHLAという型があるようで、私達夫婦のHLAの検査をしましたが、娘とは型が合いませんでした。(親子のHLAの型はほぼ合わないそうです。説明すると長くなるので省略させて頂きます)他にも調べましたが、骨髄移植では、うちの娘に合うものはありませんでした。
その後、臍帯血移植であればうちの娘に合う型があるという報告を受けました。しかも、ここ数年のデータを見てみると、骨髄移植より臍帯血移植の方が再発の確率が低いということを先生から教えて頂きました。
骨髄か臍帯血の移植ができなければ、うちの娘の命はありません。やっと、臍帯血であればうちの娘に合うドナーがいると報告を受けて、少しは気が楽になりました。
臍帯血移植の日は、2002年8月6日PM3:00に決定。
会社を辞める決断。学習塾の仕事で独立をする決断。娘の臍帯血移植の日が決定。この時点で、娘が病院に入院してから半年くらいが経っていました。まだこの時期は、長く暗いトンネルの中にいるような状況でした…。