理由①
どうして心理の世界に入ったのかと良く聞かれることがあります。
『理由は特にないです。あるとすればそうしたかったからです』
「いや、聞いてるのはどうしてそうしたかったということでしょう?」
単純な理由では物事を納得出来ないことが良くあります。
「いや、だから過去にカウンセラーに相談してすごく助かっただとか、自分で辛いことを乗り越えただとか、そういうのはないのかね?」
『いや、本当にそういうのないんです。あなたにとっては納得が行かないかもしれませんが。』
こんな風に会話をしてしまうとせっかく僕に興味を持ってくれた相手との関係が崩れてしまいますので、僕は相手が納得しそうな理由を過去の経験から見つけ出して話すことにしています。
『高校時代に自分のことがわからなくなった時期があって、自分の心にそして人の心に興味を持ちました。また同時に人を助ける仕事をしたいと思っていたので、心理を学んでカウンセラーとして人助けをしようと決めました』
大抵の人は上の様な理由を聞くと大変満足気な顔をして
「なるほど。いい決断だよ。」
などと納得をします。
でも本当はそれだけではありません。そしてそれらは本当は関係がないのかもしれません。「そうしたい」と思う理由なんて複雑な心理の中では確かに分かるすべはありません。
だからといって上の様な理由は全く関連のないでたらめだというわけではありません。記憶の中から相手の納得しそうな理由を見つけ出したとしても、結局は自分が納得しているから相手が納得するだろうと思うわけです。
またそういう質問をする相手にとっては、単にその答えを知りたいだけではなくて、そう理由付けて今まで生きてきた人生を語る僕の人生の捉え方を知りたいという動機もあるのだと思います。そんな動機など意識している人はたぶん多くはないとは思いますが、意識しているにしろしていないにしろ相手には伝わってしまうものです。
どうして?と聞かれたら、特に自分の人生の選択などについて、それは相手が自分のことにとても興味を持っている証拠だと言っても言い過ぎではありません。どうして?を聞くとき相手は単にその理由を知って納得をしたいだけではなく、もっと大きなことを知ろうとしているということ、僕は肝に銘じ人とかかわりたいです。
Alice! 夢分析 (8) 「ユング」
うむ、今回は少しこじつけ的な気がしますが、なかなか熱のこもった良い議論をされていますね。しかしながら前提があまり正しくないと思います。果たしてアリスはホントに同性愛者なのでしょうか(繰り返します)?
なにを寝ぼけている。というかいい加減にしなさい、エロス・フロイトよ(繰り返しじゃ)。
何を貴様!?誰だ (いちいち繰り返さんでもいいじゃろて!!)!?
ま、まさかぁ・・・その口調は…(※13)「ユング」!!?
いかにも、私がその猥褻な脳味噌から生じた馬鹿げた分析を訂正してあげようではないか!これは集合的無意識、つまりユニバーサル・コンシャスネス、の現れにすぎないではないか。すなわちアニムスだよ。アリス嬢の無意識に存在する男性象徴が性交を願望したにすぎない些細なことではないか。それを同性愛者などと、馬鹿馬鹿しい !
何がアニムスだ。お前は患者の夢をこじつけ的に神話と重ね合わせただけじゃないか。何が神話だ!神などおらん!我々は性行を求めて生きているだけの存在だと言うことを理解せんのか!?
何をこのエロじじい !!
っていうかお前もじじいじゃろ!?
でもエロくないもん
盲信者が、それとも妄信か?げへげへげへ
ええい止めい!アンネさんの名声が落ちるではないか、そんな下品な笑い方をして!
っつーか、お前、我が娘、アンネに惚の字だろ?(死語、ですね)
なななな?なんてことを !
げへへ、それは否認だ!
いきなりの登場ですが、ユング博士もフロイト博士もどっこいどっこいです。彼らにはこの世で終わらすことの出来なかった仕事を、相手を論破することですね(というか口喧嘩です)、勝手にしていただいて未練なく安らかに眠っていただきましょう。 アリスの分析に戻ります。アリスは鍵がドアを開くためのものだ、と知っていました。特定のドアです。鍵とは結果を確実に導きださせるハズの物の象徴であると言えます。例えば水を飲むと乾きが癒える。パンを食べると空腹感が消える。この種の因果的(原因と結果)つながりです。そしてアリスにとって鍵に関連して特別な経験がないかぎり、鍵は何かの解決を促す道具、または行動、そして人物となります。
ですから僕は以下のように考えます。扉で閉ざされたその状況はアリスの現在の心理状態であり、鍵はその状況を一変させてしまう、とアリスが知っているのもだと。そう、希望です。希望を抱けばアリスのネガティブな心理状態も一変してしまいます。具体的に言いますと、鍵とは希望を抱かせてくれる奇跡です(金という色が、鍵が価値のあるものである、といことを示しています)。この幻想的な考えは、幼い認知発達の時点で頻繁に起きる心理現象です。この時点の認知能力として、魔法的な力を信じたり万物を人格化した視点で知覚します。ですから非現実的な力に自身の救済を願望していると言えます。また、テーブルにのっている(簡単に手に入る)ということは奇跡は努力なく手に入れられるものである、という怠惰な正確の現れだと分析できます。
(※13)カール・ユング:フロイドの弟子で精神分析から独自の視点であるユニバーサル・コンシャスネス(集合的無意識)などの考えを築き上げました。
ロッキーⅡ!!
ロッキーⅡを見ました。僕にとって前のコメントだけで片付けてしまえる程度の映画じゃなかったと思い直し、書き直しています。
ロッキーは何度打たれてその結果倒れても立ち上がります。映画だからそうなんだけど、僕の中でずっと引っかかっていました。「映画だから」と納得はいくものの、納得出来ていない自分がいました。ボクシングじゃないけど、同じ格闘技をやっている自分には納得がいかないはずはありません。打たれると痛いし、ボディーなんて入っちゃうと立ち上がることすら出来ません。でもロッキーは立ち上がっていて、それが超現実的なことではない、と感じずにはいられませんでした。
それが忍耐だってことに気が付くまで時間はかかりませんでした。ただ僕にとっての忍耐とは痛みに耐えることや、自分の体力の限界ぎりぎりのところで持ちこたえることではなかったので、すぐには気が付きませんでした。
ロッキーを見てから自分の中で変化が起きました。僕は特別忍耐がないと言うわけでもなかったのだけれど、痛みを感じやすく、また体力が切れるとへばってしまいがちでした。意気地なしだと自分では思っていました。でもロッキーが耐える姿をみて、辛いところで頑張れるのが忍耐であると頭の中で存在していた忍耐力への価値観と耐えることとがつながったのかもしれません。自分でも信じられないほど痛みを感じないし、息が切れて体が重くなってきても動けるようになりました。
そんなこともあり、すっかりロッキーのファンになってしまいました。今年12月にアメリカで上映されるロッキーの最新作、日本に上陸するのが待ち遠しいです。







