前回のエントリーに引き継ぎ,去る令和6年に退陣した岸田内閣の業績と,退陣に至った様々な要因について申し述べて参りたい。岸田関連のエントリーは今回が2度目となります。最高権力者の評価は,よく「歴史法廷に委ねられる」といいますが,退陣し半年になろうとしている今だからこそ冷静な評価ができるかと思います。












前回のエントリーでは,退陣した岸田文雄前総理(地盤は広島天政会(笑))の最大の功績は小泉政権から続く他国間防衛の枠組みの深化,それも中国🇨🇳の脅威に同じように直面するフィリピン🇵🇭を事実上の準同盟に引き込むことに成功したことです。では対比で見られた準同盟の枠組みを他のアジア諸国に広げ,かつ,これは石破さんの持論ですがこれをヨーロッパにおいて,冷戦期にはソ連邦を,そして現在では対露抑止を想定したNATO(北大西洋条約機構)のような塊に発展できるかと言えば,それは夢物語です。今エントリーでは,石破さんが掲げるアジア版NATO(仮にあり得るとしたら,北太平洋条約機構か…)が,どう現実的でないのか。そして岸田前総理大臣の求心力がどのような形で失われるに至ったのか,その理由について解説して参ります。






【石破さんの「アジア版NATO構想」は何故現実的ではないのか?!】




















まず初めに,私自身は一貫して石破総理大臣には批判的な立場です。実際令和6年の総選挙では小選挙区も比例も自民党には票を投じなかった。私自身は,安倍以前は渡辺喜美氏の旧みんなの党を支持していましたが,その時でさえ2票の内の1つは自民党に投じてはいました。まさか旧民主党に入れるわけにイカンしね… 私と似たような投票行動をとった人は割と多くて,比例票に目を転じると安倍政権に比べ400万〜500万ほど自民党から票が離れた計算になる。私が石破さんに対してどう思っているかについては,これはもう2度とやるつもりはありませんが,旧Twitter時代からほんの少しはいるでしょう,私の言説をご覧になられている方にとっては今更申し上げる必要はないかと思われます。

石破さんを決して支持できない理由として,石破さんが持論とするアジア版NATOの構想が第一に指摘できるかと思います。その構想がどう現実的でないかは,中国を取り巻く地政学と,中国史それもかつての華夷秩序に目を転じることでその一端が窺えると思います。

「中国」,読んで字の如く世界の中心で咲き誇る国。その中国の歴代朝廷を中心とする形で長らく維持されてきた「華夷秩序」。歴代朝廷を主君とする傍ら,方や臣従と朝貢を伴えば所領は安堵される,多分に指定暴力団を思わせる構造だが,この点は臣従すれば所領が安堵されることが保障されている分,歴代朝廷の統治構造は幾分穏当だと見ることもできる。戦火に領民を巻き込まないことも立派に為政者の知恵なのだから…これが露の歴代朝廷だったならば,有無を言わさず根こそぎ奪う形になっていたであろう。

華夷秩序を巡る周辺諸国の「間合い」を巡っては濃淡ある。その最も極端な例が朝鮮半島であろう。これは朝鮮の3国時代に遡るが.高句麗,百済,新羅のこの3国の内,最も国力が弱かったのが新羅になる。その新羅が崩壊過程に入った際,生き残りの為に切ったカードが唐への恭順になる。単独での高句麗攻略に難航していた唐と,藁にもすがる心境だった新羅の利害が一致した方での「親子の盃」になる。その甲斐あって新羅は,これまでの劣勢がウソのように百済,高句麗を瞬く間に滅ぼしてしまう。龍の代紋の力は圧倒的,だったわけですね。

ただし,恭順に伴う代償は高くつくことになる。その代償として新羅は儒教の観念を背景とした中国の姓の制度,同姓不婚の原則,そして決定的だったのは中国の歴代朝廷が用いていた元号をそのまま使用することを強いられたことだ。中国の朝廷の元号を自国に適用することの意味は,中国の朝廷に永久に臣従すると言うこと。この判断は無論,全てを失わない為の究極の生き残り策で.地政学的に大陸と日本の狭間にある朝鮮半島が強いられる悲劇でもあるのだが,その結果生まれにくいのは自国独自の文化だ。その屈折した感情が反映されているのが北朝鮮🇰🇵の「主体思想」で,ここでいう主体は中国に対しての主体ですよ。










一方で同じ周辺諸国でも,隣国ヴェト•ナム🇻🇳は全く事情が違う。11世紀に発足した李朝は形式的には恭順しているものの,国内的にははっきりと「皇帝」を名乗り朝貢にしても多分に形式的,







「形だけだよ,カスリの上納金さえしっかりしてりゃあ文句ないだろ」







の関係でした。これは当時中国を支配していた朝廷が北宋であり,その支配体制は文治主義であったため緩く北東アジア情勢は流動性を帯びていたことに起因します。同時期に勃興した西夏にしてもやはり皇帝を名乗っていた。その意味では北東アジアの理想的な政治状況は11世紀になりますかね…これが13世紀になると北ヴェト•ナムの朝廷は陳朝になります。

そして国内向けにははっきりと大越国皇帝を名乗っている以上,陳朝にとって譲れない一線こそが中国の皇帝に対する「拝謁」だったわけです。この拝謁が一線である理由は,これをやれば独立国としての存立が失われる他,公的な形での土下座を意味する。支配体制が緩い南北宋朝の時代はその限りではなかったが,南宋を滅ぼし日出の勢いだった元は傍若無人そのもの,はっきりと拝謁を要求してきた。この強圧的な理由が戦火を交えることに繋がる。驚かれされるのはここからで,大越国•陳朝は3度に渡り元軍を撃退している。日本元寇を撃退したのとほぼ同時期の出来事です。

その意味ではヴェト•ナムは🇻🇳人類史上最強とも言えるのです。同国はまず地形が良い,密林に次ぐ密林で大軍が攻め込めない上,気候は亜熱帯の為寒暖の差が激しい。元軍も米国もそれに苦しめられた。言わば国土自体が一種のキルゾーンなのである。そして79年には「懲罰」と称し進軍してきた解放軍もそれで撃退した。

一方で,そのヴェト•ナムも,陸戦では無双である傍ら,海戦においてはその限りではなく,88年の南沙諸島を巡る海戦では中国側が大勝をしている。現在ではその差は比較にならないほど開いていることは想像に難くない。従ってヴェト•ナムの中国🇨🇳との間の取り方は一筋縄ではいかない。しかも南沙諸島を巡る領有権が依然横たわっている以上,容易な西側への接近は中国に付け入る隙を与えかねない。当然,歴史的経緯を考えても米国が乗り出すことが容易でないのが同国になる。ヴェト•ナムと同距離を取るか,だけでも石破さんの言うアジア版NATOは吹っ飛ぶ話になるんですよ。あんたは段階論ってものを知らないのかと…😩

そうではなく,同国を巡っては防衛協力を少しずつ進める形で深化を進め,米国🇺🇸との橋渡しをして行くことが賢い。そしてその試みは9年前から実は行われている。石破さんがそうした経緯を知らないのは,石破さん自身が防衛大臣の申し出を受けなかったからである。












【中国は🇨🇳仁義なき戦い,露は🇷🇺必殺である】












その華夷秩序は中国の本土を中心とする形で4つの概念から構成される。北の,それも万里の長城以北の「北狄」,西の,これも西涼以西の「西戎」,東は「東夷」でこれは無論我が国を指す,そして南が「南蛮」ですね。この東西南北の概念は我が国にも持ち込まれ,16世紀になりポルトガル🇵🇹人,スペイン🇪🇸人が相次いで到達した際,彼らを当初「南蛮人」と称したのは,彼らが南から現れたことに起因する…。

そして,中国の歴代朝廷,それも戦後も一貫して脅威であり続けたのが華夷秩序の上段部分に挙げた「北狄」になります。それも長城以北の異民族の朝廷で,長城以北は無論寒冷で農業に適さないことから,諸民族は騎馬民族であり,興亡を勝ち抜いた民族は恐ろしく強い…

これは中国から日本に帰化された石平さんなどが度々口にされていることですが,そして長城以北,西涼以西は「歴史的中国」とは言えない。そうではなく14世紀の明の版図が本来の歴史的中国だと言える。その石平さんは,先ごろ維新の会から来たる参議院選挙への出馬を表明していたが,心無いネットリンチによって出馬断念に追い込まれた。心無い意見の中には帰化1世は出馬してはならないなどと言う,モノホンの差別発言も見られた😩

心無い発言は主として保守党の支持者で,この背景は,これまで友好関係にあった日本保守党ではなく維新から出馬となったことに対する保守党界隈からの「裏切り者認定」が原因である。保守党界隈が石平さんを裏切り者認定した理由は,同氏が百田氏の












「30超えたら子宮◯出や!」



















発言に諫言したことがその理由で,真っ当な意見をこのように封殺する政党に未来はない。私自身,参院選を巡っては石平さんは選択肢の一つだった。それを考えても出馬断念に追い込まれたこの1件は本当に腹立たしい😡















件の北狄論に話を戻すと,10世紀においてはそれが遼であり,この頃になると長城以北にも漢民族と肩を並べる勢力が台頭し始める。ちなみに遼は民族名の契丹から,露においては中国のことが「キタイ(キリル文字ではこう書く,Китай)」と称される。12世紀に入ると遼に代わって金が台頭してくる。そしてこの金に,中原を支配される屈辱を強いられることになる。世に言う「靖康の変」である。そして13世紀になると,金に代わって台頭してくるのがあのモンゴル🇲🇳で,これが第二次対戦後になるとその脅威が今度はソ連となる。

そして,従来農業に適さない寒冷の地に根を下ろす勢力は,起こりの部分が「持続可能な社会」(この持続可能と言う言葉も私は好きではないが)ではない為,収奪する文化が育まれ,人間をより残酷にする。↑上記の諸勢力に共通するキーワードは「性暴力」である。その代表例が,開封陥落後に金国が設けた洗衣院になる。これはあまりにもその実態が非人道的である為詳細は割愛するが,これは北宋の女性皇族及びその寵姫が開封陥落後に性奴隷とされたことを指す。そしてその性暴力の末に命を絶った女性は1人や2人ではなく,この金国の暴挙こそ人類史上最悪の性暴力になります,こうした議論は歴史を断罪すると言うもう一つの愚に陥る危険性がある為,議論は慎重であるべきですが,それを差し引いたとしてもあってはならないことです…











私はよく中国史のことを「仁義なき戦い」,対する露史のことを「必殺」だとよく申し上げているが,ここで言う>「露史」には広義の意味として,金国やモンゴルも含めて良いと思う。仁義なき戦いはまだ構想の激化に苦悩する極道が少なからず登場する傍ら,必殺のそれはもっと生身の暴力。それも性暴力を意味する。そして中国人が規範とする儒教の考え,それも儒教の中核である「有徳の精神」を醸成させたのは,思うにこの北からの脅威ではないか?! 女性やこどもであっても平気で手を下すあんな外道と一緒にされたくない気持ちが…

以前のエントリーで私は,頼朝や維新の際のケイキさんの行動原理は,生母が誰かを推察すれば8割型理解できると申し上げました。あまり宜しくない表現ですが,彼らの背景にあったのは,





「あんな下等生物と一緒にしてもらっちゃ困るよ,あんな下等生物と」





になります。ならば中国の多数派である漢民族を突き動かしてきたは,






「あんな外道どもと一緒にするな!」






になります。そして儒教の有徳論で言えばですが,私などが想起させられるのは,先に農家の人たちに対する差別発言で失脚した前の静岡県知事の川勝氏になりますね… 氏が旨としていたのが,この徳の観念になる。実際.同氏は渡来系の日本人の末裔で平成中期には「富国有徳」と言う自著を上梓している。同著は亡くなられた竹村健一先生などからも絶賛されていましたが,当人が1番徳の精神から程遠い人格だったことは何という皮肉か…😩











【中露の接近,有史以来初めて消えた北からの脅威】












話を中国に戻したいと思います。戦後の中国とソ連との関係は,共に共産主義を世界に広める「同志」だと思われがちですが,全く違います。実際には同志などとは程遠い関係で,69年には中朝国境で長らく係争にあったダマンスキーを巡り,核戦争一歩手前まで行った。傍目には一枚岩だと思われがちな共産陣営は,内側を覗いてみれば対立などと言う表現では言い表せない程の認識の違いがある。これは,日本の左翼運動を事実上自壊させたあの浅間山荘を見てもそうではないですか。あの凄惨な内ゲバ自体,











「バカヤロー,女である前に闘士だろうがっ」






のこんな難癖から始まってるんですよ…😩

ちなみに第二次対戦後,人類が核戦争一歩手前まで行った瞬間が少なくとも3度ある。一つが62年のキューバ危機,2つ目が先に挙げたダマンスキー紛争,3つ目がこれは一般には殆ど知られてはいないが,83年の11月にNATOが対ソを想定し実施した大規模演習・Abel Archerになる。正確には,Abel Archerを西側による核攻撃の準備と受け取ったソ連が核迎撃の構えを取ったことを指す。こうして見てみると人類は言わば水際で核戦争を回避していたことがわかる😰












ソ連側が核迎撃の構えを見せるほど張り詰めていた背景には,83年の9月には同国はあの大韓航空機撃墜の挙に出ていたこと。その為米ソ両国の緊張はこれまでにないほど高まっており,その中での正面衝突の危機だったことがわかる。その意味では件のAbel Archerは大韓航空機事件の延長だと理解を頂ければ幸いです🙏 その3度目の核戦争危機が,一転して緊張緩和に進み,今までの対立がウソのように遂にはソ連邦崩壊にまで至るのは,強硬路線を主導していたアンドロポフが翌84年に亡くなったことですよ。そしてソ連邦がはっきりと西側への接近を明確にすることになるのが,その翌年の85年。理由は明白,ゴルバチョフ,シェワルナゼの2人がこの年を境に表舞台に立ったからですよ。

一般に旧ソ連の強硬路線を主導していたのはブレジネフだと思われがちですが,実際に主導していたのはアンドロポフ。ソ連邦崩壊の引き金となった最初のアフガン戦争にしても主導したのはアンドロポフで,ブレジネフはむしろ慎重でした。その意味ではかつての朝鮮戦争がスターリンの死で幕が引かれたのと同様,冷戦構造もまたアンドロポフの氏が始まりだったと言えます。そして同じことはやはり大義も正義もないあの戦争にも言えて,同侵略戦争が本当に集結する日は,あの“戦争犯罪人”の不在を以てしか幕が引かれないのだと…


















そして,重要なことはここからなんですよ。一時は核戦争一歩手前まで行った中ソ両国が80年代に入るや,緊張緩和に進み,これが今や戦争犯罪人である“あの男”が城塞会2代目会長🇷🇺に就任すると真っ先に行ったことは中国🇨🇳との関係を深化させたこと。2001年に中国との間で中露善隣友好条約を締結させたことを皮切りに,2004年には両国間にとって障害だった国境線確定も実現させた。北方領土より先に中露が国境問題を解決させたことの衝撃は計り知れず,露はこれによりソ連邦崩壊以降も進んでいた勢力圏の後退に歯止めをかけることに成功し,中国は有史以来初めて北からの脅威に直面することがなくなった。この両国が2000年代以降,目に見える方で凶暴性を帯びてきたことは肌感覚で実感されておられる方は多いでしょうが,その理由は1にも2にも2004年の国境線確定です。一時は核戦争一歩手前まで行った両国が鉾を収めたことは,お互いが構えていたその矛先が別の国に向けられることを意味する。露の矛先は実際東から西へと向いた。その意味で中露の国境線確定はウクライナ侵略戦争の伏線ともなっているわけです。

同国境線の最終確定が同年の10月,それに対してバルト3国がNATOに加盟したのは同年の3月。そう考えると,バルト3国は寸でのところで戦火に晒されることを免れたと言える😰 NATO加盟が少しでも遅れた世界線を想像すれば,ウクライナよりも先に標的になっていたのはバルト3国だったことであろう。プーチンは現実に,ウクライナ同様にバルト3国の独立も認めていない。










そして,北狄同様,歴代朝廷にとって頭痛の種だった西戎,この場合古くは羌族が代表例で,その意味ではあの三国志の時代は厳密には彼らを加えた四国志,五国志と言うのが正確ではないかと思います。その西戎は,今ではさながら“西従”の様相だ…。その一例が,“相棒”のはずの城塞会🇷🇺が自ら仕掛けたウクライナ侵略戦争で底なし沼に陥る傍ら,かつてのソ連邦構成国がどのような態度をとり始めたか,だ(笑)。その一例が2023年5月に中国が西安(かつての長安)で開いた中央アジア5ヵ国との首脳会談になる。まるでハイエナのような野郎です(笑)…

私は以前,ウクライナ侵略戦争で最も実利を取った国は中国🇨🇳で,中国はこの戦争がどっちに転んでも悪い結果にはならないと申し上げたことがある。露が仮に「勝利」を収めれば1番良い。私はここで言う>「勝利」の定義がよくわからないのだが,最早ゼレンシキー政権の退陣やキーウ,ハルキウ,オデーサらの主要都市を窺うことは不可能である。ここでは「露に有利な形での停戦」と評することにする。仮に同侵略戦争が露に有利な形での停戦なら,連中が渇望する台湾🇹🇼併呑に近づくことになる。

そして露が敗北するシナリオが現実味を帯びたとしても,それは願ったり叶ったりで,そうなれば中露の狭間に位置する中央アジア5カ国は今でさえ中国にこうして靡いているのだ。台湾併呑はこの場合遠退くだろうが,その場合旧ソ連構成国だった件の5ヵ国は,露の手を離れ中国の事実上従属下に組み込まれるだろう。











とりわけカザフ🇰🇿などは中国が重視する一帯一路構想が披露された地であり,これはこれまでのエントリーでも申し上げているように現大統領のトカエフ氏は天安門事件当時に中国に外交官として赴任していた経緯から,露よりも中国とのパイプが強い。従って同国はウクライナ侵略戦争にも,その前段となった僭称国家承認にも同意していない。いざとなれば中国を頼みにできるからである。





【解散を決断できなかったことの政権の蹉跌】























冒頭でも申し上げたが,私は岸田政権の業績を評価している。それが何故,小泉や安倍に及ばなかったのかと言えば1にも2にも解散を決断できなかったことに尽きる。解散を決断できなかった総理は業績を抜きにどうしても弱い総理と見られてしまうのである😩 その点では業績は小泉や安倍に引けを取らなかった菅さんが僅か1年で退陣に追い込まれたことと同じで,菅さんを無念の人にしたのは1にも2にも地元・横浜での敗北です。業績があっても地元での敗北だけはどうにもならない…

時の政権を退陣に追い込むのは国政選挙というより地方やないし補欠選挙の結果です。そして岸田政権の失墜も同じ理由(これについては後述します)なのです。岸田氏は生き残るためには,絶対にこの補欠選挙の前に解散を打たなければならなかった…

その岸田氏が解散を打つタイミングとしては,在任中少なくとも2度機会があったように思われる。一つは地元選出の岸田氏自身が最も渇望していた広島サミットの成功。G7首脳を原爆資料館に招待し,ゼレンシキー招聘も実現した,通常国会閉幕での解散だ。仮に同年の通常国会閉幕と同時に解散していれば,議席は減少させるだろうが勝利は確実だっただろう。


















2つ目が同年秋の臨時国会開会のタイミングでの解散です。何故臨時国会の冒頭解散でなければならないかと言うと同年の10月22日には参院の高知・徳島の補選が控えていたこと。先に申し上げた補選とは.参議院合区の補選で,これに勝つ見込みは殆どなかったからです…↑投票直前の調査では全てのヴェクトルが広田氏を指している。

何より自民党は伝統的に高知ではそれ程強くない,ここは維新の頃からリベラル色が強い土地柄だからです。高知は維新以前,長曽我部系の武士(“戦国末期の長谷川豊(笑)”の流れを汲む,いわゆる郷士。あの坂本龍馬もその系譜に属する)が筆舌に尽くしがたい差別を受けていた経緯がある土地柄。従って支配と非支配というわかりやすい構図が伝統的にある。わかりやすい対立構図があるから,昭和63年には窪川原発の構想が断念に追い込まれている。平成頭に全都道府県で初めて,公務員の国籍条項を廃止したのも高知県になる。国籍条項廃止を巡っては当時,朝日新聞などリベラル媒体が礼賛した経緯がある…












もう一つが,立件ら野党各党が擁立した広田氏は野党にあって恐ろしく選挙に強い。氏はリベラル派だが,実父が県議を務め,自らも県議を経て国政に進出した経緯から地べたの選挙を経験している。その為,自民党が圧勝した“前川の逆恨み選挙”でも2万の差をつけ圧勝(大票田の高知市ではほぼ1万)している。それが令和3年には一転して落選に追い込めたのは,人気の高い前知事の尾崎氏を二階派が担ぎ出すことに成功したからである。あの二階氏が選挙の達人たる所以はここで,広田氏には通常であれば勝てない。

実際,同補選で自民党は広田氏に9万もの大差を付けられた上,大票田の高知市では3万票近い大差をつけられている。そして同県はリベラルだと申し上げましたが,そのリベラル票が同選挙では決定打になっている。ここでいうリベラル票とは共産党の強さ,です。これは直近の数字である令和6年の比例での結果だが,共産党が高知で獲得した11%という得票は京都に次いで2番目に高い。そして与野党一騎打ちなら,この大きな塊が野党統一候補に流れるということ。全国では眉を顰められる“立件共産党”もこと高知ではマイナスにはならないのである。

そして同補選において自民党が惨敗した背景としては,これがあくまで「高知県の選挙」に過ぎないからです。合区を強いられたことで代表を出せなくなった徳島の人にとってはこれ自体が面白くない話だ。それを裏付けるのが両県の投票率です。候補を出している高知は40.75%であるのに対し(これも高いとは言えないが),徳島は僅か23.92%,10人の内7人以上は投票に行っていない計算になる…😰

合区の一角である徳島側で全く組織が動かなかった理由は,代表が出せなくなったことに加え自民党県連のゴタゴタがある。その理由は同年春季に実施された知事選を巡り県連が3分裂を引き起こしたこと。しかも同選挙を巡っては勝つ見込みが全くなかった三木氏までが出馬を強行しており,3分裂を制御できなかった県連が,ならばどう戦えるというのだろう…

岸田政権を失墜させた要因は,自民党主要派閥の不記載問題だと思われがちですが,不記載問題は結果に過ぎない。岸田前総理の命運は令和5年の臨時国会で冒頭解散ができなかった段階で尽きていたのです。一連の検察捜査自体,もう任期中の解散はできないと見切った末に行われている。法務・検察は大体,勝てないケンカはしないものです。いや,不記載問題は,最早求心力の回復は覚束ないと悟った岸田氏が,これを逆手に取ったというのが正確な理解だと思います。これが結果的に話を不必要に大きくした😩 二階氏は引退に追い込まれ,清和会主要議員は解散後,無所属での出馬を余儀なくされた…

不記載問題の結論としては,結局は検察の無理押しですよ。彼らが企図していたのは清和会,二階派の事務総長経験者の立件,その為に地方にも応援要請をしながらそれができなかった。立件ができなかったからこそ洪水のようなリーク攻勢が来る。












【小泉は赤穂義士,安倍は正義党 ならば岸田は…】




































私は以前のエントリーで小泉元総理は“赤穂義士”,対する安倍元総理は“れいわ正義党”だと申し上げたことがある。

ここでいう>「赤穂義士」とは,小泉さんを突き動かしてきた原動力は何かということです。上野介のように,片方では何十人,いや何百人もの人たちを泣き寝入りさせながら,いざ地元へ帰れば素知らぬ顔で英雄面をしているこの手の「お山の大将」が大嫌いでならない。そして同じように,いざ地元へ帰ればお山の大将として長らく振る舞っていたのが田中派•竹下派の流れを汲む橋本派になる。小泉さんが度々口にしていた,「ぶっ壊さなければならない派閥論理」というのは,要は公共工事,道路,郵政を背景とした田中派型の利益誘導政治で,その本懐は見事にあの郵政選挙で遂げられたことになる。

しかもご自身の総裁選出馬を巡っても赤穂方式で,森元総理擁護を最後まで崩さなかったことから清和会全員が一致結束して支える構図が出来上がっていた。行動する時は一糸乱れず,大義を明確にし決して脇道に逸れない。ここからわかることは小泉さんは仁義は絶対に守る人だと言うこと。本質的なところで「情の人」であること。いや,小泉さんが仁義を守る人でなかったらあれだけの長期政権は維持できまい…。


















では,それに対して安倍がはれいわ正義党です。その意味するところは,要は“モノホンの過激派”だということです。これは決して悪口ではなく,モノホンの過激派だからこそ渡辺喜美氏のような何れ劣らぬ過激派と波長が合う(笑)。実際に正義党が力づくで主導権を獲得した経緯などは,暗闘などという言葉では言い表せない。

そして総裁選再出馬を巡る経緯は赤穂とは全く違い,自派でさえ実は一枚岩ではなかったこと。派閥が一致して安倍を推す状況でないとわかるや,力づくで政権を奪還する決意を固め,自身に付き従う中堅•若手議員を引き連れ外に活路を求めた。この考えは同氏が敬愛する高杉晋作と全く同じ。その筆頭格が江藤拓さんで,一般にはそれほど名前が知られてはいませんがここ10年の大臣経験者で1番仕事をしたのが江藤さんになる。平成24年の総裁選で安倍氏は,石破さんや“金目氏”に次ぐ3番手で1番可能性が低いと思われていましたが,その劣勢を覆したのがSNSを駆使した従来の票田ではない外への訴えで,これに最も手応えを感じていたのが江藤さんで,江藤さんはそれ程口数は多くない人です。その江藤さんが勝利を確信したのが,函館での遊説でこれを見て私も安倍陣営の勝利を確信したことを思い出します。そして先の総裁選で高市氏が石破さんに敗れた要因もここなんですよ。高市氏が勝つ為には,この江藤拓さんだけはどんなことをしても自陣に引き込む必要があったわけなんですが…

ちなみに吉良邸への討ち入りも正義党の決起も同じ12月14日です。最も後者の場合,周囲の説得に手間取り一日遅れることにはなりましたが,こうした細かな点も小泉•安倍が理想的な主従関係にあったことを物語る(^^)












私は以前のエントリーでそれとは対極にある会津藩は「日本一アイドルになりたい人たち」と表したことがあります。一方で正義党の人たちはそれとは対極的にロックをやりたい人たち。そしてアイドルになりたい人たちとロックをやりたい人たちというのは根本部分で肌合いが違う。だからこそ,当時の人たちの心情を歌った堀内孝雄さんは薩摩や土佐,会津の心情は歌えても長州だけは歌わなかった。いや歌えなかったという方が正確なのでしょう。そうではなく功山寺の楽曲は,やはりこれ↑(笑)。これは同様に本当は「CanCamのモデルさん」になりたくて仕方がなかったケイキさんが入り口部分で容保公と合わなかったことと同じ。












では,それに対して薩長に理解を示していた一部公卿,それも岩倉や三条実美はどうかと言いますとね,これは「JJのモデルさん」です(笑)。それも決して表紙を飾ることが許されないJJのモデルさんです。ここでいう>「表紙を飾れる」の意味は公卿の中でも序列ははっきりしており,表紙を飾る資格があるのは「五摂家」と呼ばれる藤原家の主流公卿です。近衛,鷹司,二条,九条,一条の5つの名家で,この近衛家の末裔こそが「英米本意の平和を排す」の近衛文麿になる。この男の暗愚性には,あの鳩山もあのおっさんも及ばない…😩

そして,岩倉や三条が討幕に向け突き進む背景は,彼らにはこれ以上出世の見込みがないからです。自らの才覚だけではどうにも…家柄を仮に学歴に置き換えれば,岩倉や三条は青学みたいなもんですよ。公卿の中にある厳格な序列が横たわる以上… そしてこの岩倉という男,我々が考えている以上に豪胆な男で,このJJのモデルさんが凄いのは酒は飲むはタバコはやるわ,おまけに下ネタをバンバンやって笑いをとるような人…でもこんな人が時代を作るんですよ😰












このように小泉が赤穂義士,安倍が正義党の系譜をそれぞれ受け継いでいるとすると,では岸田はどの系統に属するか?! 私は広島極道(笑)だと思う。これ,決して悪口ではなく,極道だから自身の派閥を平気でぶっ壊すことができる。AV新法や理解増進法では,党内のコンセンサスを経ない,あんな強権的な手法に出られる… とりわけAV新法における議論の進め方などは,小泉や安倍など比較にならないほど強権的だった。あってはならないことだ…

指定暴力団を考える際,その中身は大きく博徒系と的屋系に分類できるが,岸田さんは完全に博徒系の方ですよ(神農だろうと博打打ちだろうとよぉーの内の後者です)。











ところでその広島極道の中で「最後の博徒」と評される伝説的な渡世人に波谷守之という大親分がいる。この波谷親分を巡っては一般にはそれ程その名が知られていない。というのは,あの仁義なき戦いにモデルとなる配役設定がなされていないためで,第3次広島抗争が先鋭化する中,美能幸三,服部武の両親分を面子を立てる形で説得・引退の仲介をしたのは波谷親分になる。ちなみに仁義なき戦いとは別作品で波谷親分を演じられたのが松方さんで,松方さんはその意味でも広島抗争の総仕上げを演じきられてるんですね。

美能親分は引退後ホテル業で成功を収め,平成22年までご健在だったというから一角の人物だったのだろう。そして暴力団関係者というのは,方向性さえ誤らなければ同様に一角の人物になる。その意味では岸田さんは本来,侠客の気質だったというのは宜しくない表現だろうか… これ,決して暴力団を礼賛するわけでも岸田さんを貶めるわけでもなく…






それじゃあ言うといたるがのぉ,広島の政治家はイモかもしれんがのぉ,旅の風下に立ったことだけは一遍もないんで