こんにちは。
数字ってとても正確ですよね。
だから安心するってときもあるんですけど。
数字って人が介入しない限り裏切らないから。
曖昧と数字のお話。
もしもあの夕暮れに 値札がついたとして
高価なものになったら 人はその素晴らしさを
やっと認めるのでしょう
ハチミツ/Aqua Timez
この歌詞を見つけたときになんかなんとも言えない気持ちになったんですよね。
1つの夕暮れにしても
そこに思い入れのある人の夕暮れと
なにもない人の夕暮れとは
同じ夕暮れでも全然違うものだし
楽しいときに見る夕暮れと
悲しいときに見る夕暮れとじゃ
きっと見え方が違うだろうし。
同じものなのに
人によって違うなんて、なんて当たり前で面白いんだろうって思った記憶があります。
確かにそこに値札がついて
誰もが分かる値段という価値観で判断できたら楽なんだろうなって思うけれど。
ただ、ぼくは値札がついた瞬間にその夕暮れに価値はなくなっちゃう気がして。色褪せちゃう気がして。
夕暮れに値札がついてなくてよかったなあって思いました。
完璧に同じな価値観なんてどこにも転がっていなくて
同じだと思っていてもどこか違うところはあるはずなんです。
だからそのお互いの価値観のズレを擦り合わせるために
お金とか値段とか時間とか道徳とか言葉とか常識とか法律とか…そういうのが生まれたのかなって個人的には思っていて。
そりゃあ、そういう枠組みにいれれば誰もが認めざるおえなくなるかもしれない、その価値観を。
でも、その瞬間にそのものの触れ幅はなくなっちゃうんです。
あの夕暮れに
ぼくらがなにかを感じたあの瞬間に
平均値みたいな値札がついたら
どう足掻いたって他の値札と比べてしまうじゃないですか。
その平均値に浮き沈みしてしまうじゃないですか。
曖昧だから綺麗で愛おしい瞬間に数字なんて正確なものはいらないと思うんですよね。
曖昧で数字にできないからこそ綺麗なのに。
なんでどこかを基準にして数字をつけなきゃいけないのかなあとか。
今の気持ちを数字にすると何点ですか。
今日の出来は100点満点中何点ですか。
とかよく聞きますけど
どこを基準にその点数はつけられるんですか。
答えがあるわけではないのに点数なんてつけられなくて。
もし、ぼくが100点だと判断したとしてもみんなが100点だと思ってくれるとは限らないじゃないですか。
誰がその数字の妥当さを判断するんですか。
大多数の意見が正解ですか。
だとしたら、ぼくのあの夕暮れに値段なんていらない。
ぼくの夕暮れの価値はぼくだけ知ってれば充分だから。
そんな風に言ったら強がってとか粋がってとか言われそうですね笑
愛されたいと願った瞬間に
個性は失われて
万人受けしそうな
綺麗な濾過されたものしか作れなくなるなんて滑稽ですね。
なーんて笑
今日も文が纏まりません。
でした。
△れお△
- 前ページ
- 次ページ