draw-a-pictureのブログ
発達凹凸っ子と、こだわり夫と共に横浜に暮らすFiftyぷらす世代。

WISCの差が軽く40以上、非常に出来るところと非常に出来ないところが混在する子供に寄り添うため子育てと家庭維持に全ての力を注ぐも、右往左往いつも何処かを迷走中。

小学校付き添い登校を経てらくらく塾なし中学受験をするも、私立中高一貫は天国では有りませんでした。

リア充な学校生活を送っていると思っていた子が急転直下、人間関係をこじらせてどんどん抑鬱状態になり「これってドラマでしたっけ?」という生活の中でもがき苦しみ1年経った頃「自分の事で苦しめてごめん、お母さんに幸せに生きて欲しい、好きなことをして欲しい」と言われてハッとしました。

苦しんでいる子供のサポートに全ての力をつぎ込む必要が有りました。
でも何時までもそれでは駄目だと。

人生は苦しむものではない、楽しむものだ、と子供に伝えたい。

子供の言葉をきっかけに高校の美術教師の職を復活させようかと動き始めたたら、サロンでの絵画ワークショップのお誘いを頂き、ゆるーーく「いいね・素敵だね・美しいね・楽しいね」を追求中。



元美術教師

沢山の生徒達と触れ合いまた自分の子供の波乱万丈子育てをするうちに、自分の作品を追求している時とは全く違った制作への観点、境地に至りました。

ある生徒は言いました。

「俺、美術で作品完成させたの初めてだ」と。
小学校からまともに描いたことがないし、提出もしたことがない。
どうせ下手だから。

文化祭に生まれて初めて最後まで完成した作品を飾ってある教室でぽろりと零した言葉でした。

お洒落命の女子

「私の作品も掲示されてる!何か嬉しいね」

この女子もまともに完成させた事がなかったそうです。
どうせ描いても下手だから、自分には才能がないから。

上手い子は決まってるじゃん。

生徒たちが零す言葉でした。

そして私の子供もいつもこう言います。

「どうせ才能が無いから」
「上手い人は決まっている」
「下手くそがやっても意味がない」


上手くなくては絵を描いてはいけないのでしょうか?
勝てなくてはスポーツをしてはいけないのでしょうか?
足が遅いひとが走ることは意味が無いのでしょうか?


下手くそだから。からかわれる・比較される・いたたまれない。

教師をしている時、子育てをしながら。

何故「楽しいからやる」じゃ駄目なんだろうと思い続けてきました。
相対評価から絶対評価に変わったはずなのに。
がんじがらめに育ってゆく。

ハイレベルな運動や制作はそれはそれで素晴らしい事です。
どんどんハイレベルに伸ばしていってください。
でも多くの人は野球をやる時大谷選手になるわけでは無いし、絵を描く時にピカソになるわけでもありません。

自分の好きな色を知ること、その好きな色をより素敵に見せるための色の組み合わせ方、生活の中に取り込むこと。

印刷したデザインを漫然と安いから取り敢えず・購入するのではなく「この形、この色が好きだから」選ぶ審美眼。


通りすがりの画廊でふと立ち寄って絵を見ること、ちょっとした楽しみに自ら描くこと、自分の感性で楽しみとして絵を選ぶこと、がもっと身近になるといい、と思います。

100万円の絵画を購入する人は限られますが、数千円で自分の気に入った、世界で1つだけの絵を選び手元に置ける事は、ほんの少しだけれど人生の彩りを豊かにしてくれるのではないか。

そんな身近な、でも自分だけの1つだけのものを届けられたら幸いです。