「近代麻雀」という麻雀専門雑誌があります。先日とある記事の中で、近代麻雀という雑誌は価格と内容が見合わないというようなことを書きました。でもどのへんが見合わないのかを具体的に書いていなかったので、今日はそれを書きたいと思います。
近代麻雀は劇画がメインの雑誌ですが、まず第一に挙げられるのが誤植の多さですね。特に牌画の張り間違いがひどいです。何冊かに1回程度なら目も瞑れますが1冊に数箇所散見されることもあって、そんな時は金本さんに文句を言いに行きたくなります。(金本さんは近代麻雀の編集長です。)
フリテンになっていてはいけない場面でフリテンが発生していたり、前順に捨てた牌が次順戻って来ていたり。100円200円の雑誌じゃないですからね。800円近い値段でこのクオリティはひどいなと普通に呆れる時があります。
麻雀劇画って闘牌のクオリティとリアリティがめっちゃ大事じゃないですか。麻雀好きの読者は作中の捨て牌なども真剣に確認して展開を追っています。編集側がそこのチェックについてザル状態ってどないやねん。
牌理に関しても、怪しい時があります。まあこれは、俺が細かすぎるだけなのかもしれませんが。
例えば先月号の作品の中でこんな場面がありました。主人公の闘牌シーンです。
捨て牌:
典型的な役役混一色の手ですね。大三元や小三元も可能性が無くはないです。
この手に対して、上家がを叩き切ってリーチします。その
を主人公がチーして、打
。主人公の手牌はこのようになりました。
捨て牌:
この状況に対して、主人公のライバル雀士がを切り飛ばし、「主人公の手は大三元ではなく
の両面待ちだ」と看破してみせるシーンがこの闘牌の山場となります。なるほど、わざわざカンチャンを残して両面待ちを捨てているのですから、主人公の手牌は
からのダブルメンツ落としが有力だということですね。絵にすると、こんな感じの手牌だったから
を切ったということです。
牌理に適った名推察ですね。もし手牌にがあったりするならば、
を残して
を切るという手順は有り得ないでしょということです。確かにその通り。こうして、主人公のライバルの強さがクローズアップされたところで劇画は次の展開へと移っていくのです。いくのです、が。
いやでも、ちょっと待ってください。この展開、何か違和感がありませんか?
そう。主人公の手牌のことです。
主人公、カンを鳴きましたが、そもそもその前に
と鳴いているんですよね?
つまり、作品中ではそれとなく誤魔化されていましたけれど、主人公の手牌の全容はこんな感じだったということです。
いやいや、この手牌からを切ることなんてあります?
待ちが特別いいとか、
が薄いのならそれもあり得ますけれど、それは作中のコメントで否定されています。
を落とすと待ち牌14枚、
を落とすと待ち牌16枚ではありますが、麻雀て聴牌ではなく和了りを目指すゲームなので、最終的な和了り易さや得点期待値を考えるとこの手牌から
落とし自体が有り得ないんですよね。
これ、単に主人公がどヘタなだけやん。。
まあ、こんな場面を見つけては、編集とか監修もっとしっかりせえやと、俺はひとり悶々としているわけです。見る目が厳しすぎるんですかね?
でもでも、「いやいや切りとか普通に正しいよ」みたいな意見があれば是非教えて欲しいです。麻雀やってる人なんて、自分正しいと誤認識している人の塊ですからね。自身を含めて。特に麻雀に於いての自分の絶対認識なんて、けっこう眉唾物だよって思っています。