阪神淡路大震災から30年。
当時、木造二階建ての実家は、下からドカーンっと突き上げるような衝撃の後、家が信じられないほどしなりながらグラグラと揺れた。
ただごとではないと瞬間飛び起き、2階の二間を一部屋にして姉と寝ていたのですが、逃げなきゃ‼️そう思って姉をみたら眼鏡を必死に探してもたついていて、お姉ちゃん早く‼️と叫んでいると、一階から母が叫びながら私たちを呼ぶ声がした。
家の中はたくさんの物が散らかり、散乱していたものの、倒壊は免れ、度々くる余震に怯えながら過ごしました。
数時間経っても何をどうしたらいいかわからない中で、バイト先の飲食店が気になって午後になって様子を見に行ったら、とっくに店長やバイト仲間が片付けていて、安心して帰宅したことも覚えているけれど、正直ものすごく記憶は曖昧になっています。
その理由の一つには、パニック障害、更年期鬱などを抱えている母が地震によりさらにメンタルが弱り、震災後PTSDのようになり、震災シンドロームに苦しんでいて、何故か私は震災と向き合わず元気に過ごすことで母を励ましたい一心だった気がします。
人間って本当に嫌だったことはなかった事にしたいのかもしれない…
でも、最近になってNHKの朝の連ドラ「おむすび」の震災の場面で急に涙が出てきて驚きました。
もしかしたら、震災を振り返って涙がでるなんて初めてだったかもしれません。
3.11が起きた時も正直直視できていない自分がいたかもしれない。
1番に頭に浮かんだ事は、3.11の時すでに天国にいる母を思い出し、あー、お母さんがこの災害をみないで済んで良かった、きっと耐えられなかったよなと思いました。
つまり、災害時もそれ以降も私には母とバイト先の心配で精一杯だったな。
そして、その年今の主人に出会ったんですが、主人の家は半壊。
当時寝ていたベッドの枠が主人を守ってくれていなかったら本棚の下敷きになっていたと聞きました。
正直あまり振り返って考えることをしてこなかったし、したい気持ちもない。
そんな30年、長かったような短かったような。
でも、やっぱり家具を置く時は突っ張り棒は欠かせないし、ベッドと家具の位置は自然と考えています。
災害大国、地震大国の日本。
能登や熊本や各地で起こる災害。
備えはそれとなくしていますが、正直病気と一緒で向き合いすぎるとメンタルが持たない私。
でも、守るべき家族の為には今一度備えは見直しておこう。
与えられた命、大切に生きて行こう。