「理想の息子」7話までの感想です。

野島臭が全開になってきたゆえに思った感想。
野島って、母性に異常なこだわりがあって、多くのドラマで母性というか、絶対的な安定感・包容力のある女性を描いてきたように思う。でもその反面、女性を信じられない気持ち、女性の恐ろしさ・おぞましさが絶対的にあって、その背反する感情の描きを、けして全面には出さず、というか、作家自身もそこまで気づいていないのではないかとも思うような描き方だったと思う。

たとえば「高校教師」の繭の包容力、しかし”女”度の強さ、女は簡単に別の異性と関係を持っていつか主人公を裏切るという世界観。しかし少女の純粋さ。というか、女の純粋さと包容力と”女”としての怖さと信じられない気持ちとがごたまぜになっているような女性キャラだったように思う。

「愛という名のもとに」や「「ひとつ屋根の下」はそういう価値観は薄かったといえども、こうなんていうか、聖母マリア的な価値観というか、誰もが憧れる聖女みたいな女がいて、みたいな描き方。それに対して男は単純な描き方だ。
ただの義憤やただのその場の感情で動いているかのような、男の描き方はシンプルなのに、女にはなにかこう底知れないものがあるという描き方。

「世紀末の詩」は特に女不信が強いように感じた。とってもすばらしい作品だったけど、男は愛に普通にまっすぐに生きられるのに、女は猜疑心があって自己愛があってまっすぐ男に生きられないというかまっすぐ愛せないというか、でもそれも含めて男女の恋愛だというような描き方だと感じた。

ただ、それは野島の女性不信的切り口からみるとそう見えるというだけで、そこをそこまで重視しなければ、「世紀末の詩」はとても良いドラマだと思う。大好きだ。

で、「美しい人」も恐怖だし。
「SOS」にしても、なんていうか、女の貞操感覚の薄さに、男性は裏切られたと思ってはいけないというような価値観を野島作品には感じる。
でもそれを凌駕する聖母というのがいる。それは男性経験とか男女関係とか関係なくて、それとはまったく次元が違う聖母というのがいる。それが「この世の果て」のマリア、しかり「ひとつ屋根の下」の小雪なんだろう。小雪なんて不倫してたわけだし、マリアはホステスだし。

「あいくるしい」の母親もおどろおどろしく、あれは原田美枝子の演技もあいまって、井上ひさし的なおどろおどろしさを感じたが、その娘である綾瀬はるかの女・母としての呪縛も怖かった。

「ラブシャ」は大好きだが、かりなちゃんの役はまさに「出る幕がほしい」母性の強い女で、貫地谷しほりの役はノジマが猜疑心を持つ”女”度の高い意味不明な異性感を持つ女だと思う。

長くなったが、その野島が、自身の母性への畏敬と女性への不信感を、こんなふうに「理想の息子」でギャグ化して描けたというのは、ノジマという脚本家にとっての、非常に大きな転機だろう。母性を敬いつつも、女(の忠誠)を疑い続けた野島が、息子を愛しつつも、息子に家を買ってもらおうとギャグっぽく息子をだまし、健気に頑張る母親を描け、かつ「おれはマザコンじゃない。だたかあちゃんを愛しているだけだ」と主人公にセリフとして言わせる、それは非常に大きな転機だろう。

これが10年前だったらとてもいいと思うが、さすがに私も「GOLD」で野島の人間への思いやりのなさを痛感したので、今更今後の作品に期待しないのだが、しかし、脚本家人生にとってかなり大きな転機であることは間違いないだろう。

がんばってほしい。自分の中の思いと昇華させて、さらに良いドラマを書いて欲しいが、母性と女性に対するそういう思い込みが変わったところで、やはり大事なのは人間性というか、人間への洞察力と人間への期待感というか情熱だと思うので、やはり、「GOLD」を見てしまうと、その人間への洞察力と人間性の豊かさを全く感じられないというか、それをほんとに思い知ったので、もういいやという、元一ファンですが、しかし、やはり元ファンとしては、私にとってはどうでもいい脚本家になった野島先生であっても、これからもっともっとよい作品を書いて欲しいとは思うので、なんというかまとまりがないが、とりあえず、よかったと思う。