「すごいなあ。いまどきの株取引はここまでコンピュータが入っているのか」
「本当ね。まさかネット上の言葉に反応して、自動的に売買注文するとはね」
「そういや迷惑メールとかの自動判定も、キーワードの点数評価によるらしいな」
「そのうち人間にも適用されるのかしら。要注意人物の判定にね」

管理されることで手間ははぶけるだろうが、そのぶん直感に頼ることがなくなる。
誰もがウソだとわかることでさえ、使用された言葉の点数で価値がきまってしまう。

「このバカ野郎めが、なんてセリフも可愛さあまってという視点が失われるんだよ」
「ライオンが我が子を千尋の谷に落とすことは即、育児放棄になるということね」
「それはちょっと違う気がするけど、まあそういうことだ」
「言葉の奥にひそむ想像力がなくなるのね。そんなのにお金を運用させて大丈夫かな」

おそらく何度も計算をくりかえさせることで、その判定も人間にちかいものになるだろう。
だが、そのために膨大な予算が費やされるならば、最初から人を雇うほうがはやい。
46億年の進化の英知が人の脳だとすれば、その歴史はやはり伊達じゃない。

「でも将棋もコンピュータに負けたというし、これからの思考は人間様はかなわないかも」
「それってニュースで知ったけど、なんか時間をかけずにすぐ次の手を打つらしいわね」
「そうなんだよ。考える時間が、人間同士での半分になって負けたともいわれている」
「白か黒かの判定になるのは味気ないわ。婚活もコンピュータ診断になってるらしいね」

年齢や年収、職種、性格などを入力することで、お似合いの相手が点数評価により選ばれる。

「ねえ、あなたは私をそんな基準で選んだのかな。気持ちの点数なんてつけてほしくないわ」

これこそ直感だ。そして事前に予想できないことをもたらすことが、付きあう要因のすべてだ。
計算で評価された人生なんて面白くない。喜怒哀楽は、予測できないところから生まれるのさ。