ビクトリアハーバーをはなれ、地下鉄の油麻地駅で下車。
駅の西側に男人街という露天雑貨通りが広がり、その南側に屋台が集中する。
適当に置かれているテーブルにすわり、料理二品とビールを注文。
フィリピン産ビールのサンミゲルは、むし暑い香港の夜を潤してくれる。

「ひととおりデンマークでの情報活動を終えた僕は、事業から身を引くことにした。
 次の仕事が待っていからだ。持ち株はすべて売却。その資産をつかって、
 今度は銀行の送金システムをプログラミングする会社をたちあげた。
 理由は、大手銀行によるマネーロンダリング情報をつかむため。テロ対策にね。

 もちろん、その事業も成功した。僕のプログラミング能力はその当時の誰もを圧倒し、
 10年以上たった今でも、その送金システムはスタンダードになっているほどさ。
 いろんな銀行へそのシステムを売りこんで、いよいよターゲットに近づこうとしたとき、
 君も知っているように交通事故に遭った。二年間の自宅療養が必要になってしまった。

 あきらかに相手側の過失のなのに、保険会社は一向に治療費の支払いに応じない。
 後遺症から強度の自律神経失調症になってしまい、ときおりひどい頭痛にみまわれる。
 当然、仕事をこなすこともできなくなり、CIAからはお払い箱になってしまった。
 膨大な治療費は自己負担でまかなわざるをえず、結果、すべてを失うことになった。
 
 しかも働きたくとも、働けない。なぜかって?保険会社との交渉のためさ。
 就業した時点で後遺症が完治したとみなされてしまう。だからあえて無職なんだ。
 しかし母や妹はその複雑な事情を理解してくれず、僕が買った家を我がものにした。
 事情により働けない僕を怠け者だとののしり、そしてついに僕は追いだされるわけさ。

 あの事故で僕の人生が180度かわってしまった。その絶望していたときに君と出会った。
 たしか前妻と離婚して、二年後だった。彼女にはCIAで働いていたことを伏せたので、
 僕のもつ過去の偉大な経歴と才能を説明できないでいた。アメリカで働けない事情もね。
 懸命に彼女の生活をサポートしたつもりだったんだけど結局、離婚してしまった。
 彼女がバイト先で知り合った大学教授にだまされて、彼の家で暮らしはじめたからさ。

 僕はまったくツイてない。お金もみんな取られてしまった。でも才能だけは限りなくある。
 いま、新たな事業をネットで展開しているんだ。全世界の捨てられたペットを一元管理して、
 新たな飼い主へ受け渡す仲介会社さ。僕の信条であるボランティアリズムで運営する。
 システムはできあがっていて、会社はデンマークに置く。アメリカはまずいのでね。
 いまは出資者をつのっているところさ。おそらく来月中旬には、まとまると思うよ。

 これで僕の話は終わりだ。本当は元CIAであることを打ち明けたくなかった。
 当時の仕事の関係で僕に恨みをもつ者もいるから、君に危害をかけたくなくてね。
 ただ日本の治安は世界一なのと、君のような一般人の家に住むことが安全の担保になる。
 何かあったら、世界中にちらばる元工作員仲間が助けてくれるさ。安心して」

中華圏の料理店で出される一人前の皿は、日本では二、三人前の大きさがある。
サンミゲルを二本あけながら、ようやく食べ終えたころには時計が八時半をさしていた。
この壮大な作り話をどう処理してよいものか、しばらく考えながら三本目のビールを注文した。


(つづく)