先日、我がボクシングの師匠に再会した。


あいかわらず飄々とした方で、元世界一位とは思えないくらいだが、シャドーを見てその評価は一変する。



先生は牙を研ぐのをやめていなかった。


ボクシングは、バランスが大事だ


先生の言葉だが、すっかりボクサー向けのトレーニングをさぼっていた私は、ミット打ちに2ラウンドくらいしかついていけない。


パンチ力も落ちている。


スタミナは論外


足腰がついていかない。


つい先日、某ジムのトレーナーにシャドーをほめられたばかりだが、先生の前では児戯に等しい。



また、その先生に10年前はついていけていたのだから、なおさらである。


今の俺は、拳士を名乗る資格がない!



しかし、昔の自分を取り戻したいと考えた。


美しい、本物のボクシングを。


幸い、技術はある程度からだに残っている。


それを発揮する肉体を再び手に入れるだけである。



ベンチブレスはボクシングにはいらなかった。


ただ、背筋と足腰を鍛え、スタミナをつけるのみ。


先生の指導で俺は再び拳士になれるだろう。



これから、週末は自分のために使うことにした。


自分を、再び自分にするため、本当の自分に戻るため。


年齢なんて関係ない。先生は俺よりはるかに上だが、他の追随を許さない。



空手の先生もしかり。


俺は、ボクシングの可能性が見えなくなっていた。


ボクシングでは、空手に勝てない。



そんなことはなかった! ただ単に俺が未熟で、退化していただけだった。


全盛期、なみいる空手の強豪を触れさせず連打で屈服させたではないか!


先生は、ボクシングで未だにトップクラスのファイターであるではないか!



回転と連打を芸術の域に高めること。

そして、制空権を生み出すこと。


そうすれば、栄光は俺の手に宿る。


正確に言うと、俺の両拳に宿る。


そんな明日を目指し、しばらく昔に戻ろう。


暑い季節が戻ってきた。


そして良かった。まだボクシングが出来て。


明日が待ち遠しい日々がまた再びやってきて、そして俺はまた歩きだした。


ありがとう、生きていることに感謝している。


ありがとう、地獄のような日々に光明が差した。


むかしみたいに純粋な俺ではなくなってしまっているが、まだ見る夢がある。


そして、俺はまた、泣き出しそうな日々に己を見出すだろう。


ありがとう、先生。


人間、開き直るとここまで浅ましくなれるものである。


雑草から這い上がって栄華を

極め、そしてそれ故、それに驕りこういう事態になった。


自信を持っている人間は強い、というのが私自信良く分かる。昔はとてもでしゃばりで暴君などと言われていた私は、今は客観的に言って自尊心が低く、歳とともに自信を表に出すことが減ってきた人間だから、なおのこと良くわかる。


たとえそれが根拠のないものでも。

今は反対に、謙虚に、温厚になって良かったこともたくさんあると思う。


「押尾学の学ぶはお前らが俺から学ぶの学だ」といってるらしいけど、君から学ぶことはひとつもないよ。


反省して真実を語って欲しいものだね。あがく姿はまるで雑草のようで、それ

こそレジストの姿勢だと格好良いと勘違いしているのかもしれないけど、それでは美しくないですね。


死人に口なしで有罪になる可能性が低いと踏んでの計画的な計算しつくされた法廷闘争なのかもしれないけど、真実は大体みんな知っているよ。


その上で戻れるなんて社会が日本にあったら、それは良心に対する裏切りだと思う。


罪を償え。償わない人間に二度目があると思うな。

人間は誰しも、それこそ原罪じゃないけど、罪深い存在だ。

だから、一方的に非難するつもりはないが、やりすぎだろ。


反省汁。

いましがた東邦検分六さんにクレームメールを送った。


反省してくれるといいのかなと思う。


ぶっかけはまずいだろ。


反省汁。


以上