やっと2本目…
ゆっくりでも、続けていきます!
それでは、今日もよろしくお願いします。
「科学するブッダ」このタイトル、違和感ありまくりでした。ブッダとはもちろん仏教の創始者なので、宗教を科学するってどういうこと??科学と宗教は両極に位置するものじゃないの??もうこれだけで、好奇心がとまりません。
「科学が人間の苦悩を根本的に取り除いてくれるとはとても思えないし、仏教には物質世界の法則を解明する力などない」としながらも、「科学は総体として、どのような方向に向かっているのか。仏教は本来、何を目指して活動していたのか。その向かう先を見定めることによって、科学と仏教の知られざる関係性を明らかにしたい」というのが、本書の目的と著者は述べます。
言い訳になってしまいますが、タイトルに惹かれて読み始めたものの、科学の進歩の部分だけでも大変面白く、今回はそこの紹介でご勘弁を。仏教との関係性はぜひ本書を読んでみてください。
著者は、(というか、本書の半分以上の紙幅を割いて)科学がどのように進歩してきたのかを、物理学、進化論、数学の分野で述べていきます。
それぞれの分野に通底しているのは、「科学の人間化」と著者は言います。科学の人間化ていきなり言われてもだと思うので、文系人間な僕でも、なんとか例示できるものを一つ。(ちなみに最初に例として挙げようと思っていたものは間違っていました、次に考えついたものもうまくいかない…、ここはなんとなくでお願いします…)
数学には、無理数というものがあります。
身近なものでは、円周率のπ。π=3.141592…と延々と続きます。
実際、真円(まる)は、いたる所にあります。実際に存在しているのに、その構成要素の中に割り切れない数字がある。直感的に違和感ありませんか?
πなんて、3とか3.14でいいじゃんと思いますが、近似値としてはそれでいいのでしょうが、現に存在します。πを使わないとどうしても説明できない。
その無理数について、ピタゴラス(ピタゴラスの定理とか、ピタゴラスイッチとかの人です)は、「数学者であったが、同時に神秘宗教教団の教祖」で「ピタゴラス学派の教義は、自然数の美しい調和によって宇宙は成り立っており、(略)、その自然数の調和を破る無理数という存在は絶対容認できなかったのである。」。この無理数をめぐってリンチ事件も起きているみたいです。
全然、例示できている気がしませんが、
「科学というのは、世界のありさまを、あるがままの姿で記述することを目的として生まれたものではない。特にキリスト教世界の中で誕生した近代科学が目指したものは、この世界の裏に潜む、人智を超えた神の御業を解明し、理解することにあった」ため、「科学によって解明されるべき世界の構造は、単一的で合理的で、そしてエレガントなものでなければならなかった。神が不格好で複雑で鈍重なものお創りになるはずがない。」
だけれど、「脳の直覚が生み出す完全なる神の世界が、現実観察によって次第に修正されていく」ことが科学の人間化です。科学の方向性はそこにあると。この科学の人間化の事例が、本書ではいろいろ出てきます。
そして、「科学の人間化が、視点を神のレベルから我々人間に固有のレベルにまで下げるものなら、その人間固有の視点というものを具体的に形成する中心器官が脳である以上、その脳が注目されるのは当然である。」と著者は述べています。今話題のAI(人工知能)もその流れなのかなと。
引用ばかりで硬い文になってしまいましたが、最後に誤解を恐れずに僕の言葉で要約してみると、
①
神様がこの世界を創ったぜ!
②
どうやって神様この世界創ったんかなぁ?すっごく知りたいんだけど!
③
あれ、おかしいな?実験したりすると、なんか今までの考え方じゃ説明できんのだけど。神様が創った世界がこんな複雑なわけないんだけどなぁ。
④
そこに、こんなふうに考え方たら説明つくじゃんていう人が出てくる。
⑤
しゃーない、仕方ないけど、今までの考え方を捨てて新しい考え方を採用するか。
④から⑤が科学の人間で、長い年月をかけ紆余曲折あったもののこうやって科学は進歩してきました。