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第八章 ~木彫り~
四行はそのまま、全員を集合させました。
サチは皆の前に出ることとなりました。衣服は今までと同じ、白い着物で髪も短いままでしたが、それでも良いと、四行の計らいで、改めて自己紹介をすることとなりました。
サチは自分の名を述べ、家を出た経緯を語りました。自分は捨てられたということは、薄々感づいていたので、自分の思うことを言いました。
聴く者の中には、同じ年頃の娘がいる男もいて、サチの言葉にすすり泣く場面もあり、全員がサチを改めて仲間として、家族として受け入れてくれたのです。
とうとう女として、皆に受け入れられた日になりました。
その日からサチは前にも増して、聖山の人気者となりました。コスケも、まぶしい目でサチを見ています。四行に言われたのは、サチを守りぬけ、とのことでしたので、覚悟もひとしおです。
さらに、四行に依頼された杖制作も本格的に始めなければ春までには出来ません。
まずは皮剥ぎから始めます。生木ではないので、剥ぐというよりもむしろ削る、という感じでした。固くなった皮は綺麗にむけません。小刀で必死に少しずつ削ります。
削っていくうちにサチは夢中になっていました。ひとつのことを、時間をかけて、ただ綺麗に削ることだけに集中していました。
それだけで、サチの冷え固まった何かを溶かしていくようで心地良く、その感覚を味わいたくてまた集中するという繰り返しが続きました。
皮が全てなくなったとき、その木の枝は、それだけで素晴らしい輝きを放っていることに気づいたコスケは、それだけを持って四行に見せにいったほどです。
サチは、この感覚に溺れてしまってもいいのか悪いのかがわからず、受け入れたいのに拒否しなくちゃいけないような気がして、なんとも落ち着かぬ心を収めるのに必死でした。
やがて戻ってきたコスケは興奮して言いました。
『サチ。これはいい杖になる。オンシさまがそう言ってくだすったぞう。』
サチは、その言葉を聞いて、やっぱりこれでいいんだと、確信することにしました。
自分が夢中で気持ちよくやれたことは、人にも認められるということを生まれて初めて体験することができたのです。
それからというものサチは、杖のまわりの飾り彫りに集中しました。
前の杖と同じように作ってくれという四行の申し入れでしたが、木の枝の曲がり具合とか色合いとか、同じ模様ではしっくりこないような気がして、自分で工夫を始めたのです。
人は、一度認められてしまうと、潜在している能力を引き出され、いつも以上の力でことに当たれることを知っていた四行がそれをわざとやったかは定かではありませんが、少なくともサチには有効でした。
木彫りという、これも生まれて初めての体験で、絶対に失敗できない状況で、しかも、前の木彫りの模様よりもいいものを仕上げるプレッシャーはいかばかりだったかを、皆考えると思います。実際にそうでした。
サチのまわりが緊張して、とくにコスケなどは、師匠という名を貰っていたにも関わらず、同じように作っていたお手本用の杖の制作をすでにやめてしまっていました。怖かったからです。
サチは、そんなプレッシャーなどまったくありませんでした。ただ、これをやっている瞬間が楽しい。四行さまに褒めてもらいたい。自分の力を試したい。
と思っているだけでした。毎日少しずつでしたが、サチの想像どおりの模様が出来上がっていきました。
その細やかさは、女性ならではの優しさに満ち満ちたもので、微に入り細に入りまことに見事なできばえだったのです。
それを手渡された四行の喜びようは、聖山の歴史に残るほどのものでした。
完成したのは、四行の思惑通り、春でした。
第九章 ~聖行~
サチが聖山に来て、もうすぐ一年になります。
この短い間に、いろんな経験をして、大きく成長しました。ここになくてはならない存在になってきたところだったので、四行としてはずっとそばにおいておきたかったのですが、前から決めていたことですので、サチに告げることにしました。
サチは、大きな仕事をやり遂げたことで、気持ちが高揚していました。
自分は世の中に必要のない人間だと思っていたのに、ここで必要とされ、しかもそれが認められ、しかもそれを楽しいと思える。この幸せはいったいどこから生まれるのかよくわからない、というもどかしさと面白さ。サチはそれらすべての感覚を満喫していました。
そこへ、杖を持った四行が現れました。サチはその表情に一気に緊張しました。何かを決めたときの四行の顔は、目が細くなるのです。今がその状態でした。
周りに居た皆も、同じように気がつきました。誰かが気を利かせて全員を呼びに行きました。
四行がサチの前に座る頃、ほとんどがそこに集まっていました。
サチは正座して、心を落ち着けます。四行は杖を二人の前に置きました。第一声に、全員驚愕しました。
『この杖は、わしには短い。』
サチは一瞬で目の前が真っ暗になりました。そんなはずはない、前の杖と同じ長さですといいかけたが飲み込みました。そして、ただ平伏しただけとなりました。あとの言葉を待ったのです。
『この杖は、お主が使え。』
これも意外な言葉でした。
『ふふ。驚いてるな。まあ聞け。
あの折れた杖自体、わしがまだ子どもの頃に父親が作ってくれた杖での。それをずっと手元においてあったんじゃが、まあ久しぶりに磨いてやろうかと思ったら、ふとした拍子に折れてしまってのう。随分古いもんじゃったからな。
お主が来てからの出来事であったもので、こりゃ神さんが作らせろといっているのじゃろうと思ってお主に頼んだのじゃ。』
サチは、まだ納得がいきません。四行は続けます。
『でな、お主に頼みたい。聖行(ヒジリギョウ)に出て欲しい。』
すると、周りから「おおーー。来たか!」「仲間入りじゃのう!」「待ってました!」などの言葉が威勢よく出たのです。サチはなにがなんだかわかりません。
『ヒジリギョウというのはな、旅をする行のことでな、ここにいるみんなはすでに経験済みなんじゃ。春から夏にかけて、今聖行に出ているものたちが戻ってきて、次の聖行がここを出て行く。その中にお主を入れようと思うのじゃ。』
サチは、言葉がでてきません。せっかくここに慣れ、皆とも仲良くなれ、仕事もできるようになってきて、皆から好ましく思われ、楽しい環境であるここを出て行くことが全然嬉しくなかったのです。
『聖行は、四つの行とは別の、というより、全ての行が含まれる試しの行となる。過酷で、厳しい行になる。
旅の途中では思わぬことが起きる。すさんだ心の罪人に、心を込めて話し、ここに来てもらうために幾日もかけてわからせて、心を開かせていくには、並大抵の力では為しえることはできぬ。』
話の途中でサチは叫びました。
『私にはできません!嫌です。ここを離れるのは嫌です!ここを出たくありません!』
四行はまったく動じません。こうなることを予測していたかのような振る舞いで、サチの泣いている顔を上げさせて、懐に抱きしめたのです。
『お主は、もうわしの子じゃ。わしの娘じゃ。誰が好んで辛い旅になど出したいか!お主の代わりにわしが出たいのはやまやまなのじゃ。
しかしな、サチ。この杖を見て決めた。この中に、描かれている大地大空大日大海。これはお前に語って聞かせたものであるが、それを見事に現していた。お主は理解していた。』
サチは四行の胸の中で体を震わせて泣きました。離れたくない一心で泣きました。しかし、この決定は変わらないことも悟っていました。
『サチ、顔を上げて皆の顔を見よ。どいつもこいつもいい顔をしている。皆罪を背負った人間だ。しかし、今は悔いてここにいる。何のために存在しているかを探し続けている。罪を償い、傷を負った人を助けるために生きると決意した顔がここにあるのじゃ。
それができない輩がまだまだたくさんいる。そのものたちをここに集めて、一人の人間として生まれ変わらせて、また浮世に戻すのがわしらの役目なんじゃ。』
『役目?』
『そう。役目。誰が決めたものではないぞ。わしらが決めた。人は、自分の役目を誰かに教えてもらってやるもんじゃない。与えられたことをしているうちに、自分で見つけていくもんなんじゃ。
お前もこの旅で、本当のお前の役目を見つけることができるかもしれん。そして、帰って来たころには・・・』
『?・・・帰ってきたころには?』
四行の声は止まってしまいました。宙を見据えて耳を澄ませているような感じにも見えます。しばらくして、四行は元に戻り、後を続けました。
『お主の家も完成しているころだろうよ。のっみんな!』
『はい。小さい家ではありますが。』
と誰かがいいます。
ここでは、全員が自立した家を持っていて、誰もが自分で建てるのですが、四行は気を利かせて内緒で作り始めていてくれていたのでした。
皆が空いた時間に協力して造っていたことをコスケが言うと、サチはもう感謝の気持ちで一杯になり、愛されるとは、こういうことなのかと、また涙がはらはらと落ちるのでした。
『わたし、行きます。』
サチは言い切りました。そして立ち上がりました。杖も握り締めました。なぜかしっくりと手になじみます。すると、誰に言うでもなく、今の気持ちが言葉にでてくるのを止めることができません。
『私は今まで、人が怖かった。いじめられて、貧しくて、寂しくて。辛いことは我慢していかないといけない、ということが嫌だった。でもここにきて、オンシに会って、皆と会って、たくさんのことを教えてもらって、愛されて。私は本当の人の形を間違って見ていた。人は、人によって成長できることを知りませんでした。それがよくわかりました。ありがとうございました。』
礼をして落ちた一粒の涙を見た全員が、声を殺して泣きました。
皆それぞれ自分の魂が、その通りだと慟哭していました。
四行は言います。
『人というものは、愚かでな。悪いことを平気でしてしまう。
悪いと思っててやるのも、悪いと思わずやるのも結果は同じ。人様に傷をつけ、大きな迷惑をかける。それは赦せぬ。断じて赦してはならぬ。しかし、その後のことについて、人は目を瞑ってしまう。
本当はそこからが大事なんじゃ。人の世を正しく導くためにしなくてはならぬことを、避けて通ろうとするからまた同じことが起きる。また不幸な人が増えていく。
それを止めるのが、わしらの役目。その任を、サチに頼むのじゃ。』
『わかりました。必ず戻ってきます。』
『わかっておる。戻らなかったやつは一人もおらぬわい。』
サチには、戻らなかった人がいない意味が今ではよくわかります。
ここには、生きるための目的があるのです。道しるべがあります。何のために生きるかが、はっきりしているということです。だから心地いいのです。
それがわかった今、この身が震えてくるのを感じていました。それは、サチの魂が生きる喜びに震えていたのです。
第十章 ~人の杖となれ~
旅立ちの日がやってきました。
サチのほかに、コスケ、サタの二人が選ばれ、全員の見送りの儀式が始まりました。四行は全員を聖山に入れ、装束を身にまとい、旅の無事と、加護を祈ります。
三人が横並びに座り、その前で四行が面と向かって語ります。まるで四行の言葉ではないような語り口です。目は宙を舞い、周りの空気も一瞬にして清冽になるのを感じました。
『聖行には、多くの困難が待ち受けています。しかし、それがお前達の真の人間になる行と思いなさい。
人の弱さを受け入れ、人の強さを引き出す。人の話を聴き、人の支えになる。人の悲しみを知り、人に喜びを与える。
あなた達自身が、人々の杖となり、生きなさい。自らの心を動かせば、人の心も動きます。人の心が動けば、自分の心が見えてきます。
人より強くなろうとか、上に立とうとか、思わなくてもいいのです。あなたたちが、人であればそれでいいのです。
どんなことがあろうとも、あなたたちは手を取り合って分かち合い、生きていける仲間となるでしょう。
絆を積んで、固め、ここに戻ってきなさい。あなたたちが帰ってきて目にする光景は、あなたたちの後の生き方に大きく深く関わっていくことでしょう。
よろしく頼みますよ。道中、くれぐれも気をつけて行くように、お願いします。』
四行はゆっくり、丁寧に中空を見つめながら語り、終りました。
三人は、全員に見送られて聖山を出ました。振り向くことを許されていませんでしたので、三人とも黙々と、足早にそこから遠ざかりました。
サチはしかし、そろそろ聖山も見えなくなるところに差し掛かったとき、思わず振り向いてしまいました。
すると、白い着物の集団が全員手を合わせてこちらを見ている姿があったのです。
サチは、その尊い姿を目に焼きつけ、涙をこらえて歩き続けました。たくさんの幸せを気づかせてもらった聖山の人々に感謝しながら・・・
~その後のお話~
サチら一行は、長い旅にでました。時代の風は、まだまだ荒く、旅は当然困難を極めます。
おりからの悪風は、聖に対する悪い噂でした。一般に聖と呼ばれるものたちは、四行の聖行とはまったく異なるものでしたが、同じものと思われてしまいます。
時の権力者は、権力外のところで集う人々を葬り去ろうとします。四行はその勢いに呑まれて戦うことになっていきます。それがわかっていて、サチを送り出しました。
さらに言うと、四行たちは結局滅ぼされます。
その前に、ほとんどを避難させることができましたが、間に合わなかった者、一緒に戦う覚悟で残った者たちは、全員殺されました。
サチはその後、帰って来ました。しかし、泣きませんでした。旅の辛さで学んだことを胸に、四行の教えを胸に、自分なりの生き方をしようと決意していたからです。
それに、四行がいつも近くにいることもわかっていました。
旅で黒ずみ、傷だらけになってしまいましたが、四行の教えの刻まれた杖が、四行そのものだったのです。
サチの行く末は、皆さんのご想像にお任せします。
しかし、ひとつだけ結論を申し上げますと、サチは四行の聖山を復興させます。完成を見ずに死ぬことになりますが、四行の杖だけはその完成を見、サチの子孫が守りついで行くことになります。
長い物語でしたが、これは昔あったことのほんの一部です。10000分の1ほどの事実です。そこからいろいろなことが想像できると思います。
今年がはちさんにとって、いい出会いの年となることを、そして皆さんも、みなさん自身の宝探しの年となるよう、心からお祈りしています。
今年もよろしくお願いいたします。
―完―
最後になりましたが、ここにはちさんからいただいておりました、ご質問の一部を掲載します。神様への質問ではありますが、これは皆さんへの問いかけとなっています。
私は、この物語の中に答えがあると思ってお伝えしましたが、伝わりきらない部分もあるかと思います。
皆さんに、可能であればお願いがございます。はちさんの傷ついた心を、皆さんの言葉で支えることはできますでしょうか。
仲間として、家族として、言葉をかけてあげてください。よろしくお願いいたします。(なお、今後のはちさんと、子どもさんの将来のことを考えて、掲載しないほうがよいところは略させていただきました。ご了解いただきますよう、お願いいたします。)
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神様 アニキ様 龍様
最近ブログを知り、ああ…とか、おお!とか、うう~~とか言いつつようやく今までの記事を拝読し終えました。
(ええ!?と思わなかったのは自分でも本当は知っていることだったからで、私もやっぱり神なのだわ…などどつらつら考えておりました)生まれる前に自分で設定した事は忘れて生まれてくると言いますよね。
自分はチャレンジャーなのだと思いますが、何分忘れてしまっているのでもう耐えれそうにないんです。
離婚して子供と2人の生活をしていると「子供がいるから頑張れるんだね、母は強いね」と言われるのもつらい。だって私は全然頑張りたくなんてない、だけど誰も私の代わりに働いてくれるわけじゃない。
どうしてすべての母は自分の子供がかわいいに決まっている、そのためなら何だってできると思われているのでしょう?
「無責任な」「ちゃんと育てられないなら生むべきではなかったんじゃない?」私もそう思う。本当に生まなければよかった、いえ、耐えられないような設定をして自分が生まれてきたことがそもそも失敗だったと思うのです。
失敗などない、経験することが重要であり目的なのだと説明されても、納得できるのは自分が生まれてきてよかった、と思えるようになってからではないでしょうか?
人生には自分に起こっても耐えられることしか起こらないとしたらなぜ耐えられずに自殺してしまう人がいるのでしょう?
自殺は怖くてできませんので死ぬまでは生きていかなければなりません。どうせなら楽しく生きてゆきたいと願っています。
楽しく生きてゆくためには、自分が生まれてきてよかったと思えるようになるにはどうしたらよいかヒントをいただければうれしいです。
もちろん悪いこともいっぱいしでかしてきたし、そんな風に自分で不幸を引き寄せた部分もあることはわかっていますが私だってこんなにいろんなことがなければこんな風にはなってはいない。
どれかひとつでも“普通”であったら…と思わずにはいられない。他の人と比べても意味ないのはわかっているけど、つい比べてしまう。
仕事も独楽鼠のように働いて働いて、結局サボっている子のほうが幸せになったりして…納得いかない。
幸福感が感じられない。
好きなことをすることを薦められても、疲れ過ぎてしまって、好きなことはなにか探す気も起きやしない。
とくに何もかんがえることなく生きてこられた幸せなひとって、普通に笑顔でいれて、さらにどんどん幸せになる。友人にも恵まれる。神様にも好かれる。
そんな人はあまり不幸な目にも遭わず、不幸なことがおきても誰かが援けてくれたりして乗り切れる。
人生の最初に冬を味わってしまった人…ネガティヴな経験が早かった人は、ネガティブな考えが習性で、