先日書いた長いブログの続きをちょっと書きます

母が病気で入院して退院して3ヶ月ちょっと過ぎた6月の月末、

夕飯タベテ寝る前一緒に住んでるおじいちゃんがお腹が痛いと行ってきました。またいつものことでトイレ出てないのって言ってみました
(元々便秘があるから)

たぶんそれだと思うから便秘の薬ちょうだいと言われ母が渡しました

次の日まだ治らないから近所のクリニックっでかんちょう?をもらって試してみました。そしたら多少出たらしく楽になったって言い、良かったねと安心しました

そして痛いと言って3日後、7月3日

朝、おじいちゃんが亡くなりました

今は思い出したくないので詳しくは話せません、胸がキューとなって書けない

明後日が納骨の日です。

ぶっちゃけ未だに亡くなったのが信じられないです。
朝起きて部屋に行くと言葉をかけてくれるんじゃないかと思っています。

いつも居ると嫌だなとか思ったりしてるけど急に居なくなると本当に寂しいです

声が聞きたい、口喧嘩をしたい、もっと話したかった。

最後の方はケンカばっかりした事しか思い出せない

こんなに早く居なくなると思ってないから本当に寂しいです、

だけど泣きたいのに泣けないのが悔しい

もう弱音とか吐きたくない
家族にもこういうこと話してない

普通を装っているかもしれない
寂しいとか泣きたいとかバレないように

本当は泣きたい、だけど泣けない

もうこの話題は辞めよう。





昨日あんなに長くブログ書いていたんだ!

あんまり書いた記憶がない、無心で書いていてのかも、

でも全部本音だし本当だから

久しぶりです。

もう高校卒業して約4年ちょっとでいろいろ考えさせられる4年間だと感じている

長くなるかも


高校を卒業する半年前から一番の友達といま思えば音信不通になってた。
最初のころはただ単に学校に来ないなって思って気にしていなかった

段々1ヶ月、2ヶ月と連絡取れなくなって気になり学校の人達に聞いた

でも納得する返事は来なかった
あのときは仕方ないから気にせず
普通に登校していつか連絡来るだろうって感じで過ごしていた

気付いたら卒業式になっていた、
それまでの半年間連絡ない、もう連絡ないと諦めてたなぁ、あの時は一緒に卒業式出たかった

そして卒業して何ヵ月後に連絡が来た
いろいろあって入退院をしてたらしい、

その時はただ入院して連絡出来なかったって言ってたね

それから段々いろいろ話してくれたね。
もっと早く気づいていたらって思うと申し訳ない気持ちだよ、
いろいろ助けられたと思う、今だから言えるけど結構聞いたときはショックだった。おれの一番の友達そんなになっていたなんて

信じられなかったっていった方がいいかな
だけど色んなこと話してくれて聞いていたら実感したと言うか理解して助けたいと思ったよ

でも何をすればいいか正直分からなかった
今は相談事を聞いてちからになれることはしようって思ってる

ゆっくり直そうね

この時くらいかな心の支えに心の友になろうって思ったのは
だから今は友達いや心の友達

『心友』

これからもがんばろう


話は戻って卒業していざ就職だってときに大地震が東日本に来た、

あのときはビビったな、神奈川出身だからそこまで被害は無かったけど

自分が就職する予定だったのがキャンセルになった、理由わかるよね

今思えばほとんどコネで決まっていたから天罰と言うかちゃんと決めろって事だったのかな

ぶっちゃけあんまりやる気はなかった、

ゆっくり探せと言われたのかもしれない
そして約1年仕事探さなかった


それでさすがにバイトでもいいから探そうってなったときに実家で一緒に住んでるおばあちゃんがガンが見つかって入退院を繰り返して母はおばあちゃんに付きっきりになり探す気力が無くなった

その時は家事とか家のことをたまにしか手伝っていなかった
めんどくさいとしか思ってなかったし

そして入退院していたおばあちゃんに
思い出作りをしてあげようってなって
親と一番上の兄貴がおばあちゃんのふるさと北海道に家族旅行をしようって計画してもうすぐだねって話したりちょうど父の誕生日だから寿司でも取ろうよってなって
ばあちゃんも好きな海鮮丼をぺろっと一人前食べていたねいっぱい食べたね

そして次の日の朝、病院に運ばれた、あのときはパニックになったよ

今思えば自分の息子の誕生日を待ってたかのような感じだったよ

その時初めてガン発覚したときに言われていた。おれは聞いてなかった余命を知った

もって半年長くて1年って聞いた
そうだったんだって思った


それから何日ぐらいかは忘れてしまったけどたまたま父以外が集まったからお見舞い行こうって午前中行ったら
ばあちゃんの部屋に入ったら息が荒くちょっと苦しかった様子だった

そして午後イチ、容態が急変部屋に居た自分が大広間の待合室にばあちゃんがって呼びに行って戻ったら聞きたくはないピー音がなっていた、じいちゃんがばあちゃん戻ってこいって言っていたけど戻ってこなかった、いつかこうなるだろうと思ったけどこの日だと思わなかった。

こういうのは生まれて初めてだったからあんまり悲しいって言うより何が起きてるのって思った。
幸せだったのかわからないけどこの日
たまたま家族全員集まっていた父もあとから来た。それはばあちゃんは幸せだったかな

おれが生まれてからそんなばあちゃんと話してなかったから変な感じだった
何より命日が絶対忘れない
12月25日クリスマスです

通夜のときは泣いたよ、段々涙が出てきた。

ばあちゃんの事がいろいろ落ち着いたら仕事探そうって思っていたら

母がばあちゃんのお世話をし過ぎて
ばあちゃん亡くなってやることが無くなって精神的に落ち込んでしまって何も出来なくなって寝たきり状態になった、

おれたちは任せきりにしてそんなに頑張っていたのをそうなるまで気づかなかった

本当にごめんなさい、任せきりで、大変だったんだね、それからいろいろ家のこと家事とかしていたら仕事探すどころじゃなかった、
仕事が怖かったのもあった、それから逃げていたのかもしれない、家のことを理由に逃げていたかも

それから母が前から持っていた病気が手術した方がいいと言われ余計に仕事を探せなかった。

この時からやっと家のことも手伝おうって思ったのは

卒業してから2年ちょっと、

ちょっとずつちょっとずつ元に戻ってきた生活

安心していたとき、またしても母があまり聞かない病気にかかった。半年くらいおかしいって検査とかしていて半年かかってやっと原因が見つかって手術が出来た

手術までのおれは心配し過ぎておかしくなった。なにもかも忘れてしまってどこかに逃げたいと思った。

この時かなもうちょい前かな

心友が、福岡に戻って病気を直すって言ったの、ぶっちゃけ遠くに行って会えなくなるのはショックだった。精神的にも落ち込んでいたから余計にね

だけど病気を治すには仕方ないって思って応援して福岡に送った、未だにちょくちょく連絡を取ってるよ

母のことに戻って手術は成功して家に戻ってきてちょっとずついつも通りに生活が戻った、それが2015

今年の3月です

仕事見つけるために前に断ってしまった仕事先に電話して雇ってくださいとお願いした。だけど今は雇えないと言われた、
当たり前だよね、1回断っちゃったんだから、
そんな簡単には見つかるわけないと兄貴に言われました、自分にバカだよなと言いました。

前に断ったのを後悔しました。

断った理由は仕事することが怖かった。
回りからは甘えてるって言われた。
できるんだろうかって恐怖でパニックになりいつの間にか断った、本当に怖かった

体が大きいわりに心は小さいなぁ、おれ

家族から説教されて何ヵ月かしてバイト探そうって思っています。

こう書くとあっという間だけど4年はいろいろありすぎました。いろいろ体験した4年ちょっとです。

結果
考えが甘い

命は大切

回りをちゃんと見る

出来ることは自分でする

自分の、ことは自分で決める

まさにタイトル通り

『我が道を行く』


長くなってごめんね、

本当にいろいろありすぎた。


友達や家族の病名は書きません
念のために