6月18日23時44分
母は呼吸停止した。
6月19日0時23分
在宅Dr.に死亡確認してもらった。
前回からここまでを
私の備忘録として書こうと思います。
6月6日
やっぱり薬の副作用だったかも〜
と、少し母の食欲がでてきた。
台所のテーブルで
すりおろしリンゴ4分の1個
トマト4分の1
酵素ジュース湯呑み半分
摂取できた。
トータルで30分くらい起きてた。
疲れたから寝ると言って自室にもどる。
少し食べれたから、ここからまた回復していけば良いなと思った。
6月7日
何食べたい?って聞いたら
お寿司🍣との事。
買い物に行き、スーパーのお寿司を
マグロの握り一貫
おいなりさん一貫
酵素ジュース湯呑み半分
OS-1
摂取する。
吐き気、胃痛もないと。
…良かった〜。
こんな調子で、朝8時半から9時に私が来る
母をトイレに連れていく
ペットボトルに
水、酵素ジュース(薄めたやつ)を入れる
それと、OS-1をベッドサイドにセット
部屋に戻り寝る
私は待機(話したり、マッサージしたり)
お昼の準備、買い物、畑、洗濯などなど
お昼は13時〜14時の間
その後トイレに行き、また自室に戻る。
妹か姪っ子達が帰宅するまで待機。
17時〜18時の間に実家を出る。
準備したものを半分食べれば良い方。
私のかかりつけの先生にも相談し、母を診てもらい、たまに点滴を処方してもらい、私がする。
こんな状態になった。
主治医は、毎週金曜日に外来に来る山形大学病院のDr.で、何かあればいつでも来ていいよって言ってくれていたが、母は入院は絶対嫌だと。
次の受診日は6月23日金曜日。
こんな状態じゃ行けないので、6月9日に電話で相談した。
在宅に移行する事になり、主治医が決まれば、紹介状を書きますと、先生自らお電話くれた。
ここからがスピード勝負。
すぐさま市役所の介護課へ行き、介護保険申請。
事情を説明し、早く対応してもらうようにお願いする。
主治医意見書を書いてもらう先生を伝えて、連絡をお願いする。
また、ケアマネジャーを決めてくださいとリストをもらう。
自宅に戻り、かつて自分が勤めていた所で信用の置ける支援事業所へ電話し、ケアマネを引き受けてもらう。
ケアマネさんにも動いてもらい、何が今必要かを伝え、すぐに準備してもらう。
…その日のうちに、
介護認定調査、
介護ベッド搬入、
在宅主治医&訪問看護導入、
訪問入浴契約&初回入浴日決定
怒濤の運びとなりました。
いやー、まさに奇跡よ。
普通こんなにバンバン決まらないからね💦
特に介護認定調査は来るまでに時間がかかります。
明日死ぬかもしれない、末期ガンで…
と必死に訴えたから。
特にケアマネさんが頑張ってくれました。
実は私、この時には心のどこかで
もう、今月母の命がもつかわからないとわかってました。
でも、それを口にだして、妹に伝えるのが怖かった。
なによりも、まだまだ母に生きてほしい
私のこの予感がはずれてほしい
せめて8月26日までは生きてほしい
そう思ってたから。
その日の午後から介護ベッド搬入してもらい、主治医の訪問診療に訪問看護動向。
母の意識がしっかりしているうちに、母の同意の元に在宅看護生活の基盤が整いました。
母には、
これで生きる準備が整ったね
家で全部完結できるね
って言いました。
ありがとう、娘2人で本当に良かった〜
って言ってた。
そんなん、息子の嫁さんもむちゃくちゃいい人かもしれないべ、息子もいい息子かもしれないべw
んだな〜w
って言って笑ったのが印象的でした。
9日の午後は動いたからか、夜ご飯に親子丼が食べたいと言って、妹に作ってもらい、食べれたと。
LINEがきました。
10日土曜日は、私が午後から仕事だったので、姪っ子が母の面倒をみてくれました。
昨日の夜食べれたからか、1人で起きれたようでした。
11日日曜日、朝から叔父を連れて母の顔を見に行きました。
姉弟で会話した最後の日になってしまいました。
この日は妹も休みなので、午後から私は早めに帰りました。
12日月曜日
朝からルーティンをこなし、お昼に
お粥5口
大根3切れ
鶏肉少し
のみで、ベッドに戻りました。
OS-1、水は1日合わせて500㎖
もうすぐ姪っ子の誕生日だねって話になり、私と姪っ子の誕生日一緒なのでケーキ買ってお祝いしようねーって流れから、私と妹の臍の緒を見ました。
…よくこんなのとってたね、
昔はみんなそうだったね
姪っ子が結婚するまで生きてたいなぁ
んじゃ、頑張って少し食べないとね
って話しました。
夕方にケアマネさんと、訪問入浴さんが来て契約して、明日の11時に初回のお風呂が決まりました。来週からは月曜日の午後イチに来てくれる事になりました。
それと訪問看護も明日の午後3時に来て、採血して点滴の内容と予定を決める事になりました。
13日火曜日
朝からルーティンをこなし、11時にお風呂に入りました。久しぶりのお風呂で、頭も洗ってもらい、気持ち良かったと。
水分補給もできたけど
疲れたのか、お昼は食べれなくて、OS-1を頑張って飲んでもらいました。
14時頃、母はもう車に乗れないから廃車にしたいと。母の行きつけの車屋さんに電話して事情を話し保険を解約する。
すると、車屋さんが、来てくれた。
私が小さい頃から母の友達で、いろいろとお世話になってる。少し話もできて良かった。
訪問看護が来て採血してもらい、すぐに連絡がきました。
血糖値が58しかないと😱😱
急いで冷たい茶碗蒸しを食べてもらい、OS-1のんでもらいました。
夜は食べれそうだと。
ちょっと安心😮💨18時頃帰宅。
妹から、お粥数口とハンバーグ一口食べたとLINEがきました。
その日の夜、姪っ子から緊急事態とLINEが…
寝る前にトイレに連れて行き、母が前のめりに転倒したとの事。
ビデオ通話して確認したら、右のおでこが赤くなってました。
骨折はなさそうで、母の意識もしっかりしていたので様子を見る事に。
14日水曜日
朝普通に会話する
トイレも大丈夫と。おでこのたんこぶとアザが痛々しいが、母は、押せば痛いけど痛くないよと。
茶の間に戻りしばらくすると、
9時半頃物音と母の声が。
母は、意識朦朧となり、
こわい、こわい、と寝たり起き上がったりを繰り返している。
…ああ、きたな…
私はすぐに肝性脳症が頭に浮かんだ。
訪問看護に連絡し、点滴持ってきてもらう事に。
妹にもLINEし、帰ってくるようにと。
危険がないように側につきっきりで声掛けする。
大丈夫大丈夫、どうすると楽?
背中をさする、体の向きを変える、起き上がる、倒れるように横になる、を繰り返す。
ちょうどケアマネさんからも連絡がきて、状況説明し、点滴スタンドを借りる。
12時頃落ち着き、眠る。
妹も帰ってきて、びっくり。状況を説明する。
訪問診療に先生にも来てもらう。採血の結果も良くなく、脱水もあり、下半身のむくみもあるので、点滴と内服薬開始となる。また、苦痛の軽減に麻薬の貼り薬もスタートする。
今後の事も先生と話す。
ここで看取りたいと。
先生は
わかりました、でも辛くなってきたらすぐに入院も出来るからと言ってくれた。
ありがたい。この状態がいつまで続くかわからないから。
この日から私は実家に泊まり込み。
母のベッドの隣に無理やり布団をしいてつきっきりで看ていく。
今日は私の誕生日。
母に
産んでくれてありがとう
なにも、産みの苦しみした日にまた苦しい思いしなくてもいいのに〜
私はお母さんとお父さんの子供に産まれてきて幸せだったよ、本当にありがとうね。
口に出して母に伝えたらボロボロと涙が出てきた。
16日、17日と状態変わらず。
比較的夜は寝ているが、日中は
こわい、苦しい、なんとかして
と、寝たり起きたりを繰り返す。
どこからこんな力が出てくるのだろうと言うくらい、ガバっと起きる。
17日、18日には、親戚、母の友達に連絡し、顔を見に来てもらう。
なんでもっと早く教えてくれなかった
なんで入院しないの
などなど想定内の言葉がくるが、丁寧に説明する。
18日土曜日、比較的日中も落ち着き、この日は妹にみてもらう。
夜ご飯が終わり、妹から、もう意識は戻らないの?と聞かれる。
…難しいと思う。だから、今のうちにちゃんと伝えたい事言ってあげて。
と話す。
2人して泣きながら母にありがとうと伝える。
22時半頃、お風呂からあがり、なんとなく気になって母のもとへ。
すでに下顎呼吸になっていた。
訪問看護に電話する。すぐに来てくれると。
妹にも状況説明する。
訪問看護到着し、バイタルも低下あり。
主治医に電話。主治医も来てくれるとの事。
主治医を迎えに訪問看護退出。
妹家族、うちら夫婦みんなで母を囲み、大泣き。
…こうなると私は泣けない。
お母さん、今までありがとう
お父さんにうちらの事たくさん報告してね
姪っ子達の事見守っててね
心配いらないよ、大丈夫だからね
母の右目からポロッと涙が出る
少し大きな呼吸をする。
23時44分、呼吸が止まる。
19日日曜日
0時23分主治医死亡確認。
その後、訪問看護師さんと、妹と母の身体をキレイに拭き、着替える。
葬儀屋さんに電話する。1時半頃来ていただき、翌日からの打ち合わせを軽くする。
だいぶ長くなったから、ここまでにします。
かいてても、涙がでます。
でも
一片の後悔もなし
ただただ、妹が、心配。
続きはまたすぐにかきます(*≧▽≦)ノシ))
