6月23日 | laboratory

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日々の生活、自分と向き合うこと、身体の変化、心の変化をありのままに書いていこうと思います。

6月23日

母の葬儀がこの日に決まった



父の時は母の希望で

新聞のおくやみ欄に載せず

回覧板も隣組までにした




それがとても大変だったから

(知らなかったと後から来る人が多かった)



お知らせもきちんとした。

母はしないで欲しがってたけどね。




葬儀の日まで、通夜会館に泊まり込み。

私は17日からほぼほぼ徹夜状態。

21日だけ妹に泊まり込みを変わってもらって5日ぶりに自宅に戻った。



叔父の事も心配だったし。

やっぱり体調崩してた。




1日ゆっくりして、次の日の夕方には通夜会館に戻った。



いろんな方が母の顔をみにきてくれた。

引きこもりだと思ってた母がw



たくさん地域の人たちと支え合って生きていたんだなって、改めて母にも母に関わってくれていた人にも感謝が湧いてきた。

本当にありがとうございます。



お葬式当日

たくさんの方が来てくれた。

こちらの予想よりもはるかに多くて…

本当にありがとうございました。


久しぶりに丸子家の父方のいとこ全員集合✨


みんな変わってなーい。

グループLINEも作りました⭐️



また母が繋いでくれたご縁だと思いました。

私は本当にご先祖様に守られてるなぁっておもいました。



バタバタして終わると思ってたけど

結構そんな事なく


いろいろと片付いていきました。



父の時はあっという間に終わってなんだったんだろって感じで、3年は引きずりました。

まあ、急だったしね。




お葬式中、1番支えてくれたのが殿でした。

お茶だし、親戚への気配り、来た方々への気配り…

私への心配り



母には殿の事すんごく大反対されて…

初めのうちは口もきいてくれないし、結婚式には全く協力もしてくれなかった。

それが徐々に慣れてきて、認めてくれて、病気で妹との同居が決まる直前まで、私達夫婦と同居したいと言ってくれるまでに、殿と仲良くなってた。



母は、妹の事はずっと手放したくなかった。

遠くに嫁に出すのも嫌がってた。

近くに嫁いでくれて良かったって。

でも、同居してから出ていけって喧嘩はしたけど、最後まで一緒にいれて、孫達に看取ってもらえて、本当に良かったと思う。




私も妹が同居してくれたおかげで、一人で思い詰める事もなかったし、一人で頑張り過ぎて倒れる事もなかった。

多分、同居してたら喧嘩ばっかりしていただろうと葬儀中思ってた。



身内だけでお葬式したので、席も人数分しか出さなかったんだけど、

なぜか殿の隣の席、2つだけ空いてた。

エア参加者がいたようで…

その話はまた今度w



母が亡くなってから、8月6日の49日までの段取りを全て南陽葬祭さんにお任せした。

何にも分からない私達を、すごく丁寧に親身になって支えて下さいました。

本当にありがとうございました。

父の時もお世話になり、それも覚えていてくださって。




人のご縁て本当に不思議。




お葬式が終わり、25日にはもう初七日。

毎週日曜日が7日目。

その流れで49日法要が8月6日

ちょうど父の23回忌もあたってたので一緒にすることに。



ここまで決めてようやく落ち着きました。



7月に入り、介護認定がおりたので、

各事業所にも連絡して、ベッドの引き取りやお支払い。

コレがないと、全額自費になるところでした。

1割負担と10割負担では雲泥の差ですよ。




とにもかくにも、いろいろまだ片付いてない問題もあるけれど、落ち着きました。



次回は不思議なお話をアップしたいと思います。