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りゅ~ぢがゆく

つまらなき こともなき世に つまらなく

最近、「照葉樹林文化論」という日本発祥の、文化人類学の学説(仮説)に興味を持っていて、この学説について書かれた本を何冊か読んでいます

まず始めに、「照葉樹林文化論」について簡単に説明をしますと、植物学者の中尾佐助という人が、1966年に著した『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書)のなかで論じたところが、この言葉の初出のようです。1970年代以降の日本の文化人類学において一定の影響力を持ち続けていて、歴史学や民俗学など他分野にも影響を与えています(僕も、この言葉を初めて知ったのは、民俗学者の宮本常一先生の著作でした)

具体的には、日本の生活文化の基盤をなすいくつかの要素(歌垣など、既に失われたものもあります)が東亜半月弧(中国雲南省を中心に、西はインドのアッサム、東は中国の江南地方を結ぶ半月型の範囲)のなかに集中しており、この一帯から、長江流域~台湾を経て、西南日本に至る照葉樹林地域に共通する文化的な要素は、起源地を共通として伝播したものではないか?という内容の仮説です

具体的な照葉樹林文化圏の特徴として、根栽類の水晒し利用(日本の葛餅や、わらび餅をイメージすると良いです)、養蚕、焼畑農業、陸稲の栽培、モチ食(粘性の食感を好む民族が多いそうです)、麹酒(甘酒、どぶろく等)、納豆など大豆の発酵食品(別の本ですが、道教研究家の福永光司さんが、若い頃、中国を旅行した時に、味噌や醤油があって、日本の物と殆ど違いが感じられなかったと書かれていました)、鵜飼い、漆を利用した工芸品、日本では、既に消滅に近いですが、歌垣、お歯黒、入れ墨(文身。トライバルタトゥーをイメージすると良いです)などの芸術文化や、家屋の構造(高床や土間、神社建築に顕著です)、服飾(貫頭衣というポンチョみたいな服)などが挙げられます

ここからは僕の持論ですが、この文化の担い手は、古代中国の支配者たちから、「倭人」と呼ばれた人々ではないかと思うのです。そして、倭人たちは、女王(女神)信仰をしていたと思うのです。邪馬台国というのがかつて日本に存在したとされています(関係ないですが、僕は、邪馬台国は、インドネシアのジャワ島辺りにあったと考えています)。この邪馬台国を含む倭国連合の人々は、女王(女神)信仰をしていた、そして、その残存は、現代のアイドル文化のなかに生き続けている、というのが僕の仮説です。根拠として、『三国志』魏志倭人伝の中に、次のような記述があります

  • 245年に、魏の使者の張政が(邪馬台国)に到着したとき、卑弥呼は既に死んでいた。彼女の代わりに男王を擁立したが、国中がそれを認めず、この男王を殺害し、大いに乱れ、千人余りの人が死んだ。そこで、卑弥呼の親族の台与という13歳の少女を女王にすると混乱は収束した

「13歳の少女を女王にすると混乱は収束した」という部分がポイントです。現在、我が国には、AKB48というアイドルグループが存在します。そして、この48グループは、日本国内を中心に、海外にも展開しています。僕が面白いと思ったのは、このグループの展開範囲が、中尾先生が、『続 照葉樹林文化』(中公新書)のなかで語られた、「納豆の大三角形」という仮説の範囲と殆ど重複していることです。「納豆の大三角形」とは、日本の「糸引き納豆」、インドネシアの「テンペ」、ヒマラヤの「キネマ」を結ぶ範囲内に大豆の発酵食品の文化がほぼ収まるという仮説です(この範囲内に、タイの「トゥアナオ」、華南の「豆鼓」など、納豆の仲間が存在します)。そして、この「納豆の大三角形」の範囲内に、海外の48グループ(台湾、上海、バンコク、チェンマイ、マニラ、ホーチミン)が殆ど収まっているのです

以上、ダラダラと持論を述べてみました