FTMの成長記録 -2ページ目

FTMの成長記録

FTMだと自覚した時から書こうと思った成長記録。
心の葛藤やら、困ること、考えたことなど書いていこうと思います。

えー、どうもはじめまして、ひこにゃんです。

ちょっとしたきっかけをいただき、もしその考えが誰かの考えをまとめることに役立てばいいかな、と思いブログというものを始めてみました。

サボりぐせがあるので、定期的に更新というよりは思いついたら更新という形になると思います。


それではまずは、軽い自己紹介から。

歳は1991年生まれの21歳。

住みは埼玉県。

性別がFTM


ブログのタイトルを見ていただければ、わかると思います。

そして、改めて紹介させていただきます。


FTMとは…

生まれた時の戸籍は

しかし、自分はということに違和感を持ち、になりたい。

という人です。簡単に言えば。


自分自身、FTMと思うことに抵抗を感じてました。

しかし、それは単なる自己否定でした。

過去を思い出せば出すほど、でありたい!そう思いながら生活していました。


幼稚園生の頃、人形で遊ぶよりは戦隊ごっこをしたり、ブロックで遊んだり。

過去の写真を見ると戦隊ものの格好になってるやつがあたんですが、ピンクとかでなくでした。

親はやはり、リーダーのよりはアイドル的なピンクで撮りたかったんだとは思いますが…。


小学生の頃、3年生までは自我があまり芽生えてなく、親が渡してくる女の子らしい服装を着ていました。

しかし、髪をバッサリ切ってからは男の子の服ばかり来てました。

たぶん、この長かった髪を切った瞬間に自分の中で何かが決まったんじゃないでしょうか。

ランドセルはちょっとでも傷だらけにしたり、潰したりとやんちゃな子、そう思われるようにしてました。


中学生の頃、年々髪を短くしていきました。

制服のスカートに抵抗があり、下には必ず体育着の短パンを履いてました。

いっそのこと、スカートの裾から短パン見えればいいのに。そんなこと思ってましたね。

なので、ジャージの時は本当に楽しかった。動きやすいし、で違いがないし。


高校生の頃、スカートとスラックス両方あるところに行きました。

親の期待に応えようと入学して一週間スカート履いてました。一週間だけ。

残りの三年間はずっとスラックス。体育の着替えの時に使うものって認識でした。

でも、ワイシャツの方が丸襟だったんですよ、女子は。

だから、ずっと男子のワイシャツが羨ましくて。

細かいところを言うと、スラックスも嫌でした。男子のズボンがいい、と。

パッと見、違いはないんですがケツポッケがないんです、スラックスだと。

そんな些細なところでも、実はちょっとずつ傷ついてました。


大学生の頃、就活ですね、一番の嫌悪感が大きくなったのは。

入学式の時は、足が大きいため靴が間に合わず、高校の時に履いてた男物のローファー履いてました。

だから、スーツに関してはズボンだったんでそこまで苦じゃなかったんです。

しかし、就活となれば全部揃えなくてはいけません。

しっかり女性とわかるスーツを妥協しつつパンツスタイルで購入し、人生初のストッキングを買い、人生初のパンプスというヒールを買いました。

スーツだけなら、ホストっぽいね!程度で誤魔化せたんですよ、自分自身を。

でも、それ以降は誤魔化せないですね、流石に。

その時、改めて自分に違和感を感じ、

「なんで男物のスーツ着てネクタイ締めて就活できないんだろう」

そう強く思いました。


日常生活の中で、違和感や嫌悪感を感じることはやはりあります。

一番大きいと思うのは、名前だったり、公衆トイレだったり。

友人には何もカミングアウトしていないので、ボーイッシュな子だと思われてますね。

なので、友人に見られるところだったり、知り合いがいるところでは躊躇したらいけない、そう思いながら生活してます。


自分自身が2013年1月5日まで否定したせいで、余計に辛かったですね。

でも、一歩前に踏み出すきっかけが出来たので自分がFTMなんだ、そう認められるようになりました。

次の記事にでも、そのことについて書いていきたいと思います。


というわけで、長々と自分の違和感のきっかけを書いていきました。

この記事が性別に迷っている誰かの手助けになればいいな、そう思っております。


それでは、またの機会にお会いできることをお待ちしております。