ブログはじめました。毎日成長するって簡単そうで難しいですね~
うちの長男は現在、生後2ヶ月チョッとで体重7.2kg。
毎日成長して丸々太ってます。
と思ってたらあ~っという間に 『亥年』 になってしまいました。
うちの長男はホフク前進一歩手前、ハイハイはもうすぐかも。
長男誕生10ヶ月、もうすぐ初節句でホフク前進は高速化され、現在ハイハイトレーニング中。(4月1日)
2008年 国会議事堂前にて
2008年も、早 1月の19日 となり札幌はこの冬一番の大雪が降りました。
その3日前の16日に東京で出張があり、国会議事堂にて写メリました。
なぜ、こんなところに来ているかというと、今年の4月から改正薬事法が施行されることになって
いるのですが、未だに詳細が明らかにならないところがありまして、
業界内外でも色々な折衝があり、今日は、我々の会社が所属する【日本置き薬協会】の理事会
が永田町周辺で開催されたために参加しました。
そしてその帰りに衆参両議員会館に当協会の主催する例会に参加していただける「先生」方に
ご案内の文書を届けにきたので、国会の前を通ったということでございます。
なんだか、小学校の社会科見学のようなワクワクした気持ちで同業のお仲間お二人とともに
分担して先生の事務所を一件一件訪問していきました。
ほとんどの先生方は不在でしたが、秘書の方の対応も様々で、とてもよい経験になりました。
ちなみに近くにある自由民主党本部ではお土産も売っていて、警察のガードはかたいですが、
「お土産を買いたい」ということを告げると中に入れてくれるそうです。
ともあれ、今後の業界を発展させるために多くのエネルギーが流れているのを感じられた
良い一日でした!
北海道マラソン2007
すっかり、北海道は秋も真っ只中。十五夜のお団子を食べたら、あっという間に雪がふりそうに、朝の空気も冷たくなってきました。
そんな中、9月9日にさりげなく初出場した『北海道マラソン2007』では、かんぱい...してしまいました。
3年ほど前から「北海道マラソンに出場したい!」といい続けながら、今年の1月からようやくジョギングをはじめ
ておりました。人生初のフルマラソンとなった、5月の洞爺湖マラソンでは3時間48分でなんとか完走。
7月の豊平川マラソンでは、今回のリハーサルイメージで3時間35分でゴールできていた。
という結果があったので、「北海道マラソン」では3時間30分をきって完走!という目標を掲げてスタートしました。
しかし、結果は3時間40分後...38km地点でタイムアップで「歩道へ上がってください」と無情にも
レースを終了せよとの宣告アナウンスがあり、ゴールラインをきることが出来ませんでした。
北海道マラソンは制限時間が4時間で各5kmごとに通過制限時間が設けられ、それまでに通過できない
もしくは、通過見込みがないと判断されると完走させてもらえないという、厳しさもある大会なのでした。
そこで今日は、今回の失敗レースの原因をあらためて考えてみました。
レース前の目標は3時間30分以内で完走を目標にしていたので、まさか完走できないとは始めは全く思って
いませんでした。しかし振返ってみると、スタート時間で既に27度を超える気温。また、レース1ヶ月前にちょっと膝を痛めて最後の仕上げの練習が十分にできていなかった。という状況などを考えると3時間30分という目標の設定が、当日の自分の実力に見合っていなかったのがまず、第一の原因だと思います。
15kmすぎからすでに身体が重たいなぁと感じはじめ、妻や子供達が応援してくれていた19km地点は元気に走りすぎ、中間地点は1時間45分くらいで通過してある意味いいペースかと思われたのもつかの間。
そこから徐々に脚が思うように動かず、25km付近で一度「ピクッ」とつりそうになってしまいました。気持ちが
弱気になったのもあってか、身体全体がジンジンしびれるよう気分の悪さも感じて、「これはまずい、一度ゆっくり歩いて立て直そう」と思って歩いてしまったのが、第二の原因でしょう。
どんなにゆっくりでもマラソンで完走するなら歩いてはいけないと自分は思いました。そこからは時折、ふくらはぎがつりそうになるのを、うまくちらしながら歩いたり走ったりをくりかえしていましたが、その時すでに自分の中で
この「北海道マラソン」での目標を見失っていたことが第三の原因でした。
実は、この原因が今回の38km地点でのリタイアに一番おおきな影響を与えたと思っています。
前半の貯金があったので、それでも第二折り返しをすぎた30km地点までは何も考えず、路面と自分を追い越していく人の後姿だけをみて進んでいました。しかし、まだ折り返し手前の人たちに無情にも鳴り響く拡声器の
「ゼッケン●●番、歩道に上がってレースを中止してください」との声で初めて自分も完走できないかも知れないのでは、という現実を突きつけられました。
それからは、このまま歩いたり、走ったりを繰り返しては絶対に完走できないな。と思ったり、これからゆっくりでもはしりつづければ何とかゴールはできそうだ。追い越していくあの人についていこう、などと気持ちがフラフラしたまま、35kmの関門は制限時間の1分40秒前に通過した。しかしその後は、このままのペースではあと7km余りもはしれそうもないなどと、再び弱気の自分が登場したり、いやいやあと5kmだけ、最後の関門まで死ぬ気で走りきれば何とかなる。などと考えながら結局は歩いたり走ったりを繰り返し、時には沿道の人から「km5分30秒でいけるぞ~!」という声援に勇気付けられた瞬間にやっぱりダメかとおもったり、自分のゼッケンの下二桁「42番」大丈夫か~という応援?に背中をおされたりしたことを思い出しながら、一歩一歩進んでいきながら
37kmの給水を取ったすぐ後ろで、「歩いている人は歩道へ上がってください」という2度目の拡声器の声。
そこでまた、数百メートルを走りだすことになったのですが、最後は自分の前を行く数十人の人とともに
38km地点で歩道に上がって下さいと最後通告を受け、自分の北海道マラソン2007はレース終了となりました。
しかしながら、その日一番辛かったのは、そのあとお迎えのバスが来るまでの50分間でした。
北大農場の壁際で日陰もほとんどなく、沿道の人はもちろん、水も何もなく、係りの人は迎えのバスが
いつくるかもよく解らないようで、通り過ぎる収容バスは満席で数台が素通り、がら空きの大会チャータバスが来たを思ったら、役員専用でこれまた素通り。難破船の救命ボートで助けを待つ、漂流者の気持ちがちょっとだけ
わかりました。
ともあれ、今回の最大の失敗要員は25km地点ではっきりと制限時間内のゴールに目標を切り替えることが
できず、レースの目標を結局見失ったことでした。
何事も、常に的確な目標を持ち続ける大切さを学びました。
レース後数日がたって、あらためて、コースの一部を走り直してみましたが、レース当日は25km地点からは
ほとんど景色を見ていなかったことに気づきました。
今後のマラソンレースでは、目標を見失ったときは一度顔を上げ、遠くに視線をやって、再度今の自分に出来る
最高の目標をもう一度設定しなおし、最後まで走りきれるように頑張ります。
そして、もう一つ、過去の出場したレースを振返るとレースの早い段階で自分のペースをつかみやすい
パートナー(自分で勝ってに決めているだけですが)を探すことも重要なのかなとあらためて思います。
本日は以上です。
白血病は「がん」ではない!
ひさびさの更新となってしまいましたが、驚愕の大発見!?
白血病は「がん」ではない
ということです。
世の中では、白血病⇔抗がん剤+骨髄移植 というのが 一般的な通説ですが、全くちがう 重篤な副作用におかされることなく健康になれる治療法がある
ということ。
日本人の3割以上がガンで亡くなっていると思われていますが、実際には
手術に伴う合併症や抗がん剤・放射線治療の副作用で亡くなっているのが
事実であるということです。
詳細は 自然医学総合研究所のブログをご覧下さい!
http://nrtdiary.blog100.fc2.com/
色々勉強になりました。



