みらい平陽光台

みらい平陽光台

Council of Miraidaira Yokodai Residents

当地発行の小さな小さな新聞の記事から

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みらい平陽光台  常磐高速の下をくぐって矢田部に抜ける道の左に、藁葺きの小さな「五角堂」がある。江戸時代、この地の名主「飯塚伊賀七」の家があった所で、今も子孫がここに住んでいる。


 彼は「からくり伊賀七」と呼ばれた発明家で、五角堂は彼自身の作。周りの農民のために敷地内に時計台も作り、鐘・太鼓により自動で時刻を知らせたという。120年の時を経た昭和30年、この五角堂の梁の上から当時の時計の部品が一部発見され、昭和60年つくば万博のときに原寸大の和時計が復元された。この木製の巨大な時計、今は矢田部郷土資料館に、彼の発明した自動脱穀機の模型などとともに展示されている。


 彼はまた、家の向かいにあった酒屋に酒を買いに行く自動人形も作ったという。道を歩いたロボットとしては技術史上初の快挙だったのかも。


 次いで近くの道林寺を訪ね、住職に事の次第を説明して、一緒に彼の墓を探す。住職も初耳という。古い墓を一つずつ巡ってとうとう探り当てた。壬午院規矩誉丙甲器表居士という科学者らしい彼の戒名を確認して、今回の一連の探訪を終了。

 写真説明: ①飯塚伊賀七の五角堂 ②木製和時計(複製品) 

         ③自動脱穀機(模型) ④道林寺の伊賀七の墓

みらい平陽光台  昔、足跡の大きさが40余歩(約72㍍)という、とてつもなく大きい巨人がいた。名をダイダラボウ(大太郎坊)という。手を海に伸ばし、貝を漁って食した結果、その貝殻が積もって岡となったと常陸風土記にある。岡の名は大櫛、現在の大串貝塚ふれあい公園。約5千年前に形成された日本最古の貝塚という。


 東水戸道路を水戸大洗ICで降り、大洗に向かって走るとすぐ右手にこの岡がある。ダイダラボウの巨大な像が海に向かって座し、その下部は展示室となっていて、出土した貝のサンプルなどが展示されている。中の階段を昇り、手の平のところから眺望を楽しむこともできる。

 
 公園内にはこの巨人の足跡を模した池があるほか、昔の住居が復元された縄文広場がある。遺跡をイメージして建てられた埋蔵文化センターには、この貝塚の発掘時の写真や発掘された縄文時代の石斧、釣り針などが展示されている。

 
 このダイダラボウ、筑波山に座って霞ヶ浦で足を洗ったとも。そのため筑波山の山頂が凹んで二つの峰が出来たとか。伝説は実に面白い。
 

 写真説明: ①大串貝塚ふれあい公園 ②ダイダラボウ像 ③足跡池 ④展示室

みらい平陽光台  紅葉を求めて常陸太田の里をさまよい、まずは河内地区の「旧 町屋変電所」を尋ねた。里川の畔に佇む赤煉瓦の古い建屋が、黄色く色付いた3本の大銀杏の背景と見事な調和を見せていた。100年も前に日立鉱山が作ったもので、国の有形文化財に登録されている。周りの稲田では、翌々日に控えた行灯祭りの準備が進行中だった。どうやら、無数の灯が幻想的な情景を醸し出すらしい。


 さらに北上して「竜神大吊橋」に向かう。竜が住むという伝説の竜神川をせき止めて出来た竜神湖の上に、ふるさと創生事業として1994年に完成した歩道橋で、当時は日本最長を誇った。現在は大分県九重町の夢大吊橋に抜かれたが、それでも長さ375㍍、本州一の吊橋とか。


 実はこの橋、行き先がない。渡った先には鐘が一つ。道に出るには山道を100㍍降りることになる。鐘を鳴らすだけの橋として2005年のTV朝日・報道ステーションで、皮肉交じりに「極上の税金リゾート」と紹介されたこともある。でも渓谷の紅葉は見事で、観光客の数も多く、結構成功しているようにも見える。


 写真説明: ①竜神大吊橋から見下ろす竜神ダム ②旧町屋変電所 ③竜神大吊橋全景