まず、この人の考え方で最も共感できない、否定したい部分が、「神を信じない」、「宗教を持たない」、この行為に対して、そもそも批判的で虚無であると決めつけているところ
たとえば・・・
「神を信じない場合、一般的に哲学では、すべての出来事や創造物が「偶然の産物」となる。
(中略)
そこにはただ生まれて死に、再生され滅ぼされる何の目的もない世界となるため、生きる目的もなく、ただドでかい宇宙という「機械・マシーン」の中で同じことを繰り返す存在となる。人間と動物やその他の生き物は同じく、極端に言うと道徳心の意味がなくなる。善や悪はただ人間が社会を統制するために決めた規律でしかなくなる。感情や精神は単なる情報となり、生きることが一時的な幻影なるようなものだ。
そう。神を信じないとうことは一般的にこういうことになる。
あまりにも絶望的で、空しく、生きる意味がなくなる。」
残念ながら、大間違いだ
どの次元のレベルでの話をしているのか分からないけれど、もし人類全体の話をしているのであれば、単純かつ最大の目的を忘れている
それは「子孫(DNA)を残すこと」
動物、というか生きている生物全ての目的は自分の遺伝子を残すことであり、種の保存こそが生物の最大かつ究極的な目的です
それを度外視して生きる目的がないと断定している時点で、自分の意見を通したいという(無意識の)魂胆が丸見えだ
しかし、「生きる意味は子孫を残すこと」、そう言うと、とっても味気ないように聞こえるかもしれない
だが、全くそうではない
むしろ、種を残すということはものすごい努力を必要としていて、ものすごいドラマがある
動物の進化は、生きるための努力の歴史を物語っている
もちろん、その過程の中で、生き残ることができず、絶滅してしまった生物もいる。
むしろ絶滅した生物の方が多い
だから、現代の人が、生き残っている生物だけを見て(結果だけを単純に見て)、「偶然の産物」と言うこと自体が浅はかだ
むしろ、今生き残っている全ての生物は、生き残るために変化し、適応できた珍しい生き物たち
それこそ、奇跡ともいえる確率だ
そこを見ないで、あたかも当たり前のように「目的がない」と言われても、説得力ゼロだ
それに、「生きて死ぬ」という単純な行為も、それは至ってまともな自然の生業だ
それを否定して、人間であることの特殊性を信じたいのか知らないけれど、簡単に「目的がない」と決めつけてしまっている時点で、思考が止まっているなと思います
さらに彼の思考停止は続く。。
この後、イギリスで読んだという聖書の「伝道者の書」の話を出しているけれど、例が不適切極まりない
神なしでの人生の例としてソロモン王を出してきて、「読み終わった時に、絶望感と同時に、神がいるといないとの人生の違いを感じ始めた」と書いている
いやいやいや、そりゃ虚しくなるだろう(笑)
「心にガツンと来た」とあるが、落ち着いてくれ
普通に考えて、聖書が神について否定するようなこと書くわけがないでしょwww
神を称えたい書物の聖書を読んで、「神を信じる人生」と「神を信じない人生」を比較して、「神がいないと虚しい、絶望的だ」と言われても、そう感じるのは至極当たり前だとしか言いようがない
ここでその例を出しても意味がないだろう
(僕はここの部分である意味で心にガツンときたよ←笑)
つまり、この人は、考えているように見えて、全く考えてない
若いころ、頭いいとかちやほやされて勘違いしたタイプか?
だって、そもそも、このブログの最初で
「俺は日本人として生まれ、18歳まで日本で暮らし、日本の文化、教育を学び、日本の社会の考え方、宗教観、価値観、思想などを人として吸収してきた。
その中でも、世界の起源や歴史に興味を持ち独学で考古学の本や歴史、ある時には聖書にも興味を持ち、自分なりの「人生の答え」を探してきた。」
って、お前18歳でどんだけのことが分かるんだよって突っ込みいれちゃったよねwwwww
あと、パート2で、
「俺が20歳の時、スイスである衝撃的な出来事が起きた、そのことがキッカケで神とその存在の事を真剣に考えるようになった。3週間ずっとさまざまな宗教の考え方と違いを調べ、どの神が「本物」なのかという答えを求めた。」
3週間ってみじかっ!!!笑
20歳の若者が3週間考えたことで、どれだけ真理に至ったのでしょうね
ここまで来るとただの傲慢
仏教、ヒンズー教、イスラム教などの説明をしているが・・・説明がひどすぎる
さすがにまずいと思ったのか、
「反論する人もいるかもしれないが、ほとんどの宗教、哲学、生き方が俺的にはこのように感じた。」と防衛線を張っているが、反論も何も、あまりにも恣意的で君の無知さが露骨に出ているだけでの文章だ
たぶん、教会の人は優しいから、たった3週間というほぼ無に近い時間でも、みんなから「頑張ったね」とか「すごいね」って言われたのかな
勘違いしちゃいけない
たった3週間で「答え」に至ったってことは、それは考える前から、すでに彼の中に「答え」はあったんだよ
ただ、自信がなく、信じたいけれど信じていいのか分からない微妙な時期にあったってだけで、3週間かけて、曖昧な信仰から明確な信仰に変わったってだけ
何一つとして、真理なんかに至っていない
そもそもだ、イスラム教なんていうのはコーランを読まない限り理解できない宗教で、イスラムじゃない人がコーランにアクセスはできない
つまり、この人はコーランを読んでいない、正確には読めない
だから、この人がイスラムについて分かった口調で書いてる時点で、この人の想像でしかない
たぶん、自分がキリスト教を選んだ理由を客観的に証明したいのかもしれないけれど、残念な結果だ
彼の無知さはさらに続く
「俺の様に単純でバカな奴が理解できなければ、それは「本物」じゃないとも思った。」
本当に馬鹿だな(この書き方に少しイラつくw)
歴史的にキリスト教の職に就いて、キリスト教を理解するってのは超超高学歴の職業だったんだぞ
もともと聖書っていうのはラテン語で書かれていて、頭のいい人たちだけが理解して、教育を受けていない市民は読むことすらできず言われたままに従うっていうのがルーツなんだよ
(だからルターが出てくるのだが、それは別の話)
今でこそ、聖書はいろんな言語で訳されて、誰でも分かるように改良されていっているが、もしバカでも理解できるのが本物であるのであれば、キリスト教の発祥自体を自ら否定しているという、この大きな矛盾にこの人は気づいているのでしょうか?
ってか、バカでも分かるのが本物だったら、「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで極楽に行ける浄土宗のほうが分かりやすいぞ?
それに現代でもキリスト教っていうのは理解するのは難しい宗教だ
だから今でも宗教の学校とか神学部があるんでしょうが。
簡単に理解できないから学校があるんだよ
この人、本当に牧師?
さてさて、少し話を戻そう
彼は、偶然の産物で世界ができると、「道徳心の意味がなくなる」と主張する
・・・・笑えるね(笑)
道徳心の意味はなくなりようがない
まず、人には倫理やモラルといった感情があるのはすでに証明されている
つまり、ここでいう道徳心は自然に生まれ持っている性質なので、捨てたくても捨てれないし、宗教が無くても道徳に従って行動できるのが人間です
つまり、道徳的な行動と宗教はまず関係がない
それに道徳心の意味とはなんでしょうか?
神さまがいるから道徳的な行動をするの?
つまり、人に優しくするのは、その人のためじゃなくて、神さまが怖いから?
それは本当に道徳的?
神さまや他人が介入せず、本当に相手のために何か少しでも力になりたいという真心から生まれる行動こそが、道徳的行動であり、それこそが道徳心の意味じゃないのかな
道徳心の意味をはき違えている
そもそも、彼の文章は自分の価値観を前提に進められる
たとえば、
「そう。神を信じないとうことは一般的にこういうことになる」
→いや、それはどこの一般ですか?あなたの一般を、一般にしちゃいけない
また、「あまりにも絶望的で、空しく、生きる意味がなくなる。」という文章
いや、だから、それはあなたの考え方だって。それを前提にしちゃってる時点で話にならん。
彼は、神の存在についての考え方によって、3タイプに分けられると説明
「1.神を知り、神と歩む人々。
2.神の存在を完全に否定し、己の存在を中心に生きる人々=一般的に無神論者。
3.神の存在は認識しているが、神の存在やどのような形で存在するかは理解できず、探し求める人々。またはただ漠然と生きている人々。」
この3つのタイプも変だ
もっとあるだろ
簡単に考えるだけでも6タイプはいる
1.神を知り、神を信じる人
2.神を知り、神を信じない人
3.神の存在を完全に否定する人
4.神の存在は否定も肯定もできないという人
5.神の存在は認識しているが、神の存在やどのような形で存在するかは理解できず、探し求める人
6.漠然と生きている人々
2と3は一緒に見えて、全然違う
あと、彼のタイプ3で、僕が挙げた5と6が一緒になってるけど、本当にそれが信じられない
この人、本当に本当に牧師?
さらに彼の勘違いは続く・・・
「実際、多くの科学者や技術者たちは、うまく巧妙に設計された世の中の法則を目のあたりにし、必ず設計者(神という存在)がいることを否定できなくなる場合が多い。」
これも大きな間違い
マリ・キュリーが無神論だけどノーベル賞2回とってる
現代の科学者は「ある宗教を信じていても科学の世界に神を持ち込まない」というのが鉄則
だから、自分が説明できないことを「設計者(神という存在)がいる」と考える、つまり科学に神を持ち込むことはタブーです
やった時点で無能者扱い(つか普通に笑われるよw)
自分が説明できない事象の理由に神さまを挙げる人で評価されている人は、現代の世界で一人たりともいない
彼の傲慢さは続く・・・
「俺自身もこのことを考えた。神はどのような存在なんだろうと。そこでやはり同じ答えだった。人生は決して偶然の産物なんかではないと思った。俺には日本人として、男として、今の時代に生きている何かしらの理由があると考えた。すべては「偶然」という考え方はあまりにもむごすぎ、生きる意味がなくなるからだ。絶望や希望も、未来や夢もなくなる。そんな生き方は最悪だと感じていた。」
この類の言葉にいつも嫌悪感を感じる
「何かしらの理由があると考えた」・・・違うでしょ?
自分が生きているのには理由があると考えたいんでしょ、自分の命に価値がないと考えたくなくてその考えにすがっているだけでしょ
この文章こそ、彼の弱さの象徴だ
この世界には生きたくても生きれず、死んでいった人たちがたくさんいる
僕はアフリカでそういう人たちをたくさん見てきた
じゃあ、生まれてすぐ死ぬ彼らの命には、どのような意味があるのか?
アフリカですぐに死んでいく赤ちゃんたちの意味はなんなのか?
マラリアで死んでいく人たちの命の意味は?
彼らの命にも意味がある?それでも神さまは彼らのことを愛している?
(実際、キリスト教の人はそう言っている)
正直、ふざけるなと思うね
彼らは生きたかったんですよ
死んでいく子供たちは、誰一人として、自分の死の意味なんて感じてないし、愛なんて感じてないと思うね、少なくとも僕が見てきたアフリカの人たちはそうだね
こういうことを言うのは、彼らが死ぬことの罪悪感に耐えられない人たちが、自分たちの心を救うために言ってる言い訳だ
すべては「偶然」という考え方はあまりにもむごすぎる?
絶望や希望も、未来や夢もない?
そんな生き方は最悪だ?
その通りだよ!
彼らの人生は貧困の中で生まれて、ハエがたかったご飯を食べて、栄養も十分に取れずに、お腹いっぱい食べることを望んで死ぬんだ
お前がいくら裕福なところでそれを否定しても、現実はお前の言う「最悪」なんだよ
夢ばかり見るな現実見ろ、一度アフリカ行ってみろ!
僕はすぐに死んでいった彼らの命に意味なんてなかったと思うね
だからこそ、その命を助けないといけないんだって
宗教を理由にして、彼らの命をあきらめちゃいけない
生きてこそ価値のある人生だと思ってる
信仰や神の愛によって価値がつけられるんじゃない
彼らの命を無価値と言う僕の方が聞こえは悪いかもしれない
でも、確実に一般的なキリスト教の人よりも僕の方が彼らの命を救うための実際の行動と努力をしている
もっともっともっといっぱい書きたいことはあるけれど、この辺で(笑)
ただ、最後に
僕は無神論者だけど、人生の目的もあるし、道徳心も、人の助けになりたいという心も、善と悪の認識も持っている
ひどく大変な時も、もちろんあった。
絶望も感じた。
人生に虚しさを感じる時もあった。
でも、それは自分が人生の壁にぶち当たった時であって、信仰がないからじゃない
信仰があろうがなかろうが試練はくるし、それを乗り越えなきゃいけないのは一緒だし、自分を助けてくれるのも結局は生きているモノだ
神に頼らずとも、結果、全てを乗り越えて今生きている
僕の人生は絶望的で、空しく、生きる意味がないなんてこと、決してない
僕の存在自体が、彼の文章の全てを否定する
