昨日の朝日新聞よりですがニコニコ


ハイサイおじさんカラオケ
沖縄のあの曲、有名ですよねニコニコ

志村けんさんの、変なおじさんが替歌ですよ音符

あれって、沖縄らしさというか、明るい曲のイメージですよね。

私、本当の歌の背景知りませんでした。

以下朝日新聞より。
1962年、5月23日
この日を境に、米軍統治下だった沖縄の新聞に、精神障害に関する記事が目立ち始める。

例えば、精神病対策、精神障害者対策の予算増額など。

契機となったのは、おぞましい事件から。

先ほどの同日、コザ市(沖縄市)の島袋小学校近くのトタンぶきバラックの家で、精神を病んでいた39歳の母親が、7歳の娘の首をおので切り離して殺したのを家族が発見。
首はまな板の上に置かれていた。

53歳の父親は、母親を家の中の「監置所」に閉じ込めるなど扱いに困っていた。

悲鳴で集まった近所の人の中に、隣に住む当時13歳の中学生、喜納昌吉さんがいた。

「鍋を煮ながら、首をまな板の上に置いたと聞いた。米軍用の毛布の下に首がなかったのを見た。今でも覚えている。」

この父は酒飲みであまり子供をかえりみないとの評判でした。
この父親が、「ハイサイおじさん」のモデルだった。

先ほどの喜納さんは、沖縄民謡の大物だった昌永家に生まれ、先ほどの酒浸りおじさんと少年たちとのやり取りをうたった同曲は、69年、父親が出したレコードに収録された。
地元でヒットし、全国デビュー。

陽気でノリのいいリズムから、沖縄勢の高校野球の応援歌としても定着した。

おじさんは、よく喜納家を訪れ、酒をねだった。
昌吉少年に、元学校の校長だと名乗ったがウソだった。

客を遊廓ふ運ぶ馬車持ちだったが、戦後の混乱で仕事をなくした。

戦後な影は尾を引き、浮浪者や傷病人がいまだ道にあふれていた。
戦争体験によるトラウマや、米軍統治下の精神的不安が人々の心をむしばんでいた。

村八分にされたおじさんは、子供たちに石で追われた。
交通事故にもあった。
だか明るく酒をせびりに来た。
その突き抜けた陽気さに感心し、「ハイサイおじさん」が誕生する。

「ハイサイおじさん」~喜納昌吉&チャンプルーズ音符

喜納さんは、この曲には根源的な明るさを持つ沖縄の伝統的共同体の魂が、長い戦後の不幸や悲劇に坑して、激しく息づいている。


晴れ波、沖縄もまだまだこれが夏本番。

やっぱり煌めく太陽に、どこまでも青い海。
のイメージが一見強いですが。

その裏側にあるものとか、歴史とか、本当に沖縄は重く深いですね。

でも、明るさや希望とか、将来、未来へ向けて、とっても前向きな気持ちも忘れていないのでしょうね。

ちょっと前に沖縄に行ったばかりでしたが、次は、また違う気持ちや思いを抱いて、沖縄に訪れてみたいですニコニコ音符