皆様、このたびめでたく新規開業!させていただく事となりました。
栄養療法、自然療法、統合医療、内科、ペインなどを行うクリニックです。
(千代田区、新宿区)四ッ谷駅、市ヶ谷駅すぐそばです。
ブログ、ホームページも出来ましたのでそちらをご参照ください。

http://ameblo.jp/naturalartclinic/
http://naturalartclinic.com


です。
よろしくお願い申し上げます!!
数年前に自分の思いを書いていた文章を発見!
自分の出身大学の同門誌に寄稿を依頼され、その時の
自分の医師としての思い」を書いたものだ。
また無くさないようにメモとして貼り付けておく。


 -全身管理から全人管理へ-
                       ◯◯病院、ER Dr. Y.M
★旅のはじまり
 子供の頃、宇宙物理学者になるのが夢だった。もしくは「幽霊=魂」の研究者になりたかった。なのにいつの間にか医者になっていた。「失敗した!」そう思っていた。しかし、それは運命であったと、後に気づく事となる。
特に医者になりたかった訳ではない。だから当然、行きたい「科」なんて無かった。大学の卒業式が終わっても同様であった。それがDr.Kaw...Hir…らの導きでどういうわけだか、麻酔科へと入る事になってしまった。麻酔にも興味があった訳ではない。だが、僕がハマってしまうキーワードがそこにあった。「全身管理」である。全身の機能、バイタルサイン等をいくつもの理論、薬剤、機械、テクニック、勘、を用いて自在に操る。「カッコいい!」単純にそう思った。

ここから僕の「全身管理」を追求する旅、「運命の旅」が始まる。

 研修医から数年、各病院で麻酔、集中治療、ペインを教えてもらいながら、救急医療を独自に学んだ。前者3つに関してはそれで十分であった。ただその当時救急医療に関しては十分な指導を受けられる機会は無かった。前3者に加え診断学、急性期治療を加えた救急医療を極めれば怖いものは無い、究極の医療を身につけられる、そう思っていた。これらをベースにした「全身管理」を極めれば、人の全てを操れるのでは…と錯覚さえするほどであった。
その為には救急を一から勉強し直すべく、TOKYOへ行くしかないな、そう思った。しかも「行かなければならない」、なぜか「運命」のようなものも強く感じていた。この時感じた感覚が今の自分を作り上げたといっても過言ではない。大学院の途中でありながら岡大の皆様にはご迷惑をかけつつ、TOKYOを目指した。その際、僕をTOKYO-ERへ運命的に導いてくれたDr.Mot...Mik…(九大)。TOKYOでの様々な運命的な学び・出会いのきっかけを作ってくれた後、彼女はこの世を去った。自らの命と引き換えに導いてくれたようにも思えた。

★TOKYO-ER/First step
 さすが一流のERであった。年間6000~9000台(現在12000台らしい、)の救急車をこなして行く中で、救急医療を極めたとは言わないまでも、十分そのエッセンスを吸収し実践できるまでになった。救急・麻酔・集中治療・ペイン、それらに基づいた全身管理。これらをマスターした自分は最高の医療が提供できる…はずだった。が、現実はそうではなかった。
 目の前には自分には十分にケアできない患者達で溢れ返っていた。心の問題を抱え何度も何度も運ばれてくる少女達。検査に全く異常はないのに症状を訴えてくる人達。自分の存在、根源に疑念、不安を抱える人達。社会的問題を抱え、それが症状を引き起こしている人達。「なんで、こんなになるまでがんばってしまったの?」と思うくらい仕事をがんばり、症状に耐え(または病気に気づかず)、重症化してくる人達。死を顧みない人達、逆に死に怯える人達。自分が十分に手の出せない患者達はゴマンと居た。当然と言えば当然である。ICUに居てもこの類いの患者達に向き合う事はほとんど無い。
重症な患者を何日も泊まり込み、救えた命、救えなかった命。自分の労力で人の命、一人分が救える、、確かにそれ自体はすばらしい事である。でも、「自分がこんなに身を粉にしてがんばって、一体、一生のうちで何人の命が救えるのだろう。。効率が悪すぎる。」そんな疑問にも苛まれ、そして「救命」こそ「必須命題」のように繰り返される救急医療。それにさえ疑問を感じるようになっていた。「この人、ほんとに助けて(心拍再開だけして)良かったの…?」と。
「救急外来(ER)に来てしまったらもう遅い!」なんとかここに来させないようにするのがほんとの医療なんじゃないか!自分なりの結論を得た。
その上で、「死ぬべき時が来た人は死ぬのが運命であり、自然の摂理」なのだろう。無理に(一時的に)助けるだけが医療ではない。まだ「その時」で無い人は全力で救命する。「やっと」そう思うに至った。この「気付き」こそが運命的にTOKYOへ導かれて来た(First stepの)意義であり、間違って?医者になってしまった「意味」であったと思える。
そしてここから「全身管理」のその先にあった、「命とは何?」「人とは何?」「運命とは何?」という命題に対する探究が始まる。

「人とは、全身とは、、」/Second step
 そもそも、自分が目指していた全身管理。その「全身」ってなんなのだろう?
それまでは身体機能を目の前にある肉体の中でコントロールできればそれで良かった。しかし、「人の存在意義」「命」といった命題を考える時、どうしても「肉体」だけで物事を考えるのは非合理的であった。かといって哲学をしてもしょうがない。医師として科学者として「人・命」について考える必要がありそうだ。

★「人」って、「自分」ってなんなの?
 人は死ぬと「無」になる。常識的にはそう考える。「自分」がなくなるのだから死んだ事にさえ気づかなくなる。それでおしまい。はたして…。
そもそも「自分」って何なのだろう。「自分という存在」はこの「肉体」とイコールなのだろうか?肉体は1年もあれば全ての細胞が入れ替わる。にもかかわらず、「自分」は「自分」のままで変わらない。では、物理的なこの肉体がなくなれば「自分というIdentity」も無くなるのだろうか?そうだとするならば、、逆に考えて、、仮に科学が細胞を一から(原子、分子から)作る事ができるようになって、自分と全く同じ構造の「人間様有機体」を作り上げたとする。(これはクローンとは違う。)その時、「人間様有機体」は生命活動を営み、「自分と同じIdentity」をもつのだろうか?「この肉体」=「自分」であるならばそうなるはずである。同時に同じIdentityを持つものが二人、またはそれ以上存在しうる事になる。しかしその考えはしっくりこない。実現しそうにもない。
 その疑問に関してはAyurveda(アーユルヴェーダ)が説明している。Ayurveda(以下AYV)とは、「生命の叡智(科学)」という意味で、インドに5000年以上前から伝わる世界最古の伝統医学である。AYVの凄さは知らない人がほとんどだと思うが、凄すぎてこの紙面では説明しきれない。人間を、世界を、宇宙をエネルギー的側面から「も」とらえ、理路整然と説明しそこに矛盾はない。しかも現代科学がやっと証明できた事や、証明しつつある事が5000年以上前にすでに語られている。まさに叡智と呼ぶにふさわしい医学、科学、哲学なのだ。そのAYVが人間について以下のように述べている、、、
==精神と身体と真我(アートマン)の3つは、あたかも鼎(あたえ)の如くであり、世界はそれら3つの結合によって支えられ、一切のものはそこに基盤を置いている。その3つの結合体が人間であり、それは意識を持ち……云々==
ここで言う「真我;アートマン」とは「宇宙とつながる自分の魂/本来の自分」の事を意味している。そう、人間とは「精神と身体と魂」からできており、肉体・脳が滅びた時には「魂」のみが残り、それが「自分=真我=Identity」なのだという。魂は「エネルギー」で永遠の存在である。すなわち「自分」は永遠なのであり(無くならないし)、また複数は存在し得ないのである。(エネルギーの観点から考えてもエネルギー保存の法則により消滅する事はないはず。)

え~、ほんとかよ?  自分=魂=エネルギー?魂は永遠? 
常識的な発想じゃないよ。そう思う人も多いだろう。。

★常識を疑おう
アインシュタインは言った。
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである。」
まさにその通りだ。常識と思っている事の多くが真実ではない。人は目に見えるもの、測定できるものだけを信じる。目に見えないものは「無い」と否定する。果たしてそうだろうか?
人には五感がある。五感があるからこそ季節を楽しんだり、感性を磨いたり、五感があることを素晴らしい事のように思っている。しかし、こうは考えられないだろうか?「人には五感しかない。」と。しかもその五感は非常に制限されたものだと。少なくとも僕はそう思う。無限に存在する周波数の極々一部しか、感じ取れないのだ。さらに、見えているものでさえ真実ではない。全員が「あの花は赤い」と言っても真実はそうではない。実際、「花は赤くはない」のだ。 にも関わらず、目に見えるものだけを信じ、目に見えないもの、科学で測定できないものは「存在しない」と否定、科学万能だと思うのはあまりにも傲慢。逆に言えば、見えない物を否定する、それこそ「非科学的」である。科学万能と言われるこの現代においてさえも、(本当の科学者こそが科学万能でない事を良く知っているのだが、、)人は、科学は、細胞一つ(一から)作り出せていないのだ。ましてや生命なんて。(注、クローンやiPSは一から作ったものではない。またDNAの起源は宇宙にあるようだby NASA)現代医学だって本当の真実は何も見えていないのかもしれない。もしかすると人間の本質を全く誤解していて、見えていないのかもしれない。では、、

★人間を別の角度から見てみよう
 人間とは何なのだろう。物理的な肉体に限定され、他からは完全に分離、独立した、目に見える部分だけの存在なのだろうか?
常識を外して考えてみよう。
「オーラ」という言葉、「あの人はオーラがあるね。」とか「オーラが見える。」と普通に使っている。しかし、実際にはそんなものは存在しないと多くの人が思っているだろう。はたして…。
先にも述べたように人間の感覚には極度の「制限」がある。それは脳全体のわずか数パーセントしか使っていない事に起因するのかもしれない。その制約の中で「見えない」からと言って「無い」とは言えないはずなのだ。実際に人間は自ら発する電磁場に囲まれている。それは人間が電気システムで動いているから当然である。脳や心臓の作り出す磁場、細胞全体が作り出す磁場。また、物質には固有の周波数があり、各臓器にもその周波数は存在する。体全体から周波数を出しまくっている人間の周りに何らかの「場:energy field」が存在するのは自然な事であろう。さらに未知のenergy fieldを持っている可能性さえある。何せ見えないのだから。何があってもおかしくない。「energy fieldの異常」が「肉体の病気」として表現されている事もあるかもしれない。そうなると肉体だけいじったって病気が治らない事も当然ありうる。こう考えると、一体「全身」って、どこまでなの?って思ってしまう。そしてそのfieldは「個」のものではなくて、世の中全体、宇宙全体とつながっているとも言われる。その一部を表現したのがユングの「集合的無意識」である。隣の人とも、草木とも、地球とも、そして宇宙ともつながる大きな大きなエネルギー体(AYVでは宇宙意識とか純粋意識と呼んでいる)の一部である、というOnenessの考え方である。
★意識、情報のfield
麻酔科医がバイタルサインとして扱う「意識」でさえ、これまでの概念とは全く違うことが分かりつつある。潜在意識の情報処理能力は1000万bit/秒、表面意識は126bit/秒とも言われる(この数字自体は鵜呑みには出来ないが、、)。この圧倒的な潜在意識の処理能力は集合的無意識のような広大なenergy fieldと一体であるからこそ可能なのではないだろうか。しかも、表面意識は潜在意識から上がって来た情報の極一部をあたかも自分で能動的に感じたかのうように(クオリアを)錯覚しているのである。表面意識体験(目の前で起こっている事、感じている事)はあくまで幻想であり、主体は広大な情報fieldとつながった潜在意識なのである。「意識」は、「人」は、決して他と分離、独立したものでは無いのだ。ここまでくるといよいよ「全身」という概念、「常識」を変えないといけないようだ。

 真空で何も無いと思われていた(それが常識だった)宇宙空間に、今ではdark matter、dark energyと呼ばれる、まだ観測はされていないが確実に存在する
energy or energy fieldがあることが分かっている。子供の頃の僕は宇宙空間が真空で何も無いなんて嘘だ!絶対何かあるはずだ!それを僕が調べてやる!そう思っていた。子供の頃僕が証明したかった(予言していた( ̄▽ ̄) ニヤ)物を現在の宇宙物理学者達が代わりに証明してくれた形だ。
人にもそのようなまだ観測されていない情報を含んだ未知のenergy fieldがある可能性は高い(これも予言(^・^))。それはdark energyなどと一体なのかもしれない。
人が情報を含んだエネルギー体であるかもしれない証拠として、心臓移植に際し、レシピエントの術後の嗜好や性格、記憶がドナーのそれと同じように変わってしまった報告や、「生まれ変わり/輪廻転生」が証明された報告も一部にはある。医学的には説明は難しいし、あり得ない。しかしAyurveda理論や超ひも理論においてはエネルギー的にそれも説明ができるのだ。
臨死体験とか幽体離脱という言葉がある。個人的には信じていたが、医師として、科学者としてそういった事を聞くのはタブーだと思っていた。あるとき、思いきってある患者さんに聞いてみた。     「臨死体験しましたか?」と。。22歳女性、偶発性低体温症で完全に心肺停止になったが、当院で蘇生し完全回復を果たした。詳細は避けるが、「心停止している自分」を、そして、「死後の世界」を自分の意識(目)で見て来たようだ。「何か」が身体から離れ、そしてそれは「意識」を持っていたと言う証拠であろう。

★ 人間は「スカスカの存在」;99.999999999999%が空間
 さらに別の角度から見てみる。隣の人を見た時に人の向こう側は透けては見えない。すなわち人間には隙間は無いと思っている。はたしてそうなのだろうか?人間は60~100兆もの細胞からで来ているが、その細胞1個の中をどんどんミクロの世界に入って行くと、原子の世界に行き着く。素粒子/クォークの世界まで行かずとも、人間がスカスカである事に気づく。それは…
例えば甲子園球場のど真ん中にボールをおいたとしよう。そのボールを原子核だと見立てる。そうすると電子は球場の外縁をぐるぐる回っている。そんなイメージだ。その間は??そう、「空間」なのである。そんな空間が集まっているだけ、すなわち人間はスカスカなのである。物質部分の方がはるかに小さいのだ。では、なぜその隙間が人の目に見えないのか?それが「感覚の限界」なのだ。正確に言うと電子雲、電子のspinで見えないのかもしれない。現代医学があまり気にしていないこんなミクロの世界もまた人なのだ。実際に原子の世界、そこまで行かなくても分子の世界でかなりの異常がおきている。研究が進み気づかれている事、まだ気づかれていない事、気づかれているが重要視されていない事、そんな中にも人を診るヒント、病気を治す・予防するヒントがある。

★「死」=医療の敗北?
 現代医学は「病気からの死」=「医療の敗北」であると考える傾向にある。それが起因してか、本来医学が真剣に扱うべき「死」については現代医学では全くと言っていいほど研究は行われず、避けられて来た。しかし、魂(未知のenergy field or matter)は永遠で、それが本来の自分であり、その魂が何らかの理由で(ある目的を持って)一時的に肉体を持っていた「だけ」、であるとすれば、「死」=「敗北」ではなくなる。しかもそれは、「制限された感覚:五感」しか持たない肉体から自由になれる事を意味する。
死に瀕した時、「自分=真我=魂」は、肉体を持った理由・目的が終わったから自由になりたいのかもしれない。「その時」が来た人を現代医学のあらゆる手段を用いて「ただ、ただ、延命する」ことは、果たしてその人にとって幸せな事なのだろうか?
★ 生まれてくる目的は何なのか?
では、魂が肉体を持つ目的、すなわち「生まれてくる目的」は何なのか?それは現代医学では説明できない。AYVはこれをカルマ(Karman)、ダルマ(Darman)と言う言葉で説明している。自分が行った悪行(業、カルマ)を浄化するため、でもあり、特別な目的を持っていたりもして、その目的を達し、自分の霊格を高めるという作業をすること(ダルマ)の為に何度も生まれるのだそうだ。そしてどんどん霊格を高める事によって純粋意識/宇宙意識に近づく。すなわち「解脱する」事によって輪廻転生の苦行から離脱できる。簡単に言えば、修行をするために、純粋意識/宇宙意識と一致する為に生まれて来ているのだ。この世に生まれる時に五感(のみ)があたえられる。先にも書いたように制限された五感に縛られるのは、実は苦行なのだ。
となると、「死」=「苦、悲」なのだろうか?逆の気がする。現世で目的を達した後に死ぬ事によって「修行学校から(一旦)卒業できる」のである。もしくは「上の学年に進級できる」のである。教室を一つ隣りに移るだけの事なのだ。そんなに悲しむ事は無いのかもしれない。恐れる事は無いのかもしれない。
どうしても頭に残って消えない出来事が一つ。我々H7年入局の麻酔科医同期にDr Ez..が居た。彼は入局して間もなく事故で他界した。麻酔を身につけた後は心臓血管外科医になるつもりだったらしい。葬儀で彼の一番の友人であったDr Asa..(心外に入局)は友人代表の挨拶で言った。「お前の代わりに一人前の心臓血管外科医になってやる!見ていてくれ!」と。その言葉がやたらと記憶に残り、何年も僕の頭から離れなかった。その事が「彼の生きる目的」になったような気がしたからだ。そして彼は修行を積み、手術をバリバリ独り立ちできるようになった時、病でこの世を去った。「生まれて来た目的」を達したかのように。彼が他界してしばらく、幼い息子さんが部屋の空中の一点に向かって、「お父さん」に話しかけていたそうである。彼の魂が今でも存在している証しであろう。

★Spiritualityも考慮したWHOの健康の定義論争
"Health is a state of complete physical, mental and social well-being and
 not merely the absence of disease or infirmity."
WHOの健康の定義である。1999年、この定義を以下のように改訂しようという議論がWHO総会でなされた。
 "Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and
  social well-being and not merely the absence of disease or infirmity."
ここで注目すべきは「spiritual的にも良好な状態」を健康と定義することが議論されたのである。まだ議論の段階ではあるが、世界はすでにそう言った所にも目を向けている。

★究極の全身管理とは/Third step
 結局何が言いたかったというと、人は肉体だけの存在ではないと言う事。エネルギー体であり、「超ひも理論」に従えば人の想念、思考でさえエネルギー体である、という事。「エネルギーは保存」され、「変換され物質化する」という事。目の前に起こっている「現実」は自分が作り出した「幻想」であり、先の「赤い花」の例のように「真実」ではない。病気でさえもそう。まさに「色即是空、空即是色」である。(これもインドに由来し、Ayurveda、インドの聖者やブッダは超ひも理論、量子物理学の事を知っていたかのようである。いや、知っていたのだろう。)思考を変える事や、量子力学でいうobserver effectを理解する事で病気さえ治せる日が来るかもしれない。所詮、人はエネルギーであり、周波数である。そこをいじるテクノロジーを見つければ良いのだ。少なくともそのヒントはAyurveda理論、超ひも理論、量子物理学、相対性理論の中にある。
 現代医学は外科学、救急医療、感染症治療、麻酔・集中治療においてその力を存分に発揮している。しかし一方で慢性疾患、がんには太刀打ちできなかったり、根治できない精神疾患、説明できない症状、原因不明とされる病気も山ほどある。現代医学の行き詰まっているこの状況において、そろそろ唯物論的発想を、常識を、外して考えて行く必要があるのではないだろうか。肉体だけでなくエネルギー的な観点から、宇宙とのつながりから、またミクロの世界から(どちらかと言うと現代医学はミクロが得意なようだが、、)人間を扱って行く。これが未来の「究極の全身管理」となるのではなかろうか。これが現時点でたどり着いたStepである。

★ 統合医療
 「統合医療外来」なるものを開設している(総合診療とは違う)。肉体的側面だけでなくホリスティック(全人的)な観点から人を診る。ミクロ的、マクロ的、西洋医学的、東洋医学的、エネルギー的観点や、その人の生命観・宇宙観など含め、多彩な見方で「全人的医療」を展開して行くのである。もちろん、現代標準医学も併用しながら。
具体的なアイテムとしては、Ayurveda理論(含Yoga、瞑想)、分子整合栄養医学、機能性医学、免疫治療、再生医療(幹細胞)、ホルモン内分泌療法、点滴・キレーション治療、Healing・波動療法・biophoton等のvibrational medicine、(相対性理論/量子論に基盤をおいた)遠絡医学、ハーブ・サプリメント療法、食事療法、自然療法、中医学・漢方・経穴・経絡理論、抗加齢医学、death education等々をここ数年かけて学んだ。これらを駆使して患者の治療、病気の予防にあたっている。
 まだ「究極の全身管理」ができるようになったとは全く思っていない。だが、僕が目指して来た「究極の全身管理」のヒントがこの「全人的医療=全人管理」=統合医療の中にはありそうだ。
 よく人から「救急、集中治療とは180°違う方向に行きましたね。」と言われる。そうではない、救急、集中治療、「全身管理」の延長線上に「全人管理=全人的医療」があったのである。「全人管理」ができるようになった時、それが僕のFinal step=「解脱」なのかもしれない。
 
 最後に「医学部に入って失敗した!」と思った時期もあった。しかし最終的には自分が子供の頃に思い描いていた、「宇宙の研究者になる」「魂の研究者になる」という「夢」を、いつの間にか「医者」という立場から探究できるようになっていた。これまで導いてくださった方々、宇宙の意志に感謝したい。





さあて、今年もあと2ヶ月。。まだ、ちょっとそういうのは早いか。
でも私はラストスパートに入っております。。何がって?? それを今からご説明します。
代替医療、補完医療、機能性医学、栄養療法などと呼ばれるものを学び始めて、早いもので、
もう10年になります。

その話の前に、私は、約20年前に某国立大医学部を卒業し、麻酔科医(専門医、指導医)、集中治療医として超重症患者の手術から集中治療まで昼夜なく、身を粉にして働き、その後、救急専門医として最前線で人を救うことにドキドキをかけてきました。何日も病院に泊まりこんで、救命不可能かと思われる人を救う事ができたり、後遺症を残さずに回復させることが出来たりすることもあれば、どんなに頑張っても、徹夜で治療を続けても救えなかった命もいっぱいありました。救急医としても、日本有数の救急部(ER)、救命センターで指導的立場に立たせて頂き、頑張ったつもりです。
全ての患者さんを救ってやる!!  くらいの自惚れた気持ちで居ましたドンッ

しかし実際には、心を病んで何度もリストカットをして救急搬送される女の子、仕事を頑張って、我慢して、手の打ちようがなくなってから運ばれてくる患者さん、、、こんな人達に救急医ができることは限られていました(ノ◇≦。)。「なんでこんなになるまで放っていたの!?」と思うこともしばしばでしたが、逆に「なんでこんな事くらいで、救急車呼ぶの!!」とつい怒ってしまう、「不定愁訴」で何度も救急車を呼ぶ患者さんなんかも居て、そういった人たちにも何もしてあげられない、どころか逆に怒ってる\(*`∧´)/、自分が居て、それが現実でした。

紛れも無く、救急医療、麻酔・集中治療、それら自体は素晴らしい医療だと思います。何日も自分が病院に泊まり込んで、やっと一人の命が救える、、、、素晴らしいことかもしれない、、、、が、
「こんな調子で行くと、自分の一生の内で一体、何人の人が救えるんだろう??」「非効率的だなあ、、、」そう思う自分も居ました。更に上記のように心を病んでる患者さんには十分なケアは出来ない上に、
その当時、「リタリン漬け・リタリン中毒」(リタリン;その当時、「うつ病」に保険適応があった)と呼ばれるリタリン依存症の患者さんで溢れており、
「こういう精神科医療、何とかならんのか!!」と怒りヾ(。`Д´。)ノを感じるとともに自分の無力さも感じておりました。検査値に異常の無い「不定愁訴」の患者さんに何もしてあげられない時にも同様の感情が湧いてきておりました。

そんな事から自分が学び、身につけてきた「(現代・標準)医療」に限界を感じるようになって、自分なりに出した結論は、
「ここ(ER)に来させちゃ、だめだ!」でした。
人々のためにも、救急医の為にも!「ここ(ER)に来させちゃ、だめ!!」

(ER自体がダメという意味ではなく、ERに繰り返し来るようになってしまったら、ある意味終わりだ・症状悪化、、という意味ね。)

次に出てきたのが、
「ここ(ER)に来させないようにするにはどうしたらいいんだ!?」
でした。

それが平成16年、医師になって10年目@新宿  のことでした。
ここから「補完・代替医療・伝統医療」などと呼ばれるものを学び始め、はや10年、という訳なんです。
前置きが長かったですね。すみません。

様々なもの、正当なものから怪しい(?_?)物まで、真偽を確かめるべく、手当たり次第に勉強していきました。
最近だと4年ほど前から、分子整合栄養医学(Orthomolecular medicine)、機能性医学、点滴療法、キレーション、天然ホルモン・内分泌療法などを学び、(ちょっと外れるけど、経営学・マーケティング)、更に遡って、サプリメント、遠絡療法、Ayurveda、抗加齢医学(aniti-aging)、予防医学、脈診、瞑想、免疫治療(樹状細胞・リンパ球)などのがん治療、再生医療(幹細胞治療)、aromatherapy、リフレクソロジー、メディカルハーブ、経絡・ツボ治療、ハイパーサーミア、漢方、断食や各種食事療法、そんなのをひとマトメにした統合医療、、ホメオパシー、波動療法、、はたまたヒーリングも3種類(リコネクション、シグネチャーセル、プラニック)も習ったりして。。。専門医資格を取ったのも幾つもあって。。。

いやあ、今更ながら、どんだけ金注ぎ込んだ?! そりゃ貯金無いのも頷ける。。

医師になって10年目の転機から、10年間にわたって学び続けた「習い事」もそろそろ終わろうとしています。
貯金も底をついた、(ノд・。) グスン

これからは人々のために「実践あるのみビックリマークアップである。
これまでも細々と実践はしてきました。振り返ってみると約8年間で約200人の患者さんにご協力頂き、私の新たな試みを行ってきましたが、まだまだです!

今後のテーマは

「いかに病気にならないようにするか。」
「病気になっても、繰り返し(救急)外来を受診しなくても済むようにできるか。」
「標準(現代)医療では原因不明・問題ない、と言われてしまう人たちをいかに救うか。」
「標準(現代)医療が苦手とする分野の患者さんをいかに救うか。」

そして最終的に「いかに世界を救うかビックリマークビックリマーク

である。 
ちょっと大きすぎる(笑)??

私には『mission』!!があります。
「私の生まれてきた目的は、医療を通じて世界に貢献すること。」です。

それはダイレクトに医療で役に立つのでもいいし、頂いた利益で世界に還元するのでもいい、何でもいいので世界に貢献する! ということです。

医師になって10年目の転機があり、そこから更に10年経って新たな転機が訪れたような気がします。さらに10年後世界の役に立てるように動き出そう!
さて、9月2日に再開すると書いたこのブログ。その後20日間あまりのprivateの忙しさに放置!となっておりました。。
さて、(Face bookにも書きましたが、、、)一昨日私が経験した<水銀で意識消失/失神してしまった>自分の話しを一つ。。
なんの事??って感じですね。。
実は昨日、ANA羽田発高知便で高知へ帰ってくる途中、機内で急に意識消失してしまったのです、、私。。眠ってしまったのではありません。脳血流低下により完全に失神!それが水銀のせいなのでは??というお話です。
その時、座席で眠っていた私は、表現しがたい気分の悪さに教われました。医学的に言うと「dizziness」と言う事になるのですが、頭がグワングワンして、吐きそうな感じがしてきました。珍しく、飛行機に酔ったか??と思いつつ、トイレに向ってフラフラしながら歩き始めました。途中から冷や汗が出て(いわゆる冷汗、冷感、湿潤)、眼がかすみ、手足がおぼつかなくなりました。あれ、おかしい!?と思って自分の手首の脈を診てみると、、
なんと!「脈が無い!!」
そう思った次の瞬間!!意識消失→そのまま転倒→受け身取れず→頭部打撲(ゴツン!!)
完全に「失神」したのでした!  ちょ~!かっこわるい(汗)。。
(CAさんは大慌てでした。。ごめんなさい。。)
私は常々、救急隊やナースに「受け身を取れずに、顔面、頭部、胸部を打撲している失神患者は『循環系疾患を疑え!』」ともうしております。つい先日も、その内容で講義をしたばかりでした。その私がまさに「受け身を取れずに頭部を打撲するタイプの失神」を起こしてしまった訳です。。自分が教えた通り、その直前には「脈が触れない状態」=「ショック状態!」となっており、その後、一瞬で意識消失しており、これは確実に循環系の問題のようでした。。
おそらく、心停止に近い、超bradycardia(徐脈=心拍数が極度に低下する)の不整脈だったのでは、、と推定しています。もしくはVT(心室頻拍)のような不整脈だったか??  座位で発症しており、いわゆる「迷走神経反射」ではなかったように感じます。 今は回復しているので何ともないですが、改めて考えると、いやあ、恐ろしい。。
ところで、不整脈に至る原因は?と考えた所、、
最近、極度の疲労蓄積、privateの過剰なストレスが続いており、その影響かな、、と思っておりました。
が、しかし、分子栄養療法を学ばせてもらっている、二人の尊敬する方(ドクターとカウンセラーの2名)から「それ(不整脈)は水銀(Hg)のせいかもよ!」って、びっくりするような事を教えていただきました!
確かに、改めて考えてみると、Hgで不整脈を起こしても不思議ではない。しかも、私の奥歯にはしっかりとアマルガム(水銀合金)が入っています!!
なぜ!アマルガム(水銀)が不整脈を起こしうるのか!!
それは「その②」で書いて行きます!! 「あ~~、生きててよかった!!