サッカーには「アンチフットボール」という言葉があるらしい.ようするに相手の長所を完全に消して,体を寄せて相手を削りまくってカウンターサッカーに徹するという戦術である.はっきりいってしまうと弱者の戦法であるが,強者を倒すとしたら普通この方法しかない.ナダルほどの選手(彼はランキングNo.2である)ですら,この方法をとるしか勝ち目がない.それほどまでにフェデラーは強く,その強さ故に目立ちすぎる唯一の弱点を責め立てられ,敗北した.
今回のフェデラー敗北の要因は,相手が左利き(正確には左打ち)のしかもスペイン人だったということに尽きる.ナダルはもともと右利きだが,アドバンテージのある左利きにコーチが矯正した.両手打ちのできるバッティングと違い,片手打ちのテニスで利き腕の矯正は容易なことではない.まさにフェデラーを倒すために生まれてきたような選手だ.
テニスにおいてフォアハンドよりバックハンドの方が得意な選手は少ない.例えば旧世代のプレーヤーにもかかわらず,シュテフィ・グラフがあそこまで新世代のヒンギスやウイリアムズ姉妹のパワーテニスに耐えられたのも,その強力なフォアハンドがあってのことである.彼女のバックハンドは,お世辞にも上手いとは言えない.たいていのトッププレーヤーは強力なフォアハンドを武器にのし上がっていくものである.
数少ない例外は伊達公子であるが,それは彼女がもともと左利きであり,文化的理由により親からそれを矯正されたからである.左利きの矯正は普通に行われていたことだし彼女の親を責めるつもりはないが,彼女がそのまま左利きでテニスをやっていたら,ランキング1位はさておき,グランドスラムの一つはとれたと思うがどうだろう.
それほどまでの左利きのアドバンテージは大きい.ただうつだけで右利きプレーヤーのバックハンドにボールが入っていく.たいていの選手はバックハンドでしのぎきれず,あるいは無理に回り込みフォアサイドに大きなオープンスペースを作られてしまう.特にナダルのコートカバーリング能力は半端ではなく,フォアに回り込むとしたら一撃でしとめなければならない.そのプレッシャーがフェデラーにフォアハンドのミスまでももたらした.最強の武器をも狂わされた王者に残された手段は少なかったが,それでも2セットダウンから2セット連取した底力はさすがとしか言いようがない.
私はこの試合を見ながら,1994年ウインブルドン女子1回戦,センターコートで前年覇者のシュテフィ・グラフがアメリカのロリ・マクニールにストレート負けを喫したあの衝撃の試合を思い出していた.初めから小雨が降ったりやんだりの展開.一年間使われていない芝だけに,完全にスリッピーなサーフェスを有効に活用しハードヒットはグラフのバックハンドへ,低い弾道のスライスショットをフォアへと徹底した打ち分けを行い,徐々にグラフのいらだちを誘って術中にはめていった.まさに同じような展開である.フォアハンドまでミスをはじめたグラフに,残された手段はなかった.
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スペインが国を挙げてベースライン・ハードヒットとブロード・カバーリングを主体とするテニスエリートを養成し始めてからかなりの月日がたつ.乾燥した天候と大地を有する国土に,ものすごい数のクレーコートを作り始め,有望な若者を次々とリクルートメントしフィットネスから外国語教育まで含めたトータルエリート育成プログラムを開始した.もともとの長所であるタフネスプレーを中心としたスタイルにより世界戦略を組み立てた最初の結実が,セルジ・ブルゲラ(93年・94年全仏優勝)でありアランチャ・サンチェス=ビカリオ(全仏3回・全米1回・最高ランキング1位)であった.
勢いにのったスペインは各州にテニスアカデミーを開校し,国内だけでなく海外からも有望な人材をあつめて切磋琢磨をねらった.その中心であるバルセロナの「サンチェス&カサル テニスアカデミー」にはグランドスラム大会全てのコートサーフェスが存在し(もちろんウインブルドン用芝コートもある),日本人も含め世界中から優秀なジュニア選手が留学している.
ナダル自身には幼い頃からプライベートトレーナーがついていたためこのようなテニスアカデミーの生え抜きプレーヤーではないが,スペインテニス界の隆盛にはこういった国を挙げての体制がある.今となってはフットボールに次ぐ人気スポーツとなっているのだ.そしてアンツーカーサーフェスであるローランギャロはスペイン人の独壇場になっている.
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これはもちろんスペイン人プレーヤーの責任ではないが,セルジ・ブルゲラやアルベルト・ベラサテギあたりがしのぎを削り合っていた頃から全仏はつまらなくて見なくなった.ひたすらベースラインから山なりのトップスピンボールの果てることのない打ち合いを見せられ,力尽きた方が負ける.
しかしフェデラーがでてきて,状況に変化が生まれた.同じタイプのプレーヤでグランドスラム14回優勝のピート・サンプラスですらベスト4が最高であった全仏において,3年連続で決勝まで残っている.いずれも相手はナダルであり,結局3連敗しているのであるが,それでもクレーコートでもファンタジーは可能であることを見せつける光明でもあった.
もちろんまったく逆方向のつまらなさはウインブルドンでも存在した.以前はボールに工夫がなく,200km/hを超えるビッグサーブでほとんど3球以内にポイントが決していた.しかしボールが柔らかくなるなどのレギュレーション変更がありストロークラリーが増えた.ウインブルドンは以前のおもしろさを取り戻したと言える.
今回の決勝はフェデラーがあまりにも強く,そして相手がナダルであったからこそ生まれた死闘であった.ナダルの信じがたい体勢からの奇跡的なパスなど,随所にファンタジーを見ることが出来たが,最後までやりきれない感じのフェデラーが痛々しく,ウインブルドン決勝史上最長の試合時間であったが最高の試合とは言えなかったかもしれない.
90年代,テニスはほとんどビッグサーバーの時代であった.そこに楔を打ち込んだのが年をとってからのアンドレ・アガシであり,いまここに微妙な均衡がもたらされている.テニスはこのままナダルに引き込まれるのか,それともこの壁をもフェデラーは乗り越えるのか.来年までにこの答えがでる.
今回のフェデラー敗北の要因は,相手が左利き(正確には左打ち)のしかもスペイン人だったということに尽きる.ナダルはもともと右利きだが,アドバンテージのある左利きにコーチが矯正した.両手打ちのできるバッティングと違い,片手打ちのテニスで利き腕の矯正は容易なことではない.まさにフェデラーを倒すために生まれてきたような選手だ.
テニスにおいてフォアハンドよりバックハンドの方が得意な選手は少ない.例えば旧世代のプレーヤーにもかかわらず,シュテフィ・グラフがあそこまで新世代のヒンギスやウイリアムズ姉妹のパワーテニスに耐えられたのも,その強力なフォアハンドがあってのことである.彼女のバックハンドは,お世辞にも上手いとは言えない.たいていのトッププレーヤーは強力なフォアハンドを武器にのし上がっていくものである.
数少ない例外は伊達公子であるが,それは彼女がもともと左利きであり,文化的理由により親からそれを矯正されたからである.左利きの矯正は普通に行われていたことだし彼女の親を責めるつもりはないが,彼女がそのまま左利きでテニスをやっていたら,ランキング1位はさておき,グランドスラムの一つはとれたと思うがどうだろう.
それほどまでの左利きのアドバンテージは大きい.ただうつだけで右利きプレーヤーのバックハンドにボールが入っていく.たいていの選手はバックハンドでしのぎきれず,あるいは無理に回り込みフォアサイドに大きなオープンスペースを作られてしまう.特にナダルのコートカバーリング能力は半端ではなく,フォアに回り込むとしたら一撃でしとめなければならない.そのプレッシャーがフェデラーにフォアハンドのミスまでももたらした.最強の武器をも狂わされた王者に残された手段は少なかったが,それでも2セットダウンから2セット連取した底力はさすがとしか言いようがない.
私はこの試合を見ながら,1994年ウインブルドン女子1回戦,センターコートで前年覇者のシュテフィ・グラフがアメリカのロリ・マクニールにストレート負けを喫したあの衝撃の試合を思い出していた.初めから小雨が降ったりやんだりの展開.一年間使われていない芝だけに,完全にスリッピーなサーフェスを有効に活用しハードヒットはグラフのバックハンドへ,低い弾道のスライスショットをフォアへと徹底した打ち分けを行い,徐々にグラフのいらだちを誘って術中にはめていった.まさに同じような展開である.フォアハンドまでミスをはじめたグラフに,残された手段はなかった.
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スペインが国を挙げてベースライン・ハードヒットとブロード・カバーリングを主体とするテニスエリートを養成し始めてからかなりの月日がたつ.乾燥した天候と大地を有する国土に,ものすごい数のクレーコートを作り始め,有望な若者を次々とリクルートメントしフィットネスから外国語教育まで含めたトータルエリート育成プログラムを開始した.もともとの長所であるタフネスプレーを中心としたスタイルにより世界戦略を組み立てた最初の結実が,セルジ・ブルゲラ(93年・94年全仏優勝)でありアランチャ・サンチェス=ビカリオ(全仏3回・全米1回・最高ランキング1位)であった.
勢いにのったスペインは各州にテニスアカデミーを開校し,国内だけでなく海外からも有望な人材をあつめて切磋琢磨をねらった.その中心であるバルセロナの「サンチェス&カサル テニスアカデミー」にはグランドスラム大会全てのコートサーフェスが存在し(もちろんウインブルドン用芝コートもある),日本人も含め世界中から優秀なジュニア選手が留学している.
ナダル自身には幼い頃からプライベートトレーナーがついていたためこのようなテニスアカデミーの生え抜きプレーヤーではないが,スペインテニス界の隆盛にはこういった国を挙げての体制がある.今となってはフットボールに次ぐ人気スポーツとなっているのだ.そしてアンツーカーサーフェスであるローランギャロはスペイン人の独壇場になっている.
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これはもちろんスペイン人プレーヤーの責任ではないが,セルジ・ブルゲラやアルベルト・ベラサテギあたりがしのぎを削り合っていた頃から全仏はつまらなくて見なくなった.ひたすらベースラインから山なりのトップスピンボールの果てることのない打ち合いを見せられ,力尽きた方が負ける.
しかしフェデラーがでてきて,状況に変化が生まれた.同じタイプのプレーヤでグランドスラム14回優勝のピート・サンプラスですらベスト4が最高であった全仏において,3年連続で決勝まで残っている.いずれも相手はナダルであり,結局3連敗しているのであるが,それでもクレーコートでもファンタジーは可能であることを見せつける光明でもあった.
もちろんまったく逆方向のつまらなさはウインブルドンでも存在した.以前はボールに工夫がなく,200km/hを超えるビッグサーブでほとんど3球以内にポイントが決していた.しかしボールが柔らかくなるなどのレギュレーション変更がありストロークラリーが増えた.ウインブルドンは以前のおもしろさを取り戻したと言える.
今回の決勝はフェデラーがあまりにも強く,そして相手がナダルであったからこそ生まれた死闘であった.ナダルの信じがたい体勢からの奇跡的なパスなど,随所にファンタジーを見ることが出来たが,最後までやりきれない感じのフェデラーが痛々しく,ウインブルドン決勝史上最長の試合時間であったが最高の試合とは言えなかったかもしれない.
90年代,テニスはほとんどビッグサーバーの時代であった.そこに楔を打ち込んだのが年をとってからのアンドレ・アガシであり,いまここに微妙な均衡がもたらされている.テニスはこのままナダルに引き込まれるのか,それともこの壁をもフェデラーは乗り越えるのか.来年までにこの答えがでる.