古典(クラシック)のどこがいいかというと,それは音楽に限らず長い年月を生き延びて価値が認められたと言うことであるからして「はずれ」が少ないということがある.村上春樹の「ノルウェーの森」(だったと思う)の登場人物が,”クラシカルで価値の高いものがたくさんあってそれをカバーするだけでも一生かかるのに,価値があるかどうかもわからない現代のポップスなんか聴いている暇がない”,というような意味のことを言っていたが,それは確かに一面の真実ではある.

最近私がはまり始めたワインもそうであるが,クラシカル・ミュージックと呼ばれるものはあまりにも数が膨大であるが故にどっから取りかかったらよいかよくわからん!というのが正直なところだろう.そのくせ,こと「鑑賞」ということになると,人間は異常に鋭い感性を誰もが持っていて,これは当たり,これはハズレというのが結構はっきりわかってしまう.そしてハズレを引いてしまったときのダメージが結構大きく(時間と,だいたい数千円),なくても生きてゆける(これには反論もあろうが)ゆえに,なかなか取りかかれないわけである.

消費する側から見ると,ワインとクラシカルミュージックは非常によく似ている.共通点をあげると,
①種類が異常に多い.
②価値と価格が比例しない.
③作曲家(ブドウ・畑)がよくても演奏家(醸造家)がよくないとダメ,しかしその逆はかならずしもそうでない.
④良いものは誰でもわかる.
⑤悪いものは誰でもわかる.
⑥にもかかわらず,良し悪しをはっきり言えない雰囲気がある.
⑦知識がなくても感動できるが,知識がないと楽しめない.
⑧はまると異様に金がかかり,しかも金銭感覚がなくなる.
⑨くやしいことに日本は本場ではない.
⑩ライブの感動は一回切り.

それぞれコメントしたい.

①種類が異常に多い.

さかのぼればいくらでもさかのぼれるが,ある程度形式的な音楽となると記譜法の発達した西洋音楽が始まるルネッサンス期くらいからだろう.たかだか貴族のための音楽とはいえ,この六百年に名前を残している作曲家だけでも数千人のレベルで存在する.そしてそれぞれの作曲家が数百曲から数千曲の楽曲を書いている.細かく言うと版によって音が違うこともしばしば.そしてそれぞれの曲を数万人のプロ・アマパフォーマーが演奏している.絶対に全てをフォローすることは出来ない.

②価値と価格が比例しない.

有名な演奏家のふぬけ演奏や有名作曲家の駄作はいくらでも存在する.海外から来る人はコンディションが悪いこともしばしば.大学生の年に一回の定期演奏会で非常な感動を覚えることもしばしば.とはいいながら金を積めばいいものが手に入ってしまうのも真実.

③作曲家(ブドウ・畑)がよくても演奏家(醸造家)がよくないとダメ,しかしその逆はかならずしもそうでない.

パフォーマーがだめだと全てが台無しになる.しかし妙な作曲家がパフォーマーの偏愛・異常な共感,あるいはそれこそ正当な愛により怪しい光・生まれ変わったような輝を解き放つことがしばしばある.おもしろさという点では,この現象が一番おもしろい.

④良いものは誰でもわかる.
⑤悪いものは誰でもわかる.
⑥にもかかわらず,良し悪しをはっきり言えない雰囲気がある.

このエントリーで一番言いたいのは⑤である.楽器を弾くのはとても難しく,なにか弾くことが出来る人はそれだけで「ものすごい人かも」という印象を持ってしまう.しかし実際のところ,巷には「ひどい演奏」が溢れかえっている.特に日本の演奏家の品質管理は残念ながら非常に問題がある.これはライブに限らず,そのときの最高の演奏を切り取っているはずのレコードにおいてもしかりである.

あなたが何かの演奏を耳にして「これちょっと怪しくない?」と思うとき(残念ながらしばしばあるはずだ),その感覚は絶対に正しいです.変な演奏を耳にしたとき「これは絶対ヘボ演奏だ」と心の底から思えるかどうか,非常に逆説的であるがクラシック音楽を楽しむ上ではこの覚悟が一番大事かもしれない.

なんと傲慢かと思われるかもしれないが,変な演奏を聴いたとき,あなたの感性は必ず「これは変な演奏です」と警鐘をならしている.しかし「この人は有名な演奏家だから」とか「高いチケットだったし」とか「チャートNo1のアルバムだし」,そして一番危険な思いこみ「変な演奏を人前でするわけないじゃん!」というドグマが邪魔をして,この内的なアラートが無視されてしまうのである.

誤解を避けるために言うと,有名演奏家が軒並みひどいというわけではない.もちろん実際はその逆で有名演奏家のほとんどはすばらしい演奏家であり,チケット・アルバムとも買って損はないものばかりだ.それはワインもおなじ筈である.しかしそれがどのようなコンディションによってなされたか,それは演じる側・サーブする側のコンディションもそうだが,それを受け入れる側のコンディションによっても異なってくる.

やる側聞く側どちらに問題があるかはさておき,なんか変だなと思ったらその変だという気持ちを無視しない.たとえば私の連れはあんまりクラシックは聴かなかったのだが,あるとき「こいつ下手くそだなぁ」と私が言ったとき「やっぱそうだよね!」とある意味目を輝かせていったのが,きちんとクラシック音楽を評価する第一歩となっていた.

⑦知識がなくても感動できるが,知識がないと楽しめない.

ただやはり感動が先にないと,知識をえるモチベーションが沸かない.これは結構長い道のりだが,感動を説明することができればそのおもしろさは何物にも代え難くなる.意外かもしれないが,アートにしてもミュージックにしても,感動する理由というのは結構しっかりしていて,かつ本質的には「良さ」の理由はそれほど多くない.「悪さ」の理由はいくらでもあるが.

⑧はまると異様に金がかかり,しかも金銭感覚がなくなる.

そのまま.

⑨くやしいことに日本は本場ではない.

日本にも最高レベルのものがある.ただ西洋にとってのクラシカルミュージックは日本にとっての柔道のようなものだ.その意味で日本のいい演奏家が出ているというのは,たとえばフランスにいい柔道家がいるということと同じようなものだ.国際化はしている.しかし本場と言うものも確かにある.

⑩ライブの感動は一回切り.

この切なさがたまらない.



「神の雫」は主人公がワイン初心者であるために入門としても非常によい.しかし「のだめカンタービレ」はすでにレベルが高く,ストーリーとしては良くできているがクラシックの入門としては意外と敷居が高い.選曲も凝っている.窓口は広がったが(この功績だけでも大きい!),まだ踏み込むにはもう一段必要である.次に私なりの「安い」クラシック入門についてちょこっと書いてみたい.