カメルーンが瞬間瞬間にみせる異常な強さのみが印象に残る試合であった.前半は田中・大久保などボールキープ力がある程度高いFWが踏ん張ることで,むしろ中盤の技術的劣勢をマスクできた.しかし彼らが下がり,佐藤や高松などボールをうけるタイプのFWが入ってからの日本は攻撃どころではなかった.とくに後半20分くらいから日本が追加点をあげるまでの時間帯,まったくボールをキープできず,ほとんど3タッチ以内でボールを奪われていた.中盤はズタズタに切り裂かれたが,カメルーンのコンディションの悪さにも助けられて失点はなかった.

この中盤では決定的チャンスは作れるはずもなく,あのような形でしか点は入らないのであるが,結局入ってしまったためにオシムの首はつながった.サッカーとはおもしろいものである.オシムはよく「日本にあったサッカー」というフレーズを口にするが,アジアカップを見ればわかるとおり結局のところ「中村・高原」などの個人の力に完全に頼り切るサッカーである.それは仕方がない,というかそれで当然である.

「うまい選手を選びうまく組み合わせる」これが代表監督の仕事である.このどちらに重点をおくかというのは国の状況や監督個人の趣向・野望に依存する.うまい選手を選ぶということの最右翼はジーコであり長島茂雄元ジャイアンツ監督である.彼らは自らが最高のプレーヤーでありかつ国民的ヒーローであったために,技術的コンプレックスというものが存在しない.純粋に技術の優れた選手を集め,投入する.局所的な戦術論が希薄なところが共通項だ.というかそんなものはわかっているだろう,というのが基本スタンスである.

オシムはいろいろなことを煙に巻く人なので,どういう考えなのかがよくわからない.ネットワークの中での個の力ということをよく言っているが,そのわりに技術的練度の低いジェフの選手がずっと代表に選ばれ,選ばれるだけでなく試合に出ていた.ただオシムもさすがによくわかっている.息詰まった試合で羽生はださない.巻を後半で使うことはない.頼れないことが自分でわかっているのになぜ千葉の選手を出すのか.彼らが悪いわけではない.彼らの技術を許容している監督に責任がある.

アジアカップでもわかるとおり,サブスティテューションメンバーの技術が低いのがこの代表の特徴だ.ただの補欠である.走るだけで技術がなくてもよいなら,17歳でも入れてみたらよいではないか.

千葉の選手がいない試合で勝ったということだけが,今回の収穫かもしれない.