相手のプレッシャーもあるし意識してたところもあるだろうが,結果的にグループリーグとはまるで別の戦い方になってしまった.トラップ・キックともに精度が落ちてしまい,中盤の支配率が落ちた.ピッチの悪さも目立ったが,あきらかに精神的な要因である.ただ集中力の切れる瞬間がなかったので,ディフェンスについてはむしろよくなっていたかもしれない.

オーストラリアはあれ以上の試合は出来なかっただろう.妥当な結果ではあった.ただそれは一年前のオーストラリア戦でも言えたことである.日本は一年前,80分間ゲームをコントロールしながらも愚策と傲慢によって試合を崩壊させてしまった.それがなかっただけ,成長したとも言えるかもしれない.

しかし誰もが意識していたと言わざるを得ない.日本の選手は根拠のない恐怖に怯え,オーストラリアの選手はあるはずのない何かを期待していた.ひょっとしたら観衆もベンチも同じ幻影を見ていたかもしれない.さらにいうとオシムもそうだったかもしれない.もっとはやく気づくチャンスはあった.最初の凡庸な交代,ピドゥカを下げてキウエルを入れた時点で気づくべきだった.

オーストラリアには,もはやヒディングはいない.

オーストラリアに策はなかったが,策がないことの明確な自覚もなかった.彼らは前半からかなり前のめりであったし,中盤が支配されることにイライラしていた.一年前にはなかったことである.日本は中盤を支配できていることが,自分たちの技術によるものなのかどうか信じ切れなかった.それが早すぎるクロスや,充分深く切り込めないサイドバック,そして絶好球を目の前にあわてふためくシューターに現れていた.

とはいえ高原・中村・遠藤・中沢・川口,やはりしっかりしていた.他の代表選手はこの5人とのレベルの差を痛感し,なぜ自分がそこまで到達していないのか,彼らを超えられないのかを真剣に悩むべきである.別に特別なことではない.単純に技術レベルの問題である.とくに控え選手層の技術レベルの低さは深刻だ.オシムはバランスとポリシーを重視するあまり,日本の選手層を無駄遣いしている.

スタープレーヤーは一人でいい.

確かにそうだろう.ただ中村がつぶれたとして,このチームはどうやって攻撃をするのだろう.今野は後ろからよく走り,羽生は前と横へよく走る.ただボールハンドリングとキックの精度が低い.中村ケンゴウもそうだ.結局オシムも,けが人を今野に代えるという凡庸な策しかできなかった.矢野は巻のかわりを期待されているのか.佐藤には高原になって欲しいのだろうか.タイプのかぶった選手が何人もいる状態では,チームとしての限界が始めから規定されてしまう.

やはりオシムはトレーナーなのだ.彼は試合の均衡に圧倒され,何も手が打てなかった.

ヒディングは違う.彼は試合をひっくり返すために,駒を動かすのではなくゲーム盤をひっくり返す監督なのだ.ピッチの外からダイレクトに試合に影響を及ぼす,なぜか12人と戦っているような錯覚に相手を陥れる,そういう監督なのだ.それが,どんなリスクを冒しても一点が必要とあればFWを5人投入するという戦術に結果として表れる.

今回の試合ではスタメンの技術レベルの高さを改めて確認できたが,控えの層の薄さと監督の勝負弱さを露呈させてしまった.あるいはオシムは,ヒディングの呪縛を意識しておりそこから解き放つためにあえて動かなかったのかもしれない.可能性は低いが,今はそのような期待も一応持っておこう.