金子達仁さんの新刊が出た.

金子 達仁, 戸塚 啓, 木崎 伸也
敗因と
いつもそうだが,この人はメンタリティの深層に迫っていくのがうまい.ドイツで日本代表がなぜあんなにも心に響かない草サッカーのようなゲームをしたのか,チーム内の錯綜する心理が絡み合う糸をたどるように示されている.ただ,だいたいどういうことだったのかはゲームをみていればわかる.スポーツとはそういうものだ.ようするにチームの体をなしていないだけでなく,各人が子供だったといえる.

読めばわかるが,ほとんど高校生レベルのメンタリティだ.

正月の国立競技場をめざす高校生のドキュメントとして置き換えてもまったく違和感のないレベルである.さらにいえば,たとえば「横浜 vs. PL学園」を読むと,甲子園を戦うトップクラスの球児たちの方がむしろスポーツ選手として成熟しているようだ.

アサヒグラフ特別取材班
ドキュメント横浜vs.PL学園

これは残念だとも言えるし,仕方のないことともいえる.日本サッカーにはヘリティッジが無いのだ.ワールドレベルではドーハで初めてかすかな足跡が残されたのみと言える.そこからジョホールバルをへて,なぜか日韓ワールドカップがあり,そして現在である.

たかだか10年だ.100年前からサッカーをやっていた国の遺産は比較にならない.

ヨーロッパ・南米サッカーの歴史では,ピッチの上で志望した選手・監督は何人もいる.戦争の遠因になったゲームもあるし,あるいは戦争の替りになったゲームもある.

ウクライナの名門クラブであるディナモ・キエフは,かつてナチスに占領された際,ナチスの主催するゲームで次々とドイツチームを破っていった.ディナモの選手はパン工場で強制労働をさせられ,コンディションは最悪,しかも最後の試合はナチスから「もし勝ったら命はない」と言われたにもかかわらず,プロサッカー選手としての誇りがそれを許さず,5-3で圧勝してしまう.ウクライナ人は歓喜したが,アーリア人の優位性を証明できなかったナチスは落胆・激怒し,試合後彼らは強制収容所に送られ4人が処刑された.

中田英寿がはじめてSerie Aにいったペルージャのスタジアムは「レナト・クーリ」というが,これはこのスタジアムで試合中に死亡した選手の名である.中村俊輔が所属するセルティックをかつて率いたジョック・スタインは,スコットランド代表監督でもあり,WM予選のプレーオフをかけたウェールズ戦で試合終了間際に死亡している.日本代表監督のイビチャ・オシムは,偶然にもサラエボを出た翌日にサラエボ包囲がおこなわれ,そこに残った家族と数年間離ればなれとなりながら,クラブチームを戦っている.

ヨーロッパサッカーとはそのような歴史の上に成り立っている.彼らからしたら,ドーハのことなど悲劇とも言えない.



日本の野球にはさまざまな悲劇・伝説・歓喜があり,選手はそのヘリティッジの上で戦っている.WBCの優勝は必然ではないが,偶然でもない.日本野球には勝利と敗北の記憶がしっかりと刻まれており,戦いの根拠となっている.日本のフットボールにはまだそのような記憶が全くない.選手のメンタリティが高校生レベルであったとしても,それは仕方のないことなのだ.

これから日本サッカーも,世界で痛恨の敗北をいくつも重ねていくことだろう.ドイツWMへの日本代表チームは,痛恨さえも刻むことが出来ないチームであった.ただサポータの心には深い傷が残ったことであろう.チームとしては一歩も前進しなかったが,それでもサポーターの記憶があたらしい歴史を作っていくことだろう.