運営局からメールが届いた。またもサイトをリニューアルするらしい。今回の大きな変更はサイトのURIが//id.ambelo.jp/から//ameblo.jp/idに変わることである。既存ユーザーに変更はないため、私としては大きな問題ではないかもしれないが、新規ユーザーにとっては不利だ。

またサイトリニューアルにともなって生じるであろう不具合についても、はっきりいって大変心配だ。



このameba blogというところは、妙な魅力がある。機能的にはたいしたことないし、中途半端な自由度で、特別使いやすいわけでもなく、サイトの動きはむしろ遅め。かといって堅実に仕事をこなしているわけではない。たとえばこのようなサイト で比較すると、ほとんど駄目blogの典型のようになる。なのに私はここでblogを開設した。また前述のサイトでもアメブロはきちんと注目されているし、文句を言われている。

使い古された文言であるが、文句を言われているということは期待されているからだ。中田英寿が地元イタリア紙に「ナカタなんていらない!」などとたまかかれたりするわけであるが、それは中田英寿が注目に値する人物だからだ。本当に駄目な選手は「おまえは必要ない」とさえいわれない。ただ人知れず解雇されるのみである。



私は日本でインターネットが爆発する直前の97年に大学へ入学し、学生時代のほとんどをネットワークの発展とともに過ごしていたといえる。自分でHTMLを書いてサイトを作ったこともままある。そのときからCGIをつかって現在のblogシステムのようなものを夢想していたが、あえなく失敗した。

97年から98年くらいにかけて、ネットワークの発展とほとんど同時に、そのネットワークを前提とした向流が始まって、私はその一部に足をつっこんだことがある。学生やら社会人やら起業を目指す人やらじっさいに起業した人やらプーやら政党をつくったひとやらNPOのはしりやら、そういう人たちが集まっていた。いまでもあるのだろうか。

そこに参加する人たちはほぼ一様にして無用に明るく、ほとんどが馬鹿だった。あるいは勘違いだった。彼らは夢のみを語り、ほとんど何もしなかった。私も一時はそのようなひとたちがすごい人なんだと思った。もちろん幻想である。いまそのなかでまともに稼いでいる人間がいったい何人いるだろうか。

著者: 藤田 晋
タイトル: 渋谷ではたらく社長の告白
アメーバブログを運営するサイバーエージェントの社長も、こんなインターネット黎明期に乗じて起業したわけだ。この本を読むと、はっきりいって私が学生時代に会った自称起業家と同じにおいを感じる。ただ規模が違った。のめり込みが半端でないし、変わり身の早さも半端でない。情熱も半端でないし、いい加減さも半端でない。運ももちろんあるが(運がなければ話にならないけど)、不運もかなりある。

上記は著者(社長)自身が書いているように英雄伝ではない。いかにサイバーエージェントという会社そして藤田社長という人がスピード感あふれ、そしてあっという間にユーザーやパートナーを置き去りにしてしまうかという話にあふれている。実業が枯れた21世紀にあって、このポリシーのなさこそ代表的な存在の前提かもしれない。

もちろん、皮肉でいっている。



ただ現代は現実のかなりの部分が洗練され、劇化されている。意外性はない。テロリストでさえ、東芝かIBMのノートにマイクロソフトのOSをのせてインターネットサイトを更新しているのだ。もうエンターテイメントは素人とスポーツの偶然性に頼るしかない。テレビ業界人もわかっているだろう。もう考えつくことはだいたいやってしまった。節操ない番組だらけだと人はいうが、節操があったら誰もみない。節操なくてもつまらないので私はみないが。

そうやって世界は細かく分割され、そのただ中にBLOGはいる。在庫がなく変わり身の早い21世紀型起業がここへたどり着くのは必然だ。しかし、おそらくコンシューマーとしてのインターネット利用は、BLOGで一つの完成をみると思う。httpというグラウンドに初めて築かれたスタジアムだ。

その後の爆発は? 爆発があったとき、彼らは私たちのストックを守ってくれるのか?

1年後にBLOGがどうなっているのか、楽しみだ。



なにか起承転結のない駄文になってしまった。