インデンテーション・インデントというのはいわゆる文章あるいは段落冒頭の字下げのことです。作文とか縦書きでも横書きでも、原稿用紙をつかうとき段落のはじめを一字下げますよね。あるいは英語でもパラグラフの最初をTabでインデントすることもある。そういった類のことです。

いま私はインデントをせずに文章(段落)を書いています。前の記事までもそうです。以前に自分のサイトをつくったときも、あるいはメールの文章などでも、いつのまにかインデンテーションがなくなり段落を一行開けて書くような癖がつきました。純粋に感覚的な問題です。なんとなくそのほうが美しく見えるような気がしたからです。いったいどうしてなんでしょう。



 たとえばこのように一字さげをして段落の区切りをつけるとします。一行あけは使わずに、従来通りの原稿用紙と同じ方法で段落分けをする。そうするとなぜかとても見にくいというかはっきりいってぼたっとして洗練されていない感じになってしまいます。
 たしかにいままでの文章の作法としては、インデンテーションを行い、それをもって段落分けをするというのが作法です。普通の新聞紙面とか雑誌紙面はいまでもそのようなレイアウトになっているわけです。それにかぎらず通常の文章を印字するなり手書きするなりした場合、インデントをせずに段落を一行あけで区切るとするとかなり「下書き風」なにおいがプンプンするようで、これがまた「洗練されていない」。
 やっぱりモニタと紙の差、タイピング(字送り・行送り)の差が視覚的な問題として意識されるのだと思います。黒丸以降の段落分けだと、すごく見にくいと思います。



 ちなみに大手新聞サイト(読売・朝日・日経・毎日)では「一字インデント&一行空け」で段落分けをしているようです。つまりこのような感じです。たしかに従来のインデントの伝統からとくに離れることなく、かといって一行開けているために視認性は良く読みにくさはありません。

 いつごろからこういうことになったんでしょうか。たぶんインターネット創成期は、アナログな紙の文化・視覚が生き残っていて、ふつうのインデンテーションで文章を書いていたなんてことがあったのではないでしょうか。それがいつのまにかモニタ用に洗練されていったのだろう。

 なんて夢想しているわけです。



 さらにいうと、紙アナログ文章だと「一行空け」は段落の固まり、あるいは章分けに使われていたはずです。これを私は現在、この●をつかって表現しています。けっこうお洒落でしょ。