あれから、asariを取り巻くすべてが、ぐんと変わったのでしょう。
思い出したのだから、今日は久々に書いてみます。
思い出すと去年の夏は、ムルギーとしても初めての夏でした。そして自分にとっても、あの8月には大切な発見をした頃でした。
それは「音楽になる境」です。
今でも覚えてる、去年の7月頃、1人で練習していてドラムセットで叩いている時、自分の音なのにまるで人の音源を聞いているみたいな感覚に落ちました。
それはハイハットとスネアとバスドラムの3つで出来たシンプルな8ビートでしたが、ロールしているということがはっきりわかりました。ドラムセットから鳴るすべての種類の音がが合わさって、1つのトラックのように聞こえました。
あれは自分のドラムに訪れた、音楽になった瞬間でした。
その後、それはバンドにも弾き語りにもあることに気づきました。素晴らしいテイクは必ずその境を超えていました。
例えばマギーさんのギターが他の人と同じフレーズを弾いてもかっこいい時、それはギターではなく音楽になっているんだと思いました。マギーさんはたぶん、この感覚の基準をずっと前から知っているのでしょう。
その為に必要な要素はやはりあります。まずは歌でもメロディでもスローバラードでも必ず大事なビート感、あと耳にはいる音の美しさやバランス、ストーリーのある展開、技術的なことじゃなくその場で見せる視覚情報、演者のキャラクター、気持ちの放ち方。でもそんなものひとつひとつ埋めることと境を飛び越えるのは別物で、きっとはるかに簡単で難しいのです。だから結局、知っているか、感じれるか、に帰着するんだと思います。
今年の夏、asariはいつの間にか大きくなってきてるし、ムルギーは音楽との境以上に、特別な何かに発酵しつつあります。
去年みつけたそれは、いつのまにか自分が弾く側、聴く側の境さえ取り払い、今は自分の生き様に、音楽になる境を問うてるような気さえしてる。







