今日、社内でこんな会話を見聞きしました。

 

「コンビニに週刊マガジンがなくてさ、はじめの一歩が読めなかったよ。なんか損した気分。」

 

「ほんと、はじめの一歩が載ってるときだけマガジンが即売れするんだよ。そして、それ以外の時は売れ残ってる。要は、残ってるときは、はじめの一歩が載ってない日ってことなんだよ。」

 

※この時、かすかな怒りと悔しさが滲み出ていました。

 

なんという立ち読み考察。

 

この話を聞いた直後に、ついでではありますが、いつも紅茶かココアしか飲まない甘党のこの人にブラックコーヒーを淹れて差し上げました。

 

要するに、どうでもいい立ち読みの統計のような話を得意げにしていたので、無駄口を叩かない程度に口の中を少し苦くしてその口を封じてやろう、と企んでみたということです。

 

「買えよ!」

 

 

ん?

嫌がらせに見える?

 

いいえ違います、

ただの意地悪です。

 

 

 

普段は温和で、優しくて、良い人。

 

でもこの時だけは、心の中でこう唱えました。

 

「ちね!」

 

ʅ( ´- ω-`)ʃヤレヤレ…

 

 

呆れて開いた口が塞がらないこと、

ありますよね。

 

 


本題に入ります。

 

私自身、様々な言葉について、自分自身で使いやすく組み替える習性があります。


その代表的なのがフレームワーク「APDCAA」です。

 

※重要なポイントは、最初のAが正しいとは限らないということ。そして、サイクルの中でふるいにかけながら整えていく。要するに、回すことが大事。

 

 

そもそも、フレームワークとは、習慣化している人にとってはスケジュールメモのようなものに留まります。


その中でも効果を発揮するのは、第三者に伝える場合、このフレームワークに置き換えると伝わりやすくなるという点です。

 

 


今回のテーマは、「してん」。

 

私はこれを、「思点」と捉えています。


いわゆる、思考の点です。


そして、一般的な「視点」も、この思点の一つに過ぎないということです。

 

 


そもそも、視点だけでも、人によって同じものを見たとしても異なります。

 

例えば、取っ手のついたコップを例に挙げてみます。

 

一方から見れば、取っ手がついている。
もう一方から見れば、ただのカップに見える。

 

この時に、「このコップをどのようにして持ちますか?」と問いかけた場合、

取っ手が見えるほうは、「取っ手を持つ」。
見えないほうは、「カップそのものを持つ」。

当然、この主張は対立します。


これが、異なる視点で摩擦が起こる仕組みです。

 

そして重要なのは、どちらも間違っていないということです。
 

 

人は、そこに見えるものを正解だと信じてしまう。

 

 


ではどうすればいいか。

 

相手の言っていることは、その人には確かに見えているということです。


まずはここを理解し、その視点を自分自身も見られるように動く必要があります。

 

その結果、取っ手が見えさえすれば、相手の言い分も理解することができます。


そのうえで、最初の自分の判断も間違いではなく、単に視点が異なっていただけだったと認識することが、この段階で初めて可能になります。

さらに、360度の視界を持てるようになった場合、その人の主張が、その視点の中の一部であると理解することも容易になってきます。

 

 


ここまでの話は「視点」の違いです。

 

しかし、人の思考の違いはそれだけではありません。

 

ここで重要なものを一つ挙げます。

 

レトリカル思考。

いわゆるレトリック思考ですが、これは多角性があって初めて成立する考え方です。


レトリカル思考とは、言葉や事象を一方向からではなく、文脈や立場を変えて読み取る力です。

 

要するに、「レトリック思考=多角視点」と言っても過言ではありません。

 

これが無ければ、言葉を一方向にしか読めず、結果として相手を誤解したり、意図せず誘導してしまう方向へ向かいやすくもなります。

 

 

そして、レトリカル思考という表面上の言葉を知っている少しインテリな人に、多角視点との関係を聞いてみた場合、「無関係」と答える人が多いという点も挙げておきます。

 

 

 


次に、思点。

 

思点とは、「どこから考え始めているか」ということです。


視点が「どこを見ているか」だとすれば、思点は「どこを出発点にしているか」です。

 

考え方や捉え方そのものが、そもそも異なる場所から始まっている。


その違いが、結論の違いを生むという考え方です。

 

 

視点とは、

思点の中の一つに過ぎない。

 

私はそう捉えています。

 

 


相手の結論だけを見るのではなく、

その人がどこから考え始めているのかを見る。

 


それが出来るようになると、対立の多くは「間違い」ではなく「思点の違い」だったと分かるようになります。

 

これを理解し、前述した考え方と合わせて捉えることで、より健全なコミュニケーションが形成できるのではないでしょうか。

 

 

 

私が運営や一部のプレイヤーを断罪しているその時も、

彼らの視点もある程度私には見えている、

ということも付け加えておきます。

 

要するに、

正しさ(視点)は一つではないけども、

浅い正しさと深い正しさが存在する、

ということです。

 

※浅い正しさで他者に害を与えるものに対してのみ、私は相対しています。
それ以外の違いは、単なる視点や思点の差に過ぎません。

 

 

 

そのうえで、近日中に、運営がバトル指南なるものを説くらしいですが、おそらくとんでもない失態をやらかすと私は踏んでいます。

 

今まで、無理解による瑕疵設計が横行し、不適切な発言や実装を行ってきた現運営が、まともなバトル指南を説けるはずがありません。

 

予想としては、十中八九、運営はさらなる赤っ恥を露呈すると読んでいます。

 

逆に言えば、私の予想を覆すほどに健全な発言が出来れば大したものです。

 

とりあえずは、運営のバトルシステム理解が色濃く滲み出ると思いますので、まずは静観していきましょう。

 

今回の紹介内容 戦闘を有利に進めよう!『バトルのコツ』

 

 

 

おそらくそこには、これが現れるはずです。

「運営の理解力が可視化されるバトル指南」

 

 

そして、結果として、

「自ら公開処刑の場に降り立つ形になる。」
そんな展開になる気もしています。