初めから不定期で書いて行こうと思って始めたブログでしたが、なかなか更新出来ずにいます。


これからも仕事の合間を見ては興味のある話題を書いて行きますのでよろしくお願いします。


明日どうしても見たかった「桂小米朝改め五代目桂米團治襲名披露公演」に行って来ます。


昨今の落語ブームの影響か以前は当日でも良い席を変えた落語会のチケットが全く買えません。 今回のチケットも数枚残っていた先行予約枠でやっと確保出来ました。


襲名披露公演には父親で人間国宝の桂米朝師匠も出演する予定で他に兄弟子の桂南光師匠等、そして東京からは個人的にも親交のある林家正蔵師匠も駆けつけます。


オープニングでの華やかな襲名披露口上で横一列に並ぶ師匠連の姿を今から想像してはひとりワクワクしています。


先日放送された「情熱大陸」の中で名人米朝の子として生まれ父と同じ落語家の道を選び、今回大名跡米團治を襲名する彼の心の葛藤。


その中で行われた京都南座での襲名披露公演の高座で敢えて難しい「百年目」に挑戦した噺家米團治の心意気の感銘を覚えました。


明日、師匠は一体何の演目を襲名披露の高座で掛けるのだろう? と想像しつつ床に着きます。


襲名披露公演の模様に付いては後日アップします。







昨晩、TBSテレビの「情熱大陸」を見ました。


10月5日に京都南座で上方落語の大名跡五代目桂米團治を襲名した桂小米朝師匠の特集でした。


人間国宝の桂米朝師匠を父に持ち若い頃から「上方落語のプリンス」と呼ばれて来た彼の心の葛藤と大名跡5代目桂米團治を襲名する重圧に苦悶しつつも前向きに芸道に打ち込む姿を描いた番組でした。


数年前に東京で一度だけ桂小米朝師匠の落語を見た事があります。


彼の軽妙洒脱な語り口と耳に心地よい上方弁、そして優しい笑顔と物腰の柔らかさが居ながらにして一瞬の内に見る者を「小米朝ワールド」に連れて行って呉れました。 普段は余り生で見る事がない上方落語を十分に堪能する事が出来ました。


京都南座での襲名披露公演には行けませんでしたが、横浜での襲名披露公演のチケットを確保出来ました。 残りが数枚しかなく余り良い席ではありませんでしたが、何とか間に合いました。


今から楽しみでなりません。


それと今日は落語ネタでもう一つ。


買っちゃいました。

正確に言うと、買い続けてちゃいます。


何を?


ディアゴスチーニ「落語百選DVDコレクション」です。


これから50回隔週合計100席落語が我が家にやって来ます。


でも、家族の目を気にしている私です。


それでなくても落語のCDDVDなどを既に大量に購入しているのに・・・。

それでなくても既にディアゴスチーニ「刑事コロンボ」の定期購入中なのに・・・。


でもまた、買っちゃっいました。  楽しみだなぁ~。









先日書いた「父とボクシング」の続編です。


父は大のボクシング好きでプロボクサーを心から尊敬しています。

私もそんな父からボクシングの話を聞いて育ちました。


父は学生時代に召集を受け、復員後再び大学に復学。

その後、東京で仕事を始めました。


上京して初めて移り住んだ下宿屋の近くにボクシングジムあり、地方出身の父はジムで汗を流す同年代の選手や練習生を見ては自分も頑張ろうと勇気付けられたそうです。


いつも窓ガラス越しに練習を見ていた父は体格が良かったのでジムの関係者の方からボクシングを勧められた事もあったそうです。


そして何時しかトレーナーや選手たちとも親しくなりリングサイドで練習を見させてもらえるようになりました。 また、彼らからボクシングの話をたくさん聞いたそうです。


父は、このジムの関係者の方に連れられて初めてボクシングの試合を見たそうです。


その試合は昭和27年5月19日に後楽園球場特設リングで行われた世界フライ級タイトルマッチでチャンピオンのダン・マリノ対挑戦者白井義男選手の一戦でした。


このダン・マリノ対白井戦は日本ボクシング界のエポック・メーキングとなった伝説的な試合となりました。


試合は白井選手が15Rの判定で勝利し日本人初の世界チャンピオンに輝きました。


この試合の数週間前まで日本はGHQの統治下にあり未だ復興の道半ばの段階でした。


白井選手は戦後の混迷期に懸命に生き抜いていた多くの日本人に希望と勇気、そして「自分たちでもやれば出来る!」と言う自信を与えました。


父にとっては過酷な練習に耐え拳一つで戦うプロボクサーは超人であり憧れの存在でしたが、その中でも白井選手だけは別格でした。


父が実際に白井選手の試合を見たのはこの一戦だけでしたが、その後の防衛戦もラジオの前で声をからして懸命に応援したそうです。


父は白井選手関連の新聞や雑誌の記事をスクラップしていました。 その過程で父は白井選手の人柄や伝説的なトレーナーであるカーン博士との選手とトレーナーの関係や人種の壁を超えた心の交流を知りました。


白井選手とカーン博士は師弟の間柄を超え「家族」として深く結び付いていました。


晩年認知症になったカーン博士を白井夫婦は献身的に介護し、カーン博士は死後すべての財産を白井選手に譲った事は有名な話です。


白井選手が平成15年の暮れに亡くなった時の父の落胆振りは余りにも激しく、母が父の体を真剣に心配した程でした。


父は平成16年1月14日に東京都港区の聖アンデレ教会で行われた白井選手の葬送式に参列して来ました。


以前、プロボクサーが「格闘家の中で最高かつ最強だ。」と言う父に「プロボクサーの中で誰が一番なの?」と聞いた事があります。


「チャンピオンはみんな強いが、その中でも白井選手が一番強い。」と父は答えました。


私が、「それじゃ、チャンピオンとチャンピオンが戦ったらどうなるの?」と聞くと「男のくせに屁理屈を言うな。」と一喝されました。


父は「体重制限のあるボクシングでフライ級とヘビー級のボクサーが戦えばヘビー級のボクサーが勝つに決まっている。 しかし、本当に強いボクサーはクリンチワークやフットワークを駆使して相手に有効打を打たせずに勝てるボクサーが最強なんだ。」と答えました。


子供の頃は足を止めガードを下げて打ち合うファイター・タイプのボクサーが好きで、防御戦法ですぐに相手の腕を抱え込みクリンチに逃げるボクサーは何か退屈で卑怯なボクサーに思えていましたが、今になって父が言っていた「相手に打たせずに勝つ」ボクサーの凄さと強さが分かって来ました。


今回「父とボクシング(主に父と白井選手の話)」を書いて来て思う事があります。


それは、「父が白井選手と言う素晴らしいボクサーに出会えた幸せ。」と言う事実です。


父と同時代の多くの日本人がそうであったように、父も白井選手が最強の相手に正々堂々と果敢に立ち向かう姿に励まされ勇気を伝授されました。


ここで最も重要な点は「正々堂々と戦う」と言う事です。


この続きは、続々編で。