先日書いた「父とボクシング」の続編です。
父は大のボクシング好きでプロボクサーを心から尊敬しています。
私もそんな父からボクシングの話を聞いて育ちました。
父は学生時代に召集を受け、復員後再び大学に復学。
その後、東京で仕事を始めました。
上京して初めて移り住んだ下宿屋の近くにボクシングジムあり、地方出身の父はジムで汗を流す同年代の選手や練習生を見ては自分も頑張ろうと勇気付けられたそうです。
いつも窓ガラス越しに練習を見ていた父は体格が良かったのでジムの関係者の方からボクシングを勧められた事もあったそうです。
そして何時しかトレーナーや選手たちとも親しくなりリングサイドで練習を見させてもらえるようになりました。 また、彼らからボクシングの話をたくさん聞いたそうです。
父は、このジムの関係者の方に連れられて初めてボクシングの試合を見たそうです。
その試合は昭和27年5月19日に後楽園球場特設リングで行われた世界フライ級タイトルマッチでチャンピオンのダン・マリノ対挑戦者白井義男選手の一戦でした。
このダン・マリノ対白井戦は日本ボクシング界のエポック・メーキングとなった伝説的な試合となりました。
試合は白井選手が15Rの判定で勝利し日本人初の世界チャンピオンに輝きました。
この試合の数週間前まで日本はGHQの統治下にあり未だ復興の道半ばの段階でした。
白井選手は戦後の混迷期に懸命に生き抜いていた多くの日本人に希望と勇気、そして「自分たちでもやれば出来る!」と言う自信を与えました。
父にとっては過酷な練習に耐え拳一つで戦うプロボクサーは超人であり憧れの存在でしたが、その中でも白井選手だけは別格でした。
父が実際に白井選手の試合を見たのはこの一戦だけでしたが、その後の防衛戦もラジオの前で声をからして懸命に応援したそうです。
父は白井選手関連の新聞や雑誌の記事をスクラップしていました。 その過程で父は白井選手の人柄や伝説的なトレーナーであるカーン博士との選手とトレーナーの関係や人種の壁を超えた心の交流を知りました。
白井選手とカーン博士は師弟の間柄を超え「家族」として深く結び付いていました。
晩年認知症になったカーン博士を白井夫婦は献身的に介護し、カーン博士は死後すべての財産を白井選手に譲った事は有名な話です。
白井選手が平成15年の暮れに亡くなった時の父の落胆振りは余りにも激しく、母が父の体を真剣に心配した程でした。
父は平成16年1月14日に東京都港区の聖アンデレ教会で行われた白井選手の葬送式に参列して来ました。
以前、プロボクサーが「格闘家の中で最高かつ最強だ。」と言う父に「プロボクサーの中で誰が一番なの?」と聞いた事があります。
「チャンピオンはみんな強いが、その中でも白井選手が一番強い。」と父は答えました。
私が、「それじゃ、チャンピオンとチャンピオンが戦ったらどうなるの?」と聞くと「男のくせに屁理屈を言うな。」と一喝されました。
父は「体重制限のあるボクシングでフライ級とヘビー級のボクサーが戦えばヘビー級のボクサーが勝つに決まっている。 しかし、本当に強いボクサーはクリンチワークやフットワークを駆使して相手に有効打を打たせずに勝てるボクサーが最強なんだ。」と答えました。
子供の頃は足を止めガードを下げて打ち合うファイター・タイプのボクサーが好きで、防御戦法ですぐに相手の腕を抱え込みクリンチに逃げるボクサーは何か退屈で卑怯なボクサーに思えていましたが、今になって父が言っていた「相手に打たせずに勝つ」ボクサーの凄さと強さが分かって来ました。
今回「父とボクシング(主に父と白井選手の話)」を書いて来て思う事があります。
それは、「父が白井選手と言う素晴らしいボクサーに出会えた幸せ。」と言う事実です。
父と同時代の多くの日本人がそうであったように、父も白井選手が最強の相手に正々堂々と果敢に立ち向かう姿に励まされ勇気を伝授されました。
ここで最も重要な点は「正々堂々と戦う」と言う事です。
この続きは、続々編で。