今回インタビューさせていただいた小嶋三樹さんは、現在、山梨県富士川町に在住。写真家として36年以上活動されています。 

私どものブログをいつも読んでくださっているYDさんが、写真を和紙に焼き付けている素晴らしいアーティストがいらっしゃるのですが、と小嶋さんを紹介してくださいました。小嶋さんのテーマは、自然の中の生命を光で表現すること。光を描くには陰を表現することが必要であり、陰を描くには光を表現することが必要だと主張されています。その調和の世界が、独特の小嶋ワールドです。 

 

(写真集「太素杳冥」から。光と陰の中の生命感を表現している。)

 

 

5月中旬の夏かと思うような暑さの中、富士山を望むことができる静かな佇まいの富士川町のご自宅にお伺いさせていただきました。初めてお会いしたのだが、まるで、以前から知り合いだった方と話をしているような雰囲気でした。

 

 

「どういうきっかけで写真を始められたのでしょうか?」

 

一番初めは、油絵を描いていました。それから版画に興味を持って、創形美術学校の版画科で2年間学びました。そこでは、様々な版種の技法の中でシルクスクリーンで写真製版も学びました。又、写真の講座もあったのです。実は、版画と写真はよく似ているのです。版画の版にあたるのが、写真のフィルムで、それをもとにしてプリントするわけです。

 

20歳の時に、ヨーロッパに行って、展覧会や美術館巡りをしていると、写真展を結構やっているのです。その時に、写真っていいなと思いました。日本にいた時には、写真をアートとしては見ていなかったので、衝撃でした。写真も表現の手段になりうるなと。

 

それで、版画学校を卒業後、写真学校に入り直しました。そこで、二年間、基礎的なことを学びました。卒業後は、プロのところで1年程、助手をやってから、25歳でフリーランスになりました。今は、職業として仕事の写真も撮っていますが、スタートがこのようだったので、お金を稼ぐだけではなくて、表現として写真をやりたいという気持ちが強かったです。

 

 

「写真家としてやってきた中で、どんなご苦労をされたのか、お聞かせくださいますか?」

 

経済的には大変なこともありました。しかし、色々な方に恵まれてここまで来られました。25歳でフリーランスですから、もう36年になります。あっというまでした。

 

苦労というのは、正直に言って、あまり苦労した記憶が無いかな。何度もやり直しをしても、翌日見ると、気に入らなくて、全て、やり直しとか。それで、暗室から出るのが嫌になって、暗室に、寝袋持ち込んで、そこで寝るとか。でも、それは、ものを作る人は、みんな味わっていると思います。それは、苦労とはかんじませんでした。