内田さんの作品は、1938年生まれで、1980年の「死者の木霊」以来、160冊に及ぶ
推理小説を書かれている作家です。主人公の浅見光彦は、日本の探偵の中では、最も輝かしい足跡を
残しています。日本各地を舞台に、北に南に、そして東に西に、近年ではヨーロッパや中国でも
活躍しています。 
その内田さんの30番目の作品が美濃路殺人事件です。
和紙の産地の美濃と、宮城県の白石を結んで、事件の発端が戦時疎開に遡るという大胆な作品です。
その作品の中で、主人公の浅見光彦が和紙について書いてある文章が大変面白いし、1994年には
和紙をこういう風に見ていたというのが分かります。

「美濃紙は戦前までは盛んだったが、あとは凋落の一途を辿っているのだそうだ。
昭和二十年当時には、この集落だけでも千三百人もいた和紙製造業の従事者が、
現在はわずか十一名になってしまった。しかも、後継者難で、
このままでは美濃の本和紙が絶えてしまうのは時間の問題だという。」 
「水を使い、製品を寒風に晒すなど、冬はことさらにつらい作業が多い。
そのわりには報われるこのない職業だ。和紙の用途はまだまだひろがっているとはいうものの、
後継者難が解消される保証は何もないにちがいない。」 
「F出版社の編集方針としては、「二十一世紀に生きる日本の伝統工芸」
というテーマのシリーズのひとつとして、和紙を取り上げるのだが、
はたして二十一世紀にも和紙が産業として活躍しうる余地があるのか、
浅見は少し不安になった。 
「むしろ、和紙を滅びさせてははならないという観点に立って、
その方法論を考えるかたちの記事に仕立てたほうが意義がありそうな気がしてきた。」 


このように、浅見光彦という劇中の主人公をとおして、
内田氏は、和紙の産業としての行く末を1994年に書かれています。 
その後2014年に、関係者のたゆまない努力で、手すき和紙は、
ユネスコ無形文化遺産に登録されることになったわけです。

筆者が美濃を訪れた、今年五月には、外国人の姿も多く、
1994年に、内田氏が訪れた頃とは、きっと全く違う風景になっていたのでしょう。

前にも紹介しましたが、美濃で撮影した手漉きの体験工房です。