時間というのは、流れる大河のようなものです。
現在の科学技術のレベルでは、誰もそれにあがらうことはできません。
先月、戦後70年という時間を経て、アメリカの現職大統領が被爆地広島を訪れました。
来日以前から、これは謝罪のために行くのではないという布石が行われていました。
 
たった一つの爆弾が14万人という命を奪ったのです。
14万人というと、東日本大震災の7倍以上の死者数です。 

(画像は東京新聞より)

当初、予定されていた大統領のスピーチは、数分だったとききますが、実際は17分以上に渡りました。
それだけ、気合が入っていた、いや伝えたい思いがあったということなのでしょうね。
スピーチの最初の部分だけでも、この記事の最後に、日本語と英語で記しておきます。
スピーチの後、大統領は、今は高齢者となった被爆者のところに行って抱き合ったのです。
彼は、一人の人間として、被爆者と向き合って、心の中で謝罪したのではないでしょうか。
 
あの演説をする前に、大統領は原爆記念館を訪れて、彼自身が和紙で作った折り鶴4羽を寄贈したのです。
折り鶴の少女として有名な、佐々木禎子さんは2歳のとき、広島で被爆して10年後に白血病を発症。
回復を信じて、病床で折り鶴を折り続けましたが、残念ながら、12歳で亡くなりました。
その話を知っていたからこその折り鶴だったのでしょうね。

(画像は日本経済新聞より)

大統領は、アメリカ大統領としては、政治的な呪縛のために謝罪はできなかったのでしょうが、
その発した言葉は、一人の人間としての、謝罪と反省を含めたいろいろな思いを込めていたと感じました。
I apologizeのフレーズはなくても、体全体、スピーチのトーンから、そう感ぜずにはいられませんでした。
 
単に謝罪ではなく、核戦争のボタンを押す可能性のある人間としての決意を世界中に届けたのだと思います。
あの映像を見て、ひしひしとその感情が伝わってきました。その思いが籠っている折り鶴だと思います。
 
死者と死の世界の原爆記念館に、今、和紙の折り鶴が生きています。
この和紙は、きっと1000年に渡って、平和を伝える象徴となっていくでしょう。
和紙なら、それくらいの時間は耐えていくでしょう。決して、時間に抗うことはできませんが、
時間の経過と共に、この折り鶴は、後世の人間に、
核の脅威と、核をコントロールする人間の叡智を伝えていくことになるのでしょう。
そう、あの日、原爆という死の世界に、この明るい色の折り鶴が舞い降りたのです。その第一歩を踏み出したのです。

 

71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らの魂は、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、内省するようにに求めています。。。。。(HuffingPostからの抜粋)
 
Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in a not-so-distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans, a dozen Americans held prisoner.
Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become......