ニュースでマラソンの瀬古選手が都の教育委員会に選ばれて石原とどーこーっつーニュースを見て頭が痛かったのだが、


詳しくは早川さんの記事で↓


瀬古は日の丸で泣く



優れたアスリートが、自分個人の才能や努力の成果を「民族の優秀性」と誇ったり、自分がアシストされてきた環境を「国の恩恵」のように思い込んで、他人にも国家をありがたがるよう押し付けてるのはしばし見かけるなあ、と思ったり。



非国民さんの記事でも



なんともお寒いスポーツ界

私が問題視したいのは後半の方です。「日本人は強いんです!」だとか。これ、三崎にとっては毎回の決め台詞でして、他にも似たような決め台詞を持つ日本人選手はいるわけですが、そうは言ってもこの試合、日本人同士の対戦だったのですけれど?




日本民族の優秀性つっても同じ民族でも誰もがその人と同様の才能を持っているわけがないし、

「国威高揚」に役立つと国家から大事にされているオリンピックでメダルを取れるようなアスリートたちと同じように、差別や貧困見下しなど国家から不遇な待遇を受けていた人たちも押しなべて「日本国民」なら誰もが「国の象徴」とされるものを見てありがたがるはずがないのに、



ランニングハイになっった状態で日の丸を見てありがたく思ったのを、

「日の丸を見て感激したんだ」と誤認識っつーかヘンな条件付けされてねーか瀬古のオッサン。

(吊り橋効果って奴?<吊橋をわたるときのドキドキを恋のトキメキと勘違いする)



と思いました。



だいたい日本のお偉い政治家の方々が「極めて同質な単一民族」しか日本人にはいないみたいなこと言って、与党政治家とその支持者たちが自分らに都合が悪いものは「日本人」から排除しちまうのに、自分らが「日本人」から除外されてる人たちも全部が「日の丸を見てありがたがり、君が代を大きく口を開けて規律して斉唱すべし」と押し付けるなんて国旗・国歌信者はどんだけ図々しいのよ?



スポーツ選手だけでなく、功績を出した科学者や成功した企業人なども「自分が偉大な業績を収めることができたのは自分の属するものの優秀性のため」なんて誇ってるようなパターンもありますね。遺伝子の2重螺旋の片方の人とか。



アインシュタインの予言  なんてアインシュタインの言ってないことを有名人の言うことだからと疑問も持たずにありがたがるなんて極めて自慰的(造語)な行為で自分を満たそうとするのは日本人くらいです。某所で話題「進化論は誤ってる」というID論記事 の皮肉を取り入れました(大笑)。





話は変りますが

一時期ネウヨ界隈で盛り上がったアインシュタインの予言のときみたいに「これが偽書でも言ってる事は本当のことです!日本人は優秀なんです!!」と凝り固まっちゃう反応はイカンなあと思っているので、

俺がトンデモ認識や誤ったことを書いたときは是非ご指摘ください。<重要



ネウヨの根拠のない「政府は間違ったことはしなくて(この認識がすでに誤)政府を批判するのはいけないことだ」っつー批判には耳を傾ける気毛頭ありませんが、信頼している方々のコメントならちゃんと調べて納得した上でやり直しますので。

仲間と思ってくれているならそっぽを向かずに直に教えてくれ!!いやいやマジで。



最近アマゾネス界隈流行の「独り言 」をあっち  こっち 読んでいて、

自分の間違っていたことを認めないことで取り返しがつかなくなることってあるんだよなあ、と最近気になった名前「林太郎」経由で見たWikipediaの森鴎外 を見て感慨深かったのでした。



脚気の原因について細菌による感染症との説を主張し、のちに海軍軍医総監になる高木兼寛(及びイギリス医学)と対立した。自説に固執し、当時陸軍で採用していた脚気対策の治療法として行われていた麦飯を禁止する通達を出し、陸軍で既に取り入れられていた麦飯を廃止させ、さらに日露戦争でも兵士に麦飯を支給するのを拒んだ(自ら短編「妄想」で触れている)。

(中略)

結果的に陸軍は25万人の脚気患者を出し、3万名近い兵士を失う事態となった(同時期、海軍では脚気患者は軽症者がわずかに発生したのみであり、死者は無しと伝えられる。高木により食品と脚気の相関関係が予測され、兵員に麦飯が支給されたためである)。「(鴎外は)ロシアのどの将軍よりも多くの日本兵を殺した」との批判も存在している。

(中略)

後に鈴木梅太郎が脚気の特効薬であるオリザニン(=ビタミンB1 )を発見し、脚気との因果関係が証明されて治癒の報告が相次いだ。しかしその後も鴎外はかたくなに鈴木および学会の見解を批判した。



鴎外の自説の誤りを認めない頑なさや、「南京事件は実はなかった」トンデモを信じちゃってる/もしくはそういうトンデモ説に鷹揚な振りして加担する人の記事を見てると、文面から漂う優越感に

自分の判断力に自信のある人が実はトンデモに引っかかりやすいんではないかなあ、と思いました。

批判されることに憤りを感じるより自分を疑え。


歴史問題がイデオロギーや政治外交の問題だと思ってたり、科学問題を道徳で置き換えるっつームチャクチャなことをやってる時点で「判断力」を疑っちまうんだがなあ。どうかしてる。