3.11が来ます。

あの日は、単身赴任先の被災地まっただ中にいました。

電気も水道も燃料も、電話も食べ物も何もかもが無くなり、友人知人の消息もまったくつかめず、文明から切り離された社会で数週間を過ごしました。少しずつインフラが回復してきても、その後の数か月も混乱状態の中での生活でした。被災地の真ん中にいなければわからない不安・怒り・焦燥感・喜び・悲しみ・・・、いろんな感情をいっぺんに味わいました。

電気のない真っ暗な街の上空には、きれいな星空が広がっていたのを覚えています。


私は、幸いなことに命の危機を感じることはなかったのですが、あの日、多くの方々が犠牲になったこと、多くのかけがえのないものを失った方々がいることを、忘れてはならないと思います。


omoitattara・・・               sanryutei-douraku


頭が痛いとか、腰が痛いとか言われても、他人はそれと同じ痛みは感じることはできません。人は皆違うんですから、それは仕方がないこと。

でも、その痛みをわかろうとする人が近くにいてくれること、それが一番大事なんだと思います。


二年経って、あの大震災のことは忘れてしまっている人が多くなってきていると言われています。被災地といわれる場所で日常生活を送っていないと、大震災は過去のものになってしまっているのかもしれません。

腹が減ったらご飯を食べられること、毎日暖かい風呂に入れること、当たり前と思っていることが、いつ当たり前でなくなるのかわからないのに、いつ我が身に降りかかるかわからないのに、他人事と思ってしまうのが人間という生きもの。


現地はまだまだです。瓦礫が片付いたくらいで、何も変わっていません。復興は本当に少しずつしか進んでいません。まだまだ先は長い。


omoitattara・・・               sanryutei-douraku


がれきを片付けたり、仮設住宅を訪問したりしなくてもいいんです(できる人はやってください)。

肩ひじ張って特別なことをしなくても、とにかく現地へ行って、その目で見て、肌で風を感じて欲しい。そして、なにか旨いものを食べて、お土産のひとつでも買ってほしい。とにかく、一度でもいいから現地へ足を運んでほしい。そう思います。


みんな、二年前までこんな普通の街で、普通に生きていたんです。


omoitattara・・・               sanryutei-douraku


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日常がいつ非日常になるか、一寸先のことは誰にもわかりません。いつ自分が不自由な生活を送らなければならなくなるのか、誰にもわかりません。だからこそ、他人事と思わないで、ほんの少しだけでも、できることをさりげなくやれれば・・・と思います。


被災地の方々が、落ち着いた生活を取り戻すまではまだまだ時間がかかります。息の長い支援・応援が必要です。だから、こっちも息長く付き合っていくことが大事なんだと思います。

無理して特別なことをしなくてもいいと思ってます。普通に現地に行って、普通にお金を使って、普通に会話をして、ちょっとだけ気にかけていることを被災地の人たちに感じてもらえればいいと思ってます。

そして、あの大震災を、今も不便な思いをしている人たちがいることを、これからも忘れないことが大切だと思っています。