こんばんは。
つかさの妻のエルサです。
2020年10月19日(月)午前0時58分、つかさは息を引き取りました。
2016年2月、会社の健康診断で貧血が発覚。
同年秋頃、バーチャルCT検査で上行結腸癌ステージ4と診断。
愛犬まりあとの夜の散歩中、私は一人ぼっちになっちゃうんだ、と涙を流していた。
貧血の薬を処方して貰う為、病院を転々とし、手術を勧められるが無治療を選択。
末期だったので、私も無治療は賛成だった。
会社の産業医に病気がばれないように、
2017年からは、貧血の薬を処方量の3倍飲み、健康診断を乗り切る。
必死になって頑張って薬を飲んでいる姿に、仕事が楽しいんだなと思った。
2019年7月末、つかさの激痩せを気にした上司から診断書の提出を求められる。
つかさは仕方なく、CT検査の結果と診断書を提出。
提出したその日に、上司から「明日から休んで病気を治してこい!」と厳しく言われ、翌日から休職。自宅療養が始まる。
2020年7月から娘が3ヶ月間の介護休業に入り、介護認定の申請、訪問入浴などの手続きが進む。
7月初旬は娘の車でお昼ご飯を買いに出かけることができた。
私も娘が居てくれることで、仕事に専念できてとても助かり、
つかさもとても楽しい家族3人の団欒を過ごせた。
娘婿は2週間に1回帰省して4人で楽しいひと時を過ごす。
特に娘婿が居る時は、つかさの食欲が増すようだった。
その後も懸命に自宅療養に励んだが、9月17日楽しみな訪問入浴後、
トイレに行こうとしても身体が動かせず、翌日入院。
本人は人間の尊厳であるトイレに自力で行けなくなったら入院すると以前より決めていた為...
9月20日と27日は、病室で半沢直樹を家族みんなで観賞。
入院生活でも自宅療養と変わらず、家族水入らずの時間を過ごすことができた。
今まで仕事人間だった主人とはできなかった時間が取り戻せているような気がした。
10月5日から、私の顔を見ては涙を流すつかさが居た。
10月8日からは、私がいない時の食事は全く食べなくなっていた。
10月13日からぴかちゅー開始。
つかさが納得してぴかちゅーを受け入れた姿を見て、かなりしんどくなってきているんだと感じた。
10月15日、主治医にも「エルサが来られると元気になるね」と言われるくらい、
私がいるとつかさは無理をしてくれる。
この日の夕方、私が帰った後、つかさは娘と実兄に
「今日明日で死にそうだから、すぐに来てくれ」と電話した。
家に着いた瞬間、娘からの電話で知り、病院に戻る。
その日から私は病室に泊まり続けた。
10月16日、娘夫婦と兄夫婦がお見舞いに来てくれ、つかさも会話ができていた。
その日の午後から状態が悪くなり始める。
つかさは薬を増やすと会話が出来なくなると思い、
急いで娘夫婦と兄夫婦を呼び出したように感じた。
10月18日14時半ごろから、急にスヤスヤと眠っているような穏やかな呼吸に変化し始める。
足のチアノーゼの紫斑に気づき、マッサージをし続けると、色が元に戻った。
それくらい血液循環が悪くなっていることと、尿が全く出ていないことから、
心肺機能、腎機能低下を感じた。
目の乾燥が気になり始めたので、水分補給にエルサお手製の搾りたてみかんジュースを口に入れてみると、つかさは全く喋れないのに涙を流した。
23時頃から下顎呼吸が始まる。
私と娘夫婦が楽しそうにつかさとの思い出話に花を咲かせていると、
下顎呼吸から元の呼吸に戻ったので、つかさも聞こえていたように感じた。
10月19日午前0時頃、下顎呼吸に戻って、呼吸の間隔がだんだんと長くなり、呼吸自体も弱まっているように感じた。
0時50分ごろ、呼吸が止まり、頸動脈のみが動いているのを3人で見守っていた。
0時55分ごろに頸動脈も停止、ナースコールを押す。
0時58分、当直の医師によりつかさの死亡が確認された。
眠るように静かに呼吸が弱まっていく姿は感動的だった。
つかさの場合、末期癌完全放置は、鎮静することもなく、ほぼ痛みもなく、
つかさが望んでいた安らかな最期を迎えられました。
皆様、あたたかいコメントをいつもありがとうございました。
つかさの耳元でコメントを読み上げさせていただきました。
本人も、とても喜んでいたことと思います。
応援してくださった皆様「サイコー!!!」