白虎隊墓地
 
雪景色の鶴ケ城から飯盛山へ向かった。積雪は50㎝程、全山雪に覆われていたが、参拝者は絶えることはなかった。(撮影 2015年1月25日)
イメージ 1戸ノ口堰洞穴(現地説明板転記)
 猪苗代湖北西岸の戸ノ口から、会津盆地へ水を引く用水堰で全長31kmに及ぶ。元和9年(1623)八田野村の肝煎八田蔵之助が、開墾のため。私財を投じ工事を行い寛永18年(1641)八田野村まで通水した。その後、天保3年(1832)会津藩は藩士佐藤豊助を普請奉行に任命し、55千人の人夫を動員し堰の大改修を行い、この時に弁天洞穴(約150m)を堀り同6年(1835)完成した。慶応4年(1868)戊辰戦争時、戸ノ口原で敗れた白虎隊士中二番隊20名が潜った洞穴である。
 
    白虎隊自刃の地                      自刃の地より鶴ケ城方向を望む
  
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  会津藩恂難烈婦の碑 
この碑は会津戊辰戦役で自刃又は戦死した婦女子300余名の霊を弔う為、昭和3年4月旧藩士山川健次郎氏(男爵 理学博士 帝大総長)等の篤志家によって建てられた顕彰碑(説明板転記)
追記 山川健次郎は京都守護識始末を執筆した、山川浩の弟。
共にNHK大河ドラマ 八重の桜にも出ていた。
 
 
 
 
 
 
イメージ 5左 松平容保の歌碑。 右  少年武士慰霊碑
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イメージ 7左  飯盛山で自刃した白虎隊19名の墓碑・ 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
白虎隊の歌  歌詩 島田磐也  作曲 古賀政男
 
     戦雲暗く 陽は落ちて 弧城に月の影悲し
     誰が吹く笛が 知らねども 今宵名残の 白虎隊
 
     紅顔可憐の少年が 死をもて守る この保塞
     滝沢村の血の雨に 濡らす白刃の 白虎隊
 
    詩吟 
     南鶴ヶ城を望めば 砲煙上がる 痛哭涙を飲んで 旦彷徨す
     宗社亡び 我事終る  十有九人屠腹してたおる
 
     飯盛山の頂きに 秋吹く風は 寒けれど
     忠烈今も 香に残す 花も会津の白虎隊